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2004年06月05日

イラク便り 04年5月

土井敏邦

 アンマンからバグダッドまでおよそ900キロ。車で行けば12時間ほどかかるが、150ドルから200ドルで済む。だが飛行機を使えば1時間ほどで行けるが、600ドル近くかかってしまう。しかしその道中で外国人の人質事件が頻繁する最近の状況では選択の余地はなかった。

現在、アンマンからバグダッドまでロイヤル・ヨルダン航空の小型機が毎日、午前と午後の2便が飛んでいる。現在、世界で最も危険な都市バグダッドへ向かう飛行機にどうして日に2便も飛行機を飛ばすほど客がいるのか。いったい彼らは何をしに戦闘や爆発事件の絶えないイラクへ敢えて向かうのか。

出発カウンター前に集まってきたのは、大半が屈強な欧米系の男たちだった。アメリカ訛りの英語が聞こえてくる。男たちが手にするパスポートもアメリカのものだ。しかし軍人には見えない。お腹がつき出た中年男性も多い。小型飛行機の2人のスチュワデスもアメリカ人女性。今日に限らず大半の乗客はアメリカ人ということなのだろう。100ほどの席はほぼ埋まった。私のほかに2人の東洋人がいた。隣に座った30代に見えるカップルはフィリピン人だった。バグダッドへ行く目的を訊くと、「アメリカ系の会社に雇われ、軍のキャンプで働くため」という答えが返ってきた。男性はキャンプの総務の仕事を、奥さんは会計を担当するのだという。「治安の悪いイラクで働くのは怖くはないですか」と問うと、男性は「いいえ。以前、東チモールが暴動で一番荒れていたころ、4年間ほど現地で働いていましたから、慣れています」と言った。「どこに滞在するのですか?」「バグダッド・ホテルです。一番安全なところですから」。「バグダッド・ホテル」といえば、アメリカの要人たちが宿泊するホテルで、しばしば迫撃砲や爆弾で攻撃され、今ではそれに隣接する道路がすべて封鎖され、高いコンクリートの壁で囲まれ、要塞のようになったホテルである。「一番安全なところ」というこのフィリピン人男性はもうすっかりアメリカ人の立場に身を置いているのだ。

バグダッド空港からバグダッド市内への道路は、武装勢力に攻撃されやすい危険地帯だと聞いていた。空港からどうやって市内へ向かおうかと不安でならない私は、同じ東洋人である彼らと動けば安全かもしれないと思った。同行を誘うつもりで、「空港から市内まではどうやって行かれるのですか」と訊いた。すると男性は「大丈夫です。会社からバスで向かえにくるんです。この座席の周辺の20人ぐらいが私と同じ会社で働く同僚たちなんですよ」と私を突き放した。そうだったのか。あの屈強な男たちはアメリカ軍の下で働くアメリカ企業の従業員たちだったのだ。

空港のパスポート・コントロールを通ると、ロビーに軍服のズボンをはき自動小銃を構えた東洋人の男たちが警備についていた。これもフィリピン人だった。バグダッドに到着した乗客たちは、数キロ離れた検問所までバスで運ばれる。そのバスの最前列の席に銃を持って座り警備するのもフィリピン人ガードマンである。おそらくアメリカの警備会社に雇われた人たちだろう。

これまで3度のイラク取材の拠点にしていたホテルにやっと落ち着いたとき、これまで見かけたこともない客の集団を目にした。アラブ人でもない。欧米人でもない。彼らの顔の表情に都会のビジネスマンとは異質の、どこなく農民や労働者のような素朴さがある。見覚えのある表情だった。90年なかば、イスラエルで「テロの危険がある」として職場を追われたパレスチナ人に代わって、建設労働者として導入されたルーマニア人の男たちだった。しかしこのホテルにいる男たちはルーマニア人ではなく、トルコ人だった。なぜトルコ人の集団がこの危険な時期にバグダッドにいるのか。ホテルの従業員によれば、彼らはアメリカ軍当局と提携したトルコの建設会社の労働者たちで、激しい戦闘が続いていたファルージャ近くの町でアメリカ軍施設の1つ、米兵たちの衣類の洗濯工場建設のために派遣されているという。このホテルは数ヶ月前から、イラク入りし現場へ向かうまでの数日を過ごすトルコ人労働者たちの逗留先になっていた。これまで毎回30人ほどを3回受け入れてきたという。

なぜトルコ人なのか。ホテルの従業員は2つの理由をあげた。1つはイラクに隣接し、サダム時代からトルコ企業が数多くイラクで活動していたこと。2つめは、イラク戦争では米軍に加担しなかったために、イラク国民の反発が少ないことである。そのトルコ人が、米軍占領当局とその関係者たちの保護区となっているバグダッド中心部の「グリーン・エリア」でも運転手などさまざまな職種では働いているという。

6月下旬の主権移譲の青写真も見えず、治安悪化で混沌とするばかりのイラク情勢。しかしその中で米軍当局は着々と、「復興事業」という名の「金儲け」にアメリカ企業を吸い寄せている。そしてその“おこぼれ”にあずかろうと、高収入を求めてアジアの人々がイラクへ向かう。「自衛隊派遣」でアメリカに「貢献」した日本の企業も、「ご褒美」として自分たちに声がかかり出番が来る日を、手ぐすね引いて待ち構えているのだろうか。

投稿者 doitoshikuni : 2004年06月05日 01:03

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