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2004年12月07日

エッセイ 現場とジャーナリスト(04.Oct.)

現場とジャーナリスト
土井敏邦

 今年4月、イラクのファルージャは1ヵ月近く米軍に包囲・攻撃され、700人を超える死者と2500人近い負傷者を出した。私がその現場に入ったのは、包囲が解かれて1週間が過ぎた5月11日だった。それでも市内の至る所に攻撃の生々しい爪痕が残っていた。ミサイル攻撃で家族31人が屋根の瓦礫の下敷きになった現場には頭皮のついた髪、千切れミイラ化した子供の足が残っていた。爆撃で13人の殺害された農家の壁には、バラバラになった2歳の子供の肉片がこびりついていた。頭部に爆弾の破片を受けた15歳の少年は、眼の瞳以外まったく全身が動かない植物人間となっていた。12歳の少年は米兵に狙撃され、睾丸とペニスを失っていた。私がバグダッドから送ったその映像と活字は「スクープ」としてテレビや雑誌で伝えられた。私はジャーナリストとしての本分をいくらか果たせたような気がした。

 しかし帰国後、「ファルージャ 2004年4月」というルポを読んで愕然とした。それは、まさに米軍の猛攻撃の中、ファルージャの現場の真っ只中に身を置いて凄まじい現場を目撃し、激しく銃弾が飛び交う中、負傷者の救援と遺体の回収のために奔走した米国人平和活動家たちの記録だった。首を撃ち抜かれ手の施しようもない少女の首からどくどくと流れる血、射抜かた心臓が飛び出し、胸が空洞となったまま路上に放置された老人の遺体、診療所の中庭に積み上げられた死体の列から漂う死臭、激しい銃撃の中、救いを求め哀願する老婆の恐怖に引きつった顔・・・・。

 自分が「スクープ」だと思って伝えてきた内容は、現場に立ち会った者たちの記録に比べれば、“蛇の抜け殻”のようなものだった。“抜け殻”の様子を詳細に伝えることで、私はあたかも“蛇”つまり「民間人虐殺」そのものの姿を伝えたような気になっていたのだ。ジャーナリストの自分がなぜ、米国人平和活動家が入れたその現場にいなかったのか。その現場はまさに、イラク戦争の本質、米国のイラク占領の体質を凝縮し露呈した場所だったはずなのに。命懸けでその現場に立会い、貴重な記録を残した平和活動家に畏敬の念と嫉妬を抱くと同時に、ジャーナリストでありながら、「攻撃下のファルージャは危険で入れない」と思い込み、しり込みしていた自分を恥じた。

 苛酷な状況のなかで呻吟する弱者たちの、声にならない“叫び声”に耳を澄まし、伝えていくこと――それこそがジャーナリストとしての自分の役割だと思っている。その弱者たちのうめき声を聞き取れる距離に自分の身を置ききれないなら、ジャーナリストとして私は失格である。

投稿者 doitoshikuni : 2004年12月07日 23:07

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