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2004年12月23日

短信パレスチナ1 ただいま取材中04.12月

短信 パレスチナ・1
ただいま取材中 2004年12月

2004年12月17日 取材が始まる
昨日、Aさんらと車でジェニンへ。破壊されたあとに、きれいに住宅街ができていました。アラブ首長国連邦の寄付で破壊された400軒以上の家が再建されたのです。

 今日、ジャイユース村を再訪しました。ある家族の元に落ち着きました。1週間ほどここに滞在し、その後のジャイユースを取材します。 とにかく寒い。底冷えします。ズボン下が必要なほどです。

2004年12月19日
今日は、昨日とうって変わって、すばらしい秋ばれでした。
トマトを栽培するハウスの中で撮影をしたために暑くて、Tシャツだけになるほどです。

今日の午後、ジャイユース村のオリーブ畑が破壊されました。その現場を取材しました。
兵士たちに撮影を禁止されました。
イスラエル軍によってオリーブが引き抜かれていく、その途中、地主の息子が走ってやってきて、オリーブを破壊するシャベルカーに投石を始めました。そして窓ガラスを破壊してしまいました。遅れて駆けつけてきた父親は、衝撃で意識を失ってしまいました。
何十年もかけてロバで水を丘の上まで何度も運んでやっと育て上げたオリーブの木を一瞬にして破壊されてしまう農民の衝撃と怒りを目の当たりにしました。
イスラエル側は「パレスチナ人が売った土地だ」と主張しますが、実際、イスラエルが買った土地はずっと離れていたのです。現在、裁判で争っている最中で、破壊工事は中止されたはずなのに、パレスチナ人側に止める力がないことをいいことに、力に任せてすき放題のことをやる、こんな理不尽さがどうして許されてしまうのか。

しかしながら、これが、当たり前の光景となり、だれも驚かないし、国際社会は止めようともしない。
もし私が彼らだったら、・・・どうするのだろう。自爆攻撃をせずにはいられない気持ちに追い込まれていくとしても、このような現実が毎日、パレスチナの各地で続く限り、生まれ続けてくるのだと感じます。

 明日、もう一度、農地に戻ります。農地に入るときのイスラエル兵たちが通行を許可するかどうか、微妙です。今日は幸い、許可が許されましたが、明日はどうなることか。

2004年12月22日
今朝、5時に起床、6時過ぎのラマラ行きのバスに乗り、途中の検問所の近くで車を乗り継ぎ、8時ごろカランディアに到着、それからエルサレム行きのタクシーに乗り換え、9時前にダマスカス門前の宿に到着しました。

 荷物を降ろすと、さっそくHさんとベツレヘムへ向かいました。

ベッサフール村からさらに東へ数キロはなれた村へ。
地元の青年に案内してもらいました。そこから、壁ができるとエルサレム側に組み込まれてしまう村を一望しました。
この村の200人ほどの村人にはエルサレムのIDはなく、ヨルダン川西岸のIDしかありません。もし壁ができると、村人たちはエルサレムへも行けない、壁のためにベツレヘム川にもいけない、つまりゲットー生活を強いられるわけです。

「土地はエルサレムに吸収し、人は追い出す」シオニズムの実現を絵に描いたようなことがここで起ころうとしています。イスラエルという国の恐ろしさ、冷酷さをいまさらのように見せ付けられます。

 ベツレヘムはすっかりクリスマスの雰囲気です。クリスマス、私は静かに、エルサレムですごそうと考えています。

投稿者 doitoshikuni : 2004年12月23日 11:24

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