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2004年12月24日

5月大侵攻の爪あと(2)と情勢

国境の最前線で生きるパレスチナ人たち
                                                  土井敏邦

(5月大侵攻後も続く小規模の家破壊)

 「私には兄弟も父も息子もいません。助けてくれる身内はだれもいないのです。どこへ行けばいいのですか」と、瓦礫の山となった自分の家の前で老婆が訴えた。「生まれてからずっと暮らしてきたこの家を見てください。ほら、ここへ来て。私たちの家財道具のすべてがどうなったか、見てください!」

 エジプトとの国境沿いラファ難民キャンプの一角にあったこの家で、未婚で頼れる家族もないこの老婆は、未亡人となった他の姉妹2人と肩を寄せ合うように暮らしてきた。しかし8月8日、イスラエル軍の侵攻で周辺の数軒の家と共に完全に破壊されてしまった。理由はわからない。老婆たちは行き場を失い、ホームレスとなった。

 国境近くで装甲車が爆破され6人の兵士が死亡した事件を契機に、今年5月、イスラエル軍は大量の戦車、武装ヘリコプター、ブルドーザーを動員してラファの難民キャンプに侵攻した。2週間近くに及ぶ侵攻の結果、58人の住民が死亡、261軒の民家が完全に破壊され、561家族、およそ3400人が住処を失った(「パレスチナ人権センター」統計)。

 5月の侵攻時に比べ規模が小さいために、世界のメディアはほとんど伝えないが、その後も、イスラエル軍のラファ難民キャンプへの侵攻と家屋の破壊は断続的に続いている。イスラエル側は、武器密輸に使われているエジプト側へのトンネルを破壊するためと主張している。しかし破壊された家の中には国境から遠く離れた民家も少なくない。

 5月18日に突然、イスラエルのブルドーザーに隣の2軒の家と共に自宅を完全に破壊されたアラ・バナット(31歳)は、家の近くから見える国境側を指差して訴えた。

 「私の家からあの国境まで500メートル離れています。もし誰かがトンネルを掘るとすれば、(エジプト側に到達する)700メートルも離れたところから掘るだろうか。目的地まで到達するためだけでも1年ほどもかかってしまう。この地区にトンネルがあったのかどうか考えてみてください。まったく不可能です」


(癒えない5月大侵攻の傷跡)
 5月に家を失った家族の中には、4ヵ月近く経った今も、元の家の敷地内に建てたテントで暮らす者もいる。気温が30度を超す真夏のテント生活は過酷だ。

「外から入ってくる害虫に悩まされています。パンに蟻がたかっているときもあります。冷蔵庫もありません」
と老婆マリアム・マカウィ(64歳)は言う。しかし警察官の息子の少ない収入では生活費にも事欠き、借家の家賃を払う余裕もない。
「UNRWA(パレスチナ国連難民救済事業)が借家の金を払ってくれるのを待っています。もしそうしてくれないのなら、このテントにとどまるしかありません。他に選択の余地がないのですから」
 
 借家で暮らせても、家を失った家族は深い傷痕を引きずっている。
 10人家族、アルガッサース家の主ハリール(50歳)がイスラエル軍に殺害されたのは、昨年12月の侵攻の時だった。ハリールは他の家族を避難させ、独り家に残ったが、やがて職場の市役所に向かうために家を出た。その直後、イスラエル兵士に狙撃された。背中から入った銃弾は、心臓を突き抜けていた。半年後の5月、大黒柱を失ったこの家族にさらに災難が襲った。再び侵攻してきたイスラエル軍が、この家族の家を完全に破壊したのである。

 妻のナジャハ(43歳)は、夫と家を失い、義母(85歳)と7人子供をかかえ、市役所からのわずかな年金で生活を切り盛りしなければならない。そんな彼女の一番の心配事は、相次ぐ不幸が幼い子供たちに与えた心理的な影響だ。子供たちの中には今なお、夜、悪夢にうなされる子がいる。7歳になる末っ子は夜中に起きだし、夢遊病のように眠りながら歩き始め、外に出ようとする。朝、その理由を訊いても、何も覚えていないと言う。9歳になる子は夜、おねしょをするようになった。

「ある子が『いつ、お父さんは墓から戻ってくるの』と訊きます。他の子はときどき、お父さんの血を見るために、殺された場所へ連れていってくれとせがみます。また他の子は『僕は戦車のところへ行き、お父さんを撃ったようにイスラエル兵を撃つんだ』といいます」

「僕は毎夜、イスラエル人がやってくる夢を見ます」と答えたのは11歳の少年、サミーハだった。「だからいつも枕の下にナイフを置いているんです。もし奴らをみつけたら、腹を刺すんだ」

 そのサミーハに「将来、何になりたい?」と訊いた。すると少年は「大きくなったら、ナイフや武器を買って、イスラエル人をやっつけるんだ」と答える。「そうじゃなくて、どんな仕事につきたい?」と問い直しても、少年の答えは同じだった。「警官になりたい。いや抵抗の戦士になりたい。そしてイスラエル人を撃つんだ。復讐をするんだ」。

 止むことなく続くイスラエル軍の家屋破壊と住民殺害は、パレスチナの次世代を担う子供たちの心に、イスラエルへの修復しがない憎しみを植え続けている。


(銃撃の恐怖に晒される国境最前線の住民たち)

 国境沿いの住民たちにとって、恐怖は家の破壊だけではない。イスラエル軍の監視塔からの無差別銃撃によって生命の危険にさらされている。
 バルフム家は国境から数十メートル、その間にあった家々はすべて破壊され、その3階建ての家は国境の最前線となっている。そのため国境の壁に近いイスラエル軍の監視塔と向き合う位置にある。8月12日朝、ハルフム家の次男、サーフエルディーン(13歳)は、朝食を済ませると、屋上で飼っている鳩に餌をやるため、階段を上がった。その直後、家族は激しい銃撃音と叫び声を聞いた。駆け上がった次女のアスマ(14歳)は、屋上近くの階段で頭から血を流して倒れている弟の姿を目撃した。アスマは手で傷口を塞いで出血を止めようとしたが、激しい出血だったの止血できなかった。銃弾は頭の左側から右側に突きぬけ、壁をえぐっていた。少年は病院へ運ばれたが、3日後に死亡した。

 「ここへ来て見てください。あれが銃撃した軍の監視塔です」と、現場を案内したアスマが屋上の入り口から南側を指差した。真正面、数十メートル先に不気味な鋼鉄の固まりが視界に飛び込んできた。この家族は日常的に塔からイスラエル兵に監視され、銃撃に怯えて暮らさなければならない。

 サーフエルディーンは7月にエジプトに住む親戚を訪ねるために、旅行の準備を済ませていた。パスポートも取得し、旅行バッグに衣類も詰め終わっていた。しかしイスラエル当局が国境を1ヵ月近く封鎖したために予定通り出発できずにいた。その直後に起きた事件で、少年はエジプトへ永遠に旅立てなくなった。

 昨年9月、同じ地区で、部屋の中で頭を銃撃され、身体障害者となった男性もいた。9日の夕方、大工のラムジ・アタフ(30)は2階の寝室で妻と、家の改築のために来る労働者たちの明日の食事について相談しあっていた。そのとき突然、銃撃が始まり、木製のドアを突き抜けた銃弾がラムジの頭に命中した。すぐに病院に運ばれたが、一時呼吸が止まり、3ヵ月間意識不明が続く重症だった。その後、数回の手術と長いリハビリによって、1年近くが経つ現在、やっと杖をついて歩けるまでに回復したが、右手は麻痺したままだ。銃撃は前例と同じく、軍監視塔からだった。その塔とラムジの家まで400メートル近くも離れている。

 現在、軍監視塔に面するラムジ家の窓は、ブロックで塞がれている。昼夜を問わず、監視塔から無差別の銃撃がその後も続いているからだ。父親フセイン(55)は、家の前の通りで遊ぶ子供たちを示しながら言った。
「ごらんの通り、通りの人々は一般住民であり、子供たちです。まったく警察署や軍事基地もありません。なのに、どうしてイスラエル軍は銃撃してくるのか。私たちがパレスチナ人だからでしょうか。それでも私たちはこの土地から離れません。他に行く場所がないからです。私たちはこの土地で生まれ、この土地で死んでいきます」

 国境の最前線で暮らしていたパレスチナ人たちの多くは、いつ家を破壊されるかという不安と、銃撃の恐怖のために家を去り、国境から離れた安全な街の中心部や郊外の借家へ逃れた。そして人が住まなくなった家々は、「空家だから」という理由でイスラエル軍の破壊の対象となる。

 イスラエル軍報道官室の海外メディア担当代表、シャロン・フェインゴールド少佐(2003年3月当時)は、ラファでの家屋破壊の第1の理由は、武器密輸に使われる国境のトンネルを破壊するためと答えた後、次のように言葉を継いだ。
 「第2の理由は、それらの家が空家だからです。かつてパレスチナ人が住んでいましたが、今はすでに住民が去った家です。この周辺で激しい戦闘が行われるため、住民たちが家から出ていったのです。その空家がパレスチナ人武装グループによってイスラエル軍への銃撃の拠点に使われています」。

 しかし住民たちが家を離れるのは、「周辺で激しい戦闘が行われるため」ではなく、いつ家が破壊されるかもしれないという恐怖と、イスラエル軍からの無差別銃撃の恐怖のためである。また最前線の空家となった家も、常に銃撃される危険があるために、だれも近づけない。

「イスラエルのセキュリティー(安全保障)を護るため」という大義名分を掲げ、イスラエル軍は国境の街ラファで、住民の生活を破壊し続けている。イラク情勢に注目が移り世界のメディアが見向きもしないなか、国境の街ラファでは、今日もパレスチナ人住民たちが銃撃され棲家を失っている。


(出口の見えないパレスチナ情勢)

 現在、パレスチナ・イスラエル報道のなかでもっとも注目されているのが、シャロン首相による「ガザ撤退計画」である。「強硬派のシャロン首相が“和平”に向けて動き出した。これに猛反発する右派勢力と闘いながらシャロンはガザからの入植地撤退を実現し、和平への道を切り開こうとしている」といったイメージが広がっている。しかしこの一見「和平への動き」のように見える計画は、実はヨルダン川西岸における大半のユダヤ人入植地を維持するための“引き換え”であることに世界のメディアはあまり注目しない。この「和平への動き」はガザ地区とヨルダン川西岸にパレスチナ国家を建設するというパレスチナ人の目標の芽を完全に摘んでしまうことになりかねないのに、である。

 一方、パレスチナ人自身も内部に大きな問題をはらんでいる。アラファトを中心とする自治政府の腐敗と指導力不能という深刻な問題だ。ガザ地区では、そのような自治政府への住民の不満と怒りを利用して、「改革」の名の元にモハマド・ダハランが治安当局の幹部拉致などの手段で反旗を翻しつつある。欧米やアラブのメディア中には、このようなダハランを「アラファトの腐敗した旧体制に挑戦する“アラファト後の新たな指導者”」として持ち上げる傾向がある。

 しかし現地の見識あるパレスチナ人たちは、ダハランがアメリカCIAからの莫大な資金援助を用いて、特にガザ地区の治安当局関係者たちの“忠誠”を金で買い集めていることを見抜いている。つまりダハランは、アメリカからの潤沢な支援をバックに、アラファトの腐敗政治の「改革」を叫びながら、アラファトとまったく同じ「金で忠誠を買う」という政治手法でアラファト後の権力の座を狙っているというのだ。このようなパレスチナの内部情勢に失望したパレスチナ住民たちは、ハマスやイスラム聖戦などイスラム勢力の支持へといっそう傾きつつある。パレスチナのあるNGOによる世論調査によれば、イスラム勢力の支持率は今年3月の29%から6月には35%に急増している。一方、かつて過半数を超えていたアラファト率いる「ファタハ」の支持率は28%にとどまったままだ。しかしそのイスラム勢力の支持急増は、住民がパレスチナの将来をイスラム勢力に託そうとしている証左と短絡すべきではなく、腐敗した自治政府などに対する反発の象徴とみるべきだろう。

 そのようなパレスチナの絶望的な状況のなかで、パレスチナ人住民から“将来の指導者”として支持を高めつつあるのが、イスラエルの獄中にある“インティファーダの指導者”マルワン・バルグーティだ。次回の選挙で副大統領として誰がふさわしいかという先のNGOの世論調査では、現首相のアハマド・クレイが6%、先のダハランが4%に比べ、バルグーティは25%と群を抜いている。しかも出身のヨルダン川西岸(24%)より、ガザ地区(27%)での支持が高いことは注目すべき点である。調査対象の住民の67%は、「イスラエルの裁判が彼をパレスチナの指導者として資格をいっそう高めている」と答えている。 
 

投稿者 doitoshikuni : 2004年12月24日 12:48

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