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2004年12月24日

愛知大学祭講演録(イラク)04.11月

04/11/3 第58回愛大祭本部・国際問題講演会

土井敏邦氏講演

米軍はイラクで何をしたのか

 こんにちは。私はこれまで大学で話をすることはなるべく避けてきました。学生たちの反応が鈍く、失望していましたから。しかし今回は、愛知大学の方から熱心に“ぜひ”ということだったので、昨日まで九州にいたのですが、今日は朝一番の列車で横浜からきました。

 私は“パレスチナ問題”を20年ぐらい追いかけてきましたが、イラクに行き始めたのは、去年の戦争終結から一ヵ月後の5月です。それから8月、今年の2月、それからファルージャの後の5月とこれまで四回現地で取材してきました。今日は、今年の五月、五週間かけて取材したものを中心にみなさんにお話ししたいと思います。

 まず最初は、5月にテレビで放映した囚人虐待の問題です。そのビデオをまず見ていただきます。私が現地から送った映像を、筑紫哲也のニュース23で放映されたものです。7分ぐらいですの
で、これを見ていただいた後に補足するかたちでお話ししようと思います。

◆ニュース23で放映されたビデオより 

 「こんばんは、筑紫哲也です。イラク戦争に正義はあったのか、この問題をアメリカ人が考える際、今最も重要な判断材料、基準となりつつあるのがバクダットの刑務所でおこった虐待事件です。アメリカのメディアが競うようにその実態を暴いているのを、虐待が歴史的にも見過ごせない事実だと考えたからではないでしょうか。そして私たちも今夜、実体解明のためのスクープ合戦にささやかながら加わりたいと思います。」

 このビデオについて補足をします。アメリカ軍のやり方の一つは、まず拘束しようとする人物の家を急襲したとき、本人がいない場合にはその家族を身代わりに拘束します。彼の場合はお父さんがいなかったので、兄弟4人が拘束されました。拘束された後、証言者のアルカンさん含めてこの4人は、ものすごい拷問を受けました。殴る、蹴るはもちろんのこと、背中に水を流して電流を流されました。そのためにその兄弟は嘔吐にし続け虚脱状態に長く悩まされました。それから荷物を入れるコンテナの中に閉じこめられました。その中でテープレコーダーを最大のボリュームにして音楽を鳴らしました。さらに外から金属の棒でガンガンたたきます。その音がコンテナの中に響き渡ります。なぜそんなことをするかっていうと、中の囚人たちを眠らせないようにするためです。


(最も深刻な性的虐待)
 今回の囚人虐待で最も深刻だったのは性的虐待です。男性への性的虐待の例として、私の拙著の中に次のような例を紹介しています。
 一人の女性兵士が男の囚人を一列に並べ、金属の棒を尻の穴に突っ込んだという証言があります。また女性兵士が男性の性器ペニスのかたちをしたプラスティックを前方につけて、25歳の男性を裸にして後ろ向きに立たせました。そしてその男性の肛門にそのプラスティックのペニスを突っ込んだのです。まさに女性による男性のレイプです。さらにこの行為を写真に撮って、「もしお前が将来アメリカ軍に楯突くことがあれば、この写真をお前の住んでいる地域や家族にばらまくぞ」と脅したのです。これらはファルージャの聖職者の証言です。

 囚人虐待の中でも最も深刻なのが、女性へのレイプです。しかしこれはなかなか証拠が掴めません。私が取材した5月にはバクダット市内で「アブグレイブ刑務所に収容されている女性の大半は、アメリカ兵にレイプされて妊娠している」という噂が広がっていました。それはもう、「公然の秘密」のように語られていました。しかしそれを証明するものはありません。

 深刻なのは、先ほど、ビデオの最後で少し触れていましたが、アラブの世界で未婚の女性が性的な関係を持てば、死に繋がりかねません。例えば、未婚の女性がある男性と結婚前に性的な関係を持つと、兄弟あるいは親に殺されてしまう実例がたくさんあるのです。最近、書店には、未婚のまま男性と性的関係をもったために家族から顔を焼かれてしまったヨルダン人女性のドキュメントの本が出ています。現在でもアラブの社会では起きています。例えば夫が留守で拘束できず、妻や姉妹、母親が連行されるなど、女性側に何も罪がないのに身代わりとして収容され、その女性がレイプされたり、そのために妊娠したりすると、その女性が男性の家族に殺されてしまうことは珍しいことではないのです。

 実際、私がいろんな聖職者にインタビューした中で、こういう例がありました。彼女の名前は「ノール」という名前でした。彼女は2月にアブグレーブ旧刑務所から複数の聖職者にメッセージを送りました。その中で「私はアメリカ兵にレイプされ妊娠してしまった。どうしたらいいでしょうか」と訴えていました。それを受けて聖職者たちがどうするべきかを話し合いをしているときに、彼女は釈放されました。そして家に帰った直後、彼女は家族に殺されてしまったとある聖職者が私に証言してくれました。ただこれは裏をとるのがとても難しいのです。私のような外国人の男性はもちろんのこと、こういう被害を調査する現地の女性NGOのスタッフたちでさえほぼ不可能です。聖職者もできません。というのは、接触することで家族がそのことを知ってしまい、殺されかねないからです。女性だけじゃなくて、先ほど話しをした、女性による男性に対するのレイプも、もし公になったら夫としての尊厳を失ってしまい、そのコミュニティーの中で生活をしていけなくなります。


(なぜ反米感情がつのってしまったのか)
 イラク人のアメリカ人に対する感情というのはどういうものか。みなさんもテレビで、4月9日のサダム・フセイン像が倒れたときに歓喜する市民の姿を見たと思います。あれはほんの一部でしょうが、確かにあのように解放されたと思ったイラク人は少なくなかったはずです。だから当時アメリカ軍を歓迎した人はいたと私は思います。ところが私が現地に入った一ヵ月後の5月には、そのような熱気はすーっと引いていました。
なぜか。

 一つはインフラの破壊です。アメリカ軍は自分たちの生活を改善すると言っていたのに、全然よくならない。まず電気。イラクは5月ぐらいから猛烈に暑くなります。6月ぐらいになると50度を超えてしまう。みなさん、想像してみてください。気温50度を超えるなかで電気がないという状況がどういうものか。クーラーはもちろん扇風機もない。冷蔵庫もない。とても部屋のなかにいられたものではありません。私たちジャーナリスト、外国人が何とか生活できるのは、ホテルには自家発電があって、クーラーが効いている部屋で過ごせるからです。またガソリンが不足し、猛暑の中、ガソリンスタンドの前に長い車の列が延々と続き、何時間も待たなければならない。

 イラク人にとってさらに深刻だったのは、仕事がないことでした。アメリカ軍によって旧政権が倒れ、60万ともいわれたイラク軍の兵士が仕事を失いました。多くの公務員も解雇された。60%以上の人が失業状態になったといわれています。

 そして最も深刻な問題が、治安の悪化です。 サダム政権時代は、女性が夜間、街を歩くのはそれほど危険なことではなかった。バクダット大学の女性の学生に聞いても、夜、授業があっても自分たちだけで独り、帰宅することができたということでした。しかし私が取材していた5月ごろには、女性が昼間でも独り大学に行くことも危険すぎてできない状態になっていました。だから大学に行くにも、家族が付き添わないと危なくて行けない状態だったのです。結婚式を終えたばかりの花嫁が誘拐されクウェートに売られた、学校行く途中に少女が誘拐されたといった話は日常茶飯事のことになっていました。
そういう状況の中でイラク人たちは、“いったいこの「解放」は何だったんだ!」と気づいたのです。そして国民のそのような不満が、反米感情になっていきました。

 反米活動が活発になると、今度はそれを抑えようとしてアメリカ軍の兵士達が夜中に被疑者の民家を急襲するようになりました。ドアを蹴り破って侵入し、寝間着姿の女性の部屋に平気に入っていって、怪しいと思った男性を連行していく。私はパレスチナで長く取材してわかるのですが、寝間着姿のアラブ人女性の前に見知らぬ男性、とりわけ外国人男性が近づくということはちょっと常識では考えられないことです。それほど侮辱的なことをアメリカ軍は平気でやったのです。アラブの文化も風習もまったく尊重もせずに突っ走ってしまった。その反発が、どんどん強まり、反米感情が増幅されていった。それをさらに決定的にしたのが、収容所での囚人に対する性的な虐待でした。女性の囚人がレイプされたという噂が広まり、イラクだけじゃなくてアラブ諸国全体に、アメリカ軍のイメージが、衛星放送「アルジャジーラ」とか「アルアラビーヤ」などを通じてアラブ諸国全体にバーッと拡がりました。つまり、これはもうイラクだけの問題だけではなく、アラブ全体に反米感情がさらに大きくなっています。それに決定的な火をつけたのが次に話をする「ファルージャ」でした。


(ファルージャで一体なにがおこったのか)
 ファルージャでいったいなにがおこったのか。今日、国際問題研究会の人たちがつくった資料の中に、朝日新聞の川上記者が書いたファルージャの記事があります。日本の新聞記者としてファルージャに入り取材をしたのは、彼が最初で最後でした。しかし同じ日に実は小川巧太郎さんという、フリージャーナリストが入って取材をしています。橋田さんと共に殺害されたジャーナリストです。川上記者と同じ日に入って撮影した映像を「報道ステーション」に送ったのですが、何かの事件のために放映が遅れたために、朝日新聞のスクープとなったのですが、小川さんは生前そのことをとても残念がっていました。という番組のために映像を撮っていたんですが、なんかの事件のために放送が遅れたんですね。それで、結局、川上さんがうっといたということになったんですけど、彼はとても残念がっていました。

 私はその川上記者から6日ほど遅れて、5月11日に最初にファルージャに入りました。それから1週間ぐらい通いましたが、その後、当時、ファルージャを支配していた武装勢力が、一切のジャーナリストはファルージャに入ってはならないという通達を出しました。それ以後、おそらく外国のジャーナリストはほとんど入れなかったと思います。だから私も一週間で取材を中断せざるをえませんでした。そのとき取材したものを、これから見ていただきます。これは5月の13日だったでしょうか、現地からTBSに映像を送り、「ニュース23」とさらに5月下旬に「報道特集」でも放映されました。しかし今日見ていただくのは、私が編集したもので、まだ未公開の映像もあります。


<ビデオ上映>
・ファルージャはバグダッドの西およそ60キロの町です。
・今年4月、米軍が1ヵ月にわたってファルージャを包囲・攻撃しました。
・私がファルージャに入ったのは、その包囲が解かれて10日ほど経った5月11日でした。
・米軍側とファルージャ住民側との休戦協定で、当時、ファルージャへ続く道路での検問はファルージャ出身のイラク兵と米軍の共同で行なわれていました。
・しかし米軍はイラク兵を信用せず、最終検問は米兵が行なっていました。
・自爆攻撃を警戒し、武装勢力の通行をチェックするために、道路には土嚢が置かれ、ジグザク運転し、徐行しなければ通れない状態でした。
・一旦、街中に入ると、10日ほど前まで米軍との激しい戦闘があった街とは思えない平穏な様子でした。

・しかし市内に深く入ると、米軍の攻撃の爪あとがいたるところに残っていました。
・とりわけ攻撃の激しかった街の北西部ジュラン地区では、米軍の戦闘機による爆撃によって、多くの家が破壊されていました。

「これがブッシュのいう民主主義なんだよ。サダムは悪いとブッシュは言うが、サダムは彼らよりずっとましだよ。サダム時代は今よりずっといい」

・9月以降、激しくなったファルージャの爆撃でも、このような光景がさらに広がっていると思われます。
・米軍の爆撃で直径十数メートルの大穴が開いていました。幸い、奇跡的に犠牲者は出ませんでしたが、ここにあった民家は完全に破壊されてしまいました。
・これはばらばらになった冷蔵庫です。
・米軍はイスラム教徒にとって最も神聖なモスクをも爆撃で破壊してしまいました。
・これはイラクだけではなく、世界のイスラム教徒にとって衝撃と怒りを増幅させる結果となりました。

・この爆撃によって多くのファルージャの一般市民が犠牲になりました。
・この家は、米軍の攻撃が始まって数日後の4月8日の夜中、午前3時ごろに突然、戦闘機からミサイルを撃ち込まれ、母親と2人の幼い娘が亡くなりました。
・父親のジュマ・ハッサン(34)さんです。
・この写真の左端の少女が6歳のワファちゃん、右端がその妹ザハラちゃん、4歳です。ミサイルの落下地点の近くで眠っていた2人は、頭と胸に重傷を負い、救急車で運ばれるときに息を引き取りました。
・2人の姉妹が大切にしていた人形が残されていました。
・母親のメアドさん、25歳です。メアドさんは2人の娘に添い寝をしていました。ミサイルの破片でメアドさんの身体はずたずたにされていました。

「妻は両脚が切断され、左腕はなくなっていました。顔も口から左側が裂けていました。また頭の中に爆弾の破片が入っていました。2日後に亡くなりました」

・突然の爆撃で、ハッサンさんは、妻と2人の娘、つまり家族全員を失いました。

・ファルージャへの入り口アスカリ地区に住むザヒーハ・オベッドさん(45)は、米軍の狙撃兵に2人の子供を殺害されました。
・オベッドさん一家は、米軍に包囲された地区から避難するために、家族全員、白旗を立てた車に乗って脱出しようとしました。
・しかし家を出た直後、数十メートル離れた家の屋上にいた狙撃兵から銃撃されました。
・後部座席に乗っていた15歳の少女と8歳の少年が頭を撃ち砕かれました。

「息子は2発の銃弾を受けていました。1発はここで、もう1発はその下でした。飛び出した脳が私の手と脚に流れでてきました」

・フワイダはとても賢くて、高校3年生の最終試験を受けるために写真を撮って送ったばかりで、試験を楽しみにしていました。
・ラスールは小学校1年生で、車で避難する直前、「サラダが食べたい」と言い出しました。母親のザヒーハさんは、「道路が開放されたら、マーケットで野菜を買ってサラダを作ってあげるから」と答えました。
「今は寝ていても、座っていても、何をしていても、子供が私の膝の上で血まみれになって横たわっている光景を思い出します」

(Q・米軍にどんな感情をもっていますか)
「米兵を捕まえたとしても、私に何ができるでしょうか。切り裂き、引き裂きさいてやりたい・・・・でも私に何ができるでしょうか」

・米軍の空爆により、一族31人が殺害される事件も起こっていました。
・攻撃が始まって3日目の4月6日、この家には米軍の攻撃を逃れて、親族41人が避難していました。
・幼い乳児も含むたくさんの子供たちや女性たちが米軍の戦闘機によるミサイル攻撃で爆撃され、殺されました。
・これは瓦礫の下から出てきた血まみれの毛布、頭の皮がついたままの女性の髪、そしてこれはミイラ化した子供の足の一部です。

「2発のミサイルが天井に撃ち込まれ、避難していた女性や子供たちの上にその天井が崩れ落ち、ほぼ全員が死んでしまいました。赤ん坊ともう1人の子供だけが生き残りましたが、その子は片目を失ってしまいました」

「弟は片脚を切断されました。助かった赤ん坊は生後6ヵ月の女の子です。ここにいた20人が殺されました。女性と子供たちだけでした」

・他にも投下されたクラスター爆弾で、10人近い男たちが殺されました。生き残った者たちも重傷を負いました。
・瓦礫の中から全員の遺体を取り出すのに2日間もかかりました。遺体の多くはばらばらになっていたため、身元確認が困難をきわめました。髪や服の色を頼りに確認するしかありませんでした。


・ファルージャ市の郊外です。こののどかな農村部で米軍の攻撃によって13人が殺害されたという情報は、当初、信じられませんでした。
・ここが、事件が起きた農家です。一見のどかなこの農家の敷地の中に入ったとき、私の疑いは吹き飛びました。
・数軒の家の大半が、爆撃と戦車の砲撃によって破壊されていました。

「戦闘機からのミサイル攻撃で、この部屋は破壊されました。ここには武装勢力などまったくいなかった。ただ家族だけでした」

・この部屋では眠っていた13歳の少女が殺されました。
「これがその娘の血です」
「娘の母親は手の甲の肉をえぐりとられ、顔や首にも大やけどを負いました」

・この農家の主人、ハイテムさんによれば、4月24日の未明、米軍に包囲され、突然、空と陸から激しい砲撃が始まったというのです。
・翌朝、爆撃と砲撃が収まってから、米兵がここへ捜索にやってきました。

「これは殺された兄の財布です。米兵がこの部屋にやってきて、この財布の中から兄の身分証明書とおよそ350ドル相当の金を奪ったのです」
「これは私の兄ユーセフの血の痕です」

・これは血の固まったものです。
・この農家の住民が殺されたのは建物の中だけではありませんでした。
・弟の一家が爆撃を避けてこの川の中へ逃げこました。しかし破片が飛び散る爆弾(クラスター爆弾?)がすぐ近くに落とされ、川の中で26歳になる弟アリとその娘、6歳のザハラ、4歳のグフランが殺害されました。妻も重傷を負いました。
「ここは田園地帯で、武器を持って戦う者はだれもいなかったのです」とハイテムさんは言います。
・通常、攻撃をして反撃がなければ、攻撃は止めるものです。しかしまったく反撃がなかったのに、攻撃は午前1時過ぎから午前5時まで続きました。

・この中庭には、32歳の母親と5人の幼い子供たちがマットレスを敷いて寝ていました。
・この家族は攻撃の激しいファルージャから避難していたのです。
・これは血の痕です。
・母親と生後6ヵ月になる乳児以外の4人の子供は即死でした。母親はとっさにその乳児を洗面所に運び、他の子供を助けようと再び外に出てきたとき、次の攻撃で殺されました。
・子供たちの遺体はほとんどその姿をとどめず、中庭一面に頭や手足、肉片が散乱していたといいます。
・この中庭にミサイルが命中しました。
・これは壁にたたきつけられた肉片と血の痕です。
・これは2歳のイブラヒムの手の皮膚です。
・イブラヒムの遺体はばらばらで頭は庭の隅に転がっていました。まるでナイフで切ったように首が切断されていました。後頭部は切れてなくなっていました。
・脚は3日後にやっと中庭の隅でみつかりました。

・翌朝やってきた米軍の将校は、ここには武装勢力がいなかったことを知り、「アイアム・ソーリー」(済まなかった)と言って立ち去りました。

・事件から20日ほど過ぎたこの時も、負傷した家族がテントの中で横たわっていた。
・このテントはファルージャのイスラム党から支援されたものだ。
・弟のバラカット(25)さんは爆撃で右腕の肉をえぐり取られた。負傷した翌朝、米軍の病院で応急手当を受けましたが、その後、ファルージャの病院に引き渡されました。
・もう1人の兄弟、ユーセフ(31)はほおの肉をえぐり取られ、。あごのつなぎ目の骨も砕かれていました。

・ファルージャの街は25日間、米軍に包囲されたために、ユーフラテス川の対岸にある総合病院まで負傷者を運ぶことができませんでした。
・そのために、このような会議場も臨時の“病院”になりました。
・このように簡易ベッドが並べられ、負傷者たちの応急手当がここでなされました。
・包囲が解除されて10日ほど経っても、まだ当時使われた医療品などが残っていました。

・病院の統計によれば、25日間の米軍の包囲と攻撃で、住民の死者は731人、負傷者は2847人となっています。その死者のおよそ25%が子供、他の25%が女性でした。
・家が爆撃などで破壊されて犠牲になった一般市民が圧倒的に多かったからです。

・包囲された街で医療活動の中心となったのは、街の中心部にある小さな診療所でした。
・米軍によって電気も水道も切断されていました。この診療所は治療に不可欠な電気を確保するために、発電機はフルタイムで稼動し続けていました。
・遺体は入り口付近に置かれて、5体か10対になると、ボランティアたちが、車で墓地へ運んでいきました。
・遺体の数が15体、20体になると、横に並び積み重ねておかれました。遺体は白い布でくるまれました。

・ここは手術室となった部屋です。
・診療所の廊下にも6つのベッドが並べられました。
・ここには4台のベッドが置かれ、この部屋にも4台のベッドが
詰め込まれました。
・患者や医療関係者の食事を用意するために、中庭が調理場になりました。
・歯の治療をするこの部屋は、食料の倉庫になりました。

「ここにはシャワールームも十分なトイレもありませんでした。設備の整った病院とは違い、ここはただの診療所だったからです。水道もありませんでした」

・米軍は救急車にも攻撃を加えていました。救急車が銃撃を受け、運転手が射殺される事件も起きました。
・これは戦車からの攻撃を受け、破壊された救急車です。このような医療活動の妨害も、犠牲者を増やしました。

・ファルージャで最も設備の整った総合病因はユーフラテス川の対岸にあり、米軍の包囲下ではだれも近づくことができませんでした。
・包囲が解除されてから10日ほど経ったこの頃には、米軍攻撃による負傷者たちがこの病院に収容されていました。

・この12歳の少年は休戦後の5月4日、米軍の狙撃兵に銃撃されました。
・銃弾によって股関節を砕かれ、ペニスと睾丸を失っています。
「この骨が骨折し、神経も切断されている。ペニスも睾丸も奪われています。

・付き添っている叔父の話によれば、1週間前、米軍が休戦を宣言したとき、この少年は銃撃が収まったかどうか確かめるために外に出たところを狙撃兵に撃たれました。
・この少年は、男性の機能を完全に失ってしまいました。

・この15歳の少年は脳に爆弾の破片を受け、目以外、全身がまったく動かない状態になっていました。
・レントゲン写真には、脳の中に破片が点在しているのが見えます。
・母親によれば、1ヵ月ほど前、この少年は空になった調理用のガスボンベを交換するために、肩にかかえて外に出ていったといいます。その途中で米軍の爆撃の破片を頭に受けてしまったのです。
・食べ物を食べることもできず、鼻から入れられたチュウブで流動食を流しこんでいます。
・もう治療のほどこしようがないと医者はいいます。

・母親は私に、日本で治療ができないかと訴えました。

・ファルージャ市の中心部にあるサッカー場は集団墓地になっています。
・米軍に街を包囲されて街はずれの墓地に埋葬できなかったために急遽、このサッカー場に集団墓地が作られたのです。
・その数を数えた新聞記者によれば、その数は500に達しているというのです。
・この墓地だけでおよそ500体ですから、ファルージャの犠牲者が700人を超えているという報道は決して誇張ではなかったのです。

・これは9歳の少年の墓で、手だけが発見され埋葬されていました。

・これは5歳と7歳の姉妹が埋葬されている墓です。

・これは戦闘機の爆撃で、3歳の子を抱いたまま死んでいた母親の墓です。母親の墓に抱かれるように、側に小さな子供の墓が並べられていました。

・爆撃で身体がばらばらになった3人の子供の肉片をまとめて埋めた墓です。小さなその墓の墓石には3人の子の名が記されています。

・この老人は、2人の息子を爆撃で失っていました。

・大学生と高校生だった2人の息子は親戚の3人の青年たちと自宅でお茶を飲んでいるとき、戦闘機の爆撃を受け、5人の青年たちは即死したということでした。

・私が日本人だと知った住民の1人が、激しい口調で訴えました。
「イラクに軍隊を送る国はアメリカと同様、犯罪者です。私たちはどんな国の人も受け入れるが、軍隊だけは絶対送らないでほしいのです。軍隊を送る国はどこでも、私たちたちの敵です。日本の軍隊は私たちの敵なのです。彼らは犯罪者アメリカのパートナーなんですよ。イラクに必要なのは再建であり、軍隊ではありません。

「アメリカは我われに自由や民主主義をもたらすと約束しました。いったいそれがどこにあるというのですか。多くのイラク人が家族を失い、家を失っている。サダム時代と変わらないではないですか。
「日本の軍隊もアメリカ軍と同じです。なぜ日本の政府はいつもアメリカに追随するんですか。どうしてスペインのように軍隊を撤退しないのですか」

・9月以降アメリカ軍によるファルージャ攻撃は一層激しくなりました。しかしその報道は、その犠牲者の数が断片的に報じられ、『アルカイーダのザルカウィ派の拠点を攻撃した』というアメリカ側の発表がそのまま伝えられるだけです。

・しかし私は、4月のファルージャ攻撃の時と同様に、あの爆撃によってたくさんの一般市民が犠牲になっているに違いないと思わざるをえません。
  END

◆マスメディアの問題-“犠牲者の顔”が見えない

 皆さんは、最近、新聞の片隅でよくごらんになると思います。「ファルージャ攻撃8人死亡」。「アルカイーダの拠点爆撃」。しかしその爆撃の下でやはり映像で見ていただいたようなことが続いているとおもいます。4月のアメリカ軍の攻撃のときも、新聞の見出しのようないわれかたをずっとされていました。しかし実際、中に入ってみるとこういう状態だったのです。
 問題なのは犠牲者の顔が見えないことです。私たちは人の死を数で数えてしまう。そしてその一人一人の遺族の痛みをわれわれは何も感じることがない。

(日本の人質事件をめぐる違和感)
 私は、日本の人質問題を考えるときにどうしても違和感を感じてしまいます。今年の4月、3人の日本人人質事件が起こったとき、日本のマスメディアはトップニュースで伝えました。連日、新聞もテレビも3人がどうなったのか、生きているのかどうか、些細な情報も克明に伝え、日本全国の人々も3人の生命を案じました。もちろん、その反動として「自己責任」論の話もありましたが、多くの日本人は何とか生きてほしいと、3人の生命を心底心配したとおもいます。
 しかし、同じ時期にファルージャではこういうことがおこっていたのです。そのことに対して報道はあまり克明には伝えませんでした。日本の中で700人の住民の死に対する大きな抗議運動が起こったでしょうか。3人の命をあれほど大切にする私たちが、700人という、何百倍という人の命の重さを想像したでしょうか。私は今回の香田さんの事件に対しても、どうしても違和感を感じてしまいます。もちろん一人の青年が殺されたことに、私も一人の人間として痛みを感じます。しかし同時に、今、何百倍という人が、あすこで殺されていることに、私たちは同じような痛みを感じきれるでしょうか。僕は自衛隊の問題も、イラクの戦争の問題も、日本人の人質事件でしか語れないことに、もどかしさを感じてしまうのです。
 なぜ私たちはイラク住民の700人、いやこれまでの戦争とそれ以後の犠牲者は10万人にもなるといわれています。しかし、なぜ私たちは数でしか人の死を感覚できないのでしょうか。なぜ一人一人の命の重さを想像することができないのでしょうか。それは私たちメディア、ジャーナリストの責任であると思います。やはりあのひとたちの等身大の痛みを伝えきれていない。

(本多勝一氏の「戦場の村」)
 私は40年前に、ベトナム戦争時代に一つのルポルタージュのことを思い出します。みなさんがまだ生まれていなかった頃です。朝日新聞に本多勝一という記者がいました。彼が、今単行本の「戦場の村」という本になりましたけれども、彼は朝日新聞で1967年か8年だったかと思いますけども、ベトナム戦争と民衆の状況を90何回にわたって連載をしました。彼はその連載の前半でサイゴンの市民、山岳民族の人々、それから漁民、そういう人たちの生活を本当に淡々と、まるで文化人類学のレポートを読むような錯覚を起こすほど、その人たちの生活を克明に描きました。浮気が原因で夫婦喧嘩で悩む夫婦、子どものことで喧嘩する親、そういう何でもない日常生活を彼は淡々と描いたわけですね。そうするとあのベトナム戦争の最中ですから、いろんな批判が出ました。『戦争によってこんな大変なことがおこっているときに、何でこんなに地味な、生活だけを淡々と描くんだ、何でこんなものを何回にもわたって連載するんだ』という声がおこりました。しかし、それは本多記者が計算していたことなんですね。4章まで淡々とさまざまな民衆の生活を描いた後で、第5章の『戦場の村』という章で彼はその人たちが戦場でどうなっているかを、具体的に書いていきました。 アメリカ軍の爆撃で全身に破片が突き刺さり、血だらけになった少年、為す術もなく、ただ涙を流しながらじっとみつめる母親・・・・
私たちジャーナリストは、今、そういう作業がイラクにしてもパレスチナに対しても必要ではないかとおもいます。私は以前、早稲田大学の国際問題研究会で講演したとき、『国際問題は勉強しなくてもいいんじゃないですか』と言いました。勉強することよりも感じてほしい。何年の何月何日に何が起こったじゃなくて、モハマドさんがこういう被害を受けた、イマードさん娘が首を切られて死んでしまった、私の娘だったらどうしよう、こういうことを想像することが必要ではないかと思うのです。そのための素材を私たちジャーナリストが提供していかなくてはいけない。しかし、なかなかそれはできていない。それはやはり私たちジャーナリストの責任もある。しかし、皆さん方にも責任はあると思うのです。私たちは数で知って何か分かったような気になっている。私は『イラク問題』とか『パレスチナ問題』とか『問題』をお勉強して済ましてほしくないのです。人です。同じ人間ですよ。今回、新潟の地震であれだけの人がホームレスになっている。一方、パレスチナで起きていることも私たちはテレビで見ます。新聞で見ます。しかし、私たちはパレスチナのガザ地区にあるラファで毎日のようにイスラエル軍に家を破壊されて家を失って行き場もなくなっている人たちのことを想像することができるでしょうか? 5月に起こったイスラエル軍の大侵攻の時ときに70数人が殺され500件を超える家が壊され、3000人以上の人がホームレスになりました。まだ新潟の被災者たちには、助けてくれる政府がいる。みなさんからの救援が届く。マスコミは報じてくれる。しかしパレスチナのラファの人たちは誰も助けてくれません。援助してくれる政府もありません。世界のメディアも大きな事件以外、ほとんど報じてくれません。そして怒りを抑えきれずパレスチナ人が牙を剥くと、世界は彼らを「テロリスト」と呼びます。
私はここで『イラク問題こうなっています』とか『パレスチナ問題こうなっています』という話を皆さんたちにお伝えたいしたいとも思わないし、それが私の役割ではないとおもっています。それよりも『モハマドはどうなっているのか』『ファトマはどうなったのか』というふうに、現地の人々のことを等身大で皆さんに伝えることです。それによって今日、皆さんが何かを掴んで帰ってくださればと思います。ありがとうございました。

Q1 僕もイラク攻撃始まって以来、こういうことが行われていたんだなぁということで、本当にイラク攻撃は許せないなぁと思っていたました。しかし僕が愛知大学のクラスとかで「イラク攻撃について反対していこう」とか呼びかけてみたりしますと、クラスの人は「フセインを倒すためには必要なんじゃないか」といった意見がでます。僕はさっきの映像とか見てると本当にそんなのは言えないなぁと思うんですけれども、こういう意見について土井さんはどのように思われるでしょうか?

A1 私はサダム・フセインがよかったなんて言うつもりは全くありません。ただ、多くの国民を抑圧し、殺害してきた、それに対して私は彼を弁護する気もないです。ただ、ああいう形でアメリカが他国を軍隊で蹂躙したこと、「あの連中はアメリカにとって危ないから」という理由で、ああいう風に大量の人々を殺してサダム・フセインを追放する。自分の国ではない、他国でそんなことをする権利があるんでしょうか。自国の国民が、クーデターなどによってサダム・フセインを倒したというなら、それは理解できます。でも他国の軍隊が『大量破壊兵器があるから』とか『アルカイダとの関係があるから』とかいう、今では全く根拠のなかったことを口実に挙げてイラクを侵略したのです。イラク攻撃は9・11直後からもう戦争の計画が始まっていたのです。『イラクは危ない』という。しかし誰にとって危ないのか、本当に危機だったのか? 今から見てみれば、アメリカにとってそれほど危機じゃなかったわけです。それを今では「イラクを民主化するため」という口実をあげている。そんなものはよけいなお世話です。どうしてそんなことを他国の軍隊があれほどの住民を殺してやる権利があるのでしょうか。私はそれに対して非常に怒りをもっています。私はサダム・フセインを弁護するつもりはない。しかし、ああいうやり方は私は絶対に認められません。

Q2 今日は名古屋大学から伺いました。今日は講演ありがとうございました。肉片がこびりついた扉の映像を見て、二日間かけて肉片を集めたという住民の話をビデオで耳にしまして、どういう思いだったかを僕も想像しないといけないなと、非常にこの日本にいてわからないことを想像しないといけないということを土井さんの話を聞いて思いました。質問ですが、私は名古屋大学で社会科学研究会おいうサークルをやっていまして、そこで1年生の疑問から「アメリカの民主主義っていうのは何なのか?」というのを考え始めています。そもそもアメリカ国内では貧富の格差とか差別とかが起こっている、これは一体何なのかということを考えています。今とりわけ自由とか、平等とか言われるけれども、果たしてこれがアメリカの人々、労働者にとって何なのかということを考え始めています。土井さんのブックレットを僕たちも検討しているんですけれども、あとがきの中で土井さんが「ブッシュ大統領の自由、民主主義というのは何と虚ろに響くことか」というふうに言われていまして、ここで土井さんが言われていること、現地で感じられたことがあると思うんですけれども、土井さんはアメリカのブッシュが言う「民主主義」というのをどう感じられるかというのを聞きたいと思います。よろしくお願いします。

A2 みなさん、この中にマイケル・ムーアの「華氏911」ご覧になった方いらっしゃいますか。いらっしゃいますね。それから「ボウリング・フォー・コロンバイン」、あの映画もご覧になった方はいますね。私はあの映画を見れば、私がとやかく説明するよりも、アメリカの社会構造とはどういうものか、アメリカのいう民主主義というのはどういうものなのかがよく見えてきます。誰がイラクに兵士として送られているのか。何であれほどの社会格差が生まれているのか。兵士を送り出す決定をする政治家たちの一体どれくらいの息子がイラクに送られているのか。このアメリカのもっている矛盾した社会・政治構造というものをものの見事に描いてます。あれをご覧になって下さい。本当にあれは強烈です。やはり日本のジャーナリストの中にああいう日本の社会の矛盾構造を描ききる人がまだいないというのが、日本のジャーナリズムのレベルの低さかなという気がします。あれほどのドキュメンタリーを作る人がまだいない。日本の自衛隊のイラク派遣に反対というのはいいけれども、あの自衛隊の人たちがどういう人たちなのか、日本の持てる層と持たない層との格差によって何が生まれているのか。私たちは『日本は自由で民主的な国だ』という前にやっぱりそういう日本社会・政治の矛盾構造を描いてみる必要があるような気がします。
私は、アメリカの『自由』とか『民主主義』というのを本当に信じられません。先ほどの質問の答えになってないかもしれませんが。
まもなくアメリカの大統領選挙の結果がでます。アメリカのブッシュを支えているのは誰か。キリスト教原理主義者、いわゆる福音主義者これが今アメリカのブッシュを支えている大きな基盤の一つです。僕は本当に信じられない。彼らはブッシュと、彼がやる戦争を支持しているわけでしょ。私はキリスト教というのは「人を殺すな」っていうのが原点だと信じ込んでいました。しかし、彼らはイラクでのこういう殺人を支持しているのです。いったいキリスト教とは何なんでしょうか。そういうアメリカ社会がもっている矛盾。経済的な構造、そういうところからアメリカ社会を見ていかないといけないと思います。まさにあのマイケル・ムーアが描いたような社会構造の矛盾、あのあたりから『アメリカの民主主義というのは何なのか』という問いかけをしていかないといけない。大統領選挙が公正に行われていますとか、アメリカのメディアはすごいって言ったって。アメリカ中西部の人たちの中には、中国がどこにあるかも知らない人も少ないないという。いったいアメリカのメディアや教育は何を教え伝えているのかと思いますよね。
私は岩波ブックレット『米軍はイラクで何をしたのか』の「まとめ」に書いていますが、アメリカは自由を世界に広める使命があるといいます。自由は神から送られた贈り物であり、それを広めるのはわれわれ最強国アメリカであり、それはわれわれの義務であると。いらぬおせっかいです、そんなものは。あなたたちの言う『自由』というのは、あなたたちの思うままになるっていう意味の『自由』でしょう。それがイラク人にとっての『自由』なのですか。石油を自分たちが自由に搾取できるっていう『自由』なのでしょう。自分たちの命令を従順に聞く政府ができることが、アメリカのいう『自由』なのでしょう。でもそれはイラク人にとって『自由』なのですか。われわれが『自由』とか『民主主義』とか言うとき、それを強い立場にある人間が弱い立場の人間に強制するとき、それらがどういう意味なのかをちゃんと私たちは必ず見ていかないといけない。イスラエルは『民主主義の国』だという。しかしパレスチナのあの占領地でイスラエルがやっていることをみれば、何が『民主主義の国』なのか。だから私たちは、誰がどちらの立場からものを見ているのかを見定める必要がある。私はやはり、一番底辺の人々の視点からものを見ていかなくてはいけないと考えています。

Q3 講演ありがとうございました。イラクへの自衛隊派兵についてですけど、日米関係を損なわないために重要なことであり、簡単には撤兵はできない。という人が一部いますが、土井さんはそのことに関してはどのようにお考えでしょうか。

A3 だからこそ、私たちはストップできるときに必死になって止めなければいけなかった。走り出すとこういうふうに既成事実をもとにしてどんどん前に進んでしまいます。今、日本の軍国化がどんどん進んでいます。今止めておかないと、もうここまできてしまったんだから後戻りできないんだという論議で突っ走られる可能性が非常に強いと思います。私たちは、そういう状況をきちんとやっぱり見張っておかないといけない。皆さん、あなたたちはまだ大丈夫かもしれないけれど、あなたたちの子供たちの時代には徴兵制になっているかもしれませんよ。イラクの自衛隊派遣だって、今からでもできないことはない。スペインだってすぐ撤退したではないですか。やろうと思えばできますよ。ここまで来たのだから、もう引き返せないという論理は、為政者の論理です。そんなこと絶対にありえないと私は思います。今、引き返さないと、とんでもない方向に行く気がします。
さっき私は自衛隊派遣に対するファルージャの市民の声を紹介しましたけど、みなさんがよく聞かれるサマワの話とは違いますよね。サマワでどういうことが報道されたかと言いますと、とくに読売系の新聞やテレビでは、『一般市民が、ほらこんなに水を得られるようになりました』とか、『道路がこんなになりました、学校が始まりました、本当によかったです』という市民の声が強調して伝えられる。すると、視聴者や読者は『ああ、やっぱりこういう支援をしているんだ。イラクでは歓迎されているんだ』というイメージをたたき込まれていきます。しかし、考えてみて下さい。サマワというのは、私の故郷、佐賀県、その県庁所在地の佐賀市は十数万人の人口です。おそらくサマワってその程度だと思いますよ。その佐賀の人間がたまたま自衛隊などの恩恵をえたから、「自衛隊はイラクに来てよかった」と言ったとしますよ。しかし、それは日本全体の声としてわれわれは受け入れることができるでしょうか。それをイラク全体の声として普遍化できるのでしょうか。
ファルージャのようにアメリカ軍の攻撃を直接受けた住民からは、私の映像の中のような声が出てる。人質事件などもアルカイダがやっているとかいう議論がなされますけど、根底にあるのはこういう民衆の怒りの声があるのだということは私たちは覚えておかなくてはいけない。あれほど親日的だったイラクの人たちを反日に変えつつあるのです。
先ほど誰かがおっしゃっていましたけれども人質事件で真っ先に小泉首相は「自衛隊は撤退しない」と宣言した。私は、当たり前だと思いますよ。彼の目は国民に向かっていないです。ブッシュに向いているのですから。アメリカに「私はあなたに従順です」と言わないと小泉首相は自分の役を果たせないわけでしょ。そりゃあ、あいう言葉は当然でてくるだろうと思いますし、別に私は驚きもしませんでした。小泉首相は、人質事件が起きたとき、真っ先にアメリカのブッシュ大統領に対して『自分はあなたに忠実ですよ』ということを知らせなければならなかった。
もう一つ私は『復興』という言葉の欺瞞に、非常に怒りを感じます。自分で壊しておいて復興というのはどういうつもりなんでしょうか。あれは弁償です、補償ですよ。どうして『復興』などという言葉を使うのでしょうか。それは破壊したアメリカが当然イラクの国民に対してやるべきことです。それをどうして他国に押しつけるのでしょうか。日本は、アメリカの攻撃に加担したのですから、『復興支援』しているのではないですよ。『弁償』すべきです。そのことを私たちは頭に置いておく必要があると思うのです。

Q4 ぜひ教えてもらいたいのがありました。パレスチナや今のイラクでもそうだと思うのですが、アメリカ軍とかイスラエル軍の軍事力と闘う人々がテロリストだと言われていることは、私はおかしいと思うんです。闘っている相手は、数百倍というアメリカの軍事力やイスラエルの占領で、それに対して体張って立ち向かう勇気は私はすごいなぁと思うのです。しかしそれを『テロだ、テロリストだ』と言われているのを聞くと、『ではみんなが悪い人だとみなすと、殺しても構わない』みたいな論調があります。私は反論しないといけないと思っているのですが、頭だけで考えることが先行してしまって、なかなか実感込めて、『そんな議論はおかしい』と言えないところがあります。土井さんはよくパレスチナに行かれているというのを聞きました。パレスチナでは、『ハマス』は、僕が知る限りでは、慈善活動を行い、本当に民衆の側に立って活動をしているということでした。私はそれを聞いて、すごいとことだなあと思ったのです。テロリストだと言われているハマスの真実の姿、どういう思いで体張って闘おうとしているのか、その彼らの思いなどについて土井さんが現地で取材して実感したことを教えていただきたいと思います。お願いします。

A4 質問された方がっかりされるかもしれませんけど、私には『テロ』という言葉について、自分なりの定義をもっています。『テロというのは、政治的な目的のために一般市民を標的にし攻撃すること』という定義です。これに従えば、パレスチナ人が自爆攻撃でバスを爆破することもテロです。これは否定できない。ただ、占領された人間がイスラエル軍に対して武力で抵抗することはテロではない。占領されたイラク人がアメリカ軍に向かって抵抗している。これもテロではなく、武力による抵抗活動(レジスタンス)です。これは国際法でも認められた抵抗権です。その違いをきちんと識別しなければいけない。私はパレスチナ人が自爆攻撃でバスを爆破することは『自爆テロ』だとはっきりと書きます。それはテロだからです。
一方、一般のマスメディアはどういう報道の仕方をするかというと、『パレスチナ人が自爆テロをする。それに対しイスラエル軍が報復する。つまり暴力の連鎖だ』という。しかし、その中で、足を踏まれている、つまり占領されているという“構造的なテロ”に対しては一言も言及しない。私はその構造をきちんと見て伝えなければいけないと思います。
一方、先ほどファルージャで怒った民間人への無差別攻撃は、テロではないのでしょうか。バスへの自爆攻撃を『自爆テロ』と呼ぶのなら、なぜ『国家によるテロ』をテロとはっきりと表現しないのでしょうか。あれは間違いなく、“国家テロ”ですよ。この言葉をマスメディアの中に広げていかないければいけない。「ファルージャで米軍の爆撃によって8人死亡」と書くのではなく、「爆撃の国家テロによって8人死亡」と明確に表現すべきです。

Q5 ありがとうございました。今の話と関係するのですが、運動の中で『戦争もテロも反対』というスローガンがあります。それ『テロ』という言葉の定義がはっきりしないという問題がある一方、戦争をやっている側と踏みつけられている側の抵抗を同じく『テロ』として見ている傾向があると思います。そのような『戦争もテロも反対』というスローガンについて土井さんはどうに思われるか。

A5 例えばイラクの武装勢力が、警察官や兵士になる募集に応募して列を作っているところに爆弾を仕掛けて殺害するようなやり方は、私はテロだと思います。応募して列を作っている青年たちに、そうするなと言うのなら、彼らはいったいどうやって生活していけばいいのですか。仕事を求める一般市民ですよ、彼らは。それに対して、爆弾を仕掛けてやるというのはこれはテロ以外のなにものでもない。私は絶対、このような行為を擁護できません。しかしザルカウィ一派がアメリカ軍に向かってそういう攻撃をするときは、私はそれをテロだと思わない。ただ私には一つ分からないことがあります。ザルカウィ一派、アルカイダは『テロ組織』と呼ばれている。私の連れ合いが、『アルカイダの人たちの仕事って何でしょうね』って私に聞くわけですよ。『人を殺すことが彼らの本来の仕事なんでしょうかね』と。どうなんだろうね、と二人で考え込んでしまいました。私はまじめにアルカイダの人に訊きたいですね。『あなたがたは、最終的に何がしたいんですか。何が目的なんですか』と。
 私はアメリカ軍との闘いをテロだと思いません。そういう抵抗活動を行っている人たちを『テロリスト 』と断定できるのだろうか。アメリカ軍の侵略や占領と闘っているのなら、『テロ組織』ではないのではないか。『テロ』とは何かということを真剣に見直す必要があると思います、どういう場合が『テロ』で、どういうものが『テロ』ではないのかを。『テロリストとの闘い』『反テロ』といえば、なんでも許されてしまう。その『テロ』という言葉の曖昧さをブッシュたちは利用してしまっている。自分が気に食わないもの、自分たちの利益に反するものを『テロリスト』と呼べばいいわけですから。『反テロ』と宣言してやってつければ、それは『テロ』ではなく、『俺はテロリストをやっつけてるから、いいことしているのだ』というふうに世界に説明してしまうわけです。だからアルカイダとは一体どういう組織なのか、何を目的に闘っているのかを、本当にジャーナリストは取材すべきだと思いますよ。できることなら、私は、本当にビン・ラディンに会ってその点についてちゃんと話を聞きたいと思います。

Q6 僕も名古屋大学から来ました。あのブックレットを読んで、とくに先ほどのファルージャの映像も見せていただいて、日本人も軍隊を送ったら敵なんだと現地の人が言っている。それを僕らが許してしまっているということが非常に悔しいのですが、ファルージャの人たちはすごいと思いました。土井さんが取材で入ったのは米軍の攻撃の後ですよね。ファルージャの人々は土井さんのブックレットに書かれているように、米軍の攻撃を跳ね返し、米軍を叩き出すという闘いをやった人たちなんですね。それを非常にすごいなと思って土井さんのブックレットを読みました。あのように住民が武器をもって闘ったのだということを初めて知りました。土井さんが現地で取材して感じたこととかあったら、教えていただきたいのですが。もう一つ、僕たち日本が軍隊を送ったら敵だと言ってるようなイラクの人たちに信頼してもらうために僕らは何をすればよいのかについてお願いします。

A6 それはやはりとても大事な問題ですね。私のブックレットの中に高校の教師が私のインタビューに答えて、「アメリカ軍と闘ったのは、われわれ一般市民なんです。病院の関係者だったり、教師だったり、生徒だったり、われわれの町を守るために闘ったんです。アメリカはアルカイダだとか言うけれどもわれわれはアルカイダなんて見たこともない。アルカイダがいたとしてもスーパーマンではないのです。一人か二人、アルカイダがいたからといって戦況が変わるものではありません。私たちファルージャの住民が闘ったのです」と答えています。私はこの言葉はとても重いと思います。しかしメディアは今イラクで起こっていることを、『アメリカはアルカイダの拠点をたたいた』、『ザルカウィ一派に対する闘いなのだ』というふうに報道しています。でも皆さん、不思議だと思いませんか。ザルカウィがいたと言っているけれどもザルカウィの顔も見たことがないでしょう。ザルカウィの手下を拘束したという報道がある。それなら、その人物をちゃんと出して、アルカイダやザルカウィが実際、ファルージャにいるという証拠を出すべきなのに、なぜかそれが出てこないのか。酒井啓子さんだったでしょうか、テレビで発言していましたが、『ザルカウィという人物の存在は、大量破壊兵器と同じではないでしょうかね。いるいるって言って本当はいないのではないか』と。その可能性はじゅうぶんあるわけです。私自身、ザルカウィ、ザルカウィとしきりにアメリカが強調するけれど、本当にいるのかなと疑っています。その点は私たちはもう少し慎重にならなくてはいけないのではないでしょうか。『ザルカウィの拠点を叩いた』といわれて、簡単に『ああそうですか』と納得してはいけないのではないか、そういう気がするのです。
一方、現在、ファルージャで実権を握っているムジャヒディン(イスラム聖戦士)たちも、「アルカイダやザルカウィはファルージャにいない」と言うのだったら、ちゃんとジャーナリストを入れて、そのことを見せればいいのに、逆に「ジャーナリストはまかりならん」と言っている。そのようなやり方は非常にまずいとおもいます。私がファルージャを取材して一週間後に『一切のジャーナリストはファルージャに入っていけない』という通達が出た。私たちは、『やはり、ザルカウィが実際、ファルージャにいるために、見せたくないのかな』と疑ってしまう。なぜそれほど見せたくないのか。たしかには、ジャーナリストを名乗ってアメリカのスパイが入るのが怖いということもあるでしょう。実際、そういうこともあるのです。私がファルージャを取材していたころ、あるレストランで食事をとっていたイタリア人がムジャヒディンたちに囲まれて連行されました。幸い、本当にジャーナリストだということが分かって解放されましたけど、それほどジャーナリストと名乗って入ってくるスパイに彼らは神経質になっています。
でもいちばん重要なことは、は誰が一体あの爆撃の下で殺されているのかということです。アメリカが主張するように、爆撃で殺されているのは本当にアルカイダの連中なのか、そのことを私は今、一番知りたいです。現在、イラクに入れたら入りたいのですが、今入国ビザがなかなか取れません。香田さんの事件が起きて一番驚いたのは、彼はどうやって入ったんだろうということでした。今私たちの仲間の森住卓というカメラマンも、9月初旬にビザを申請したのですが、まだ取れません。今ジャーナリストがイラクに入るのがとても難しい状況です。現在、バグダッドにいるNHKと共同通信の人たちも外を取材するのが危険なために、ほとんど部屋を出られない状況です。そういう中では、自分たちで取材もできないため、現地のスタッフを現場に送って情報をもらって書いている。そうせざるをえない状況なのです。本当は実際に私たちが現場へ行って、自分たちの目で実際、確かめてみたいのですが。

投稿者 doitoshikuni : 2004年12月24日 12:54

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