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  <title>土井敏邦 サイト更新情報</title>
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<dc:creator>土井敏邦 サイト更新情報</dc:creator>
  <description>ジャーナリスト土井敏邦のサイト更新情報</description>
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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080824.html">
  <title>日々の雑感 111：パレスチナ映画『沈黙を破る』を編集中</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080824.html</link>
  <dc:date>2008-08-25T13:39:25+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[
<h1>日々の雑感 111：<br />
パレスチナ映画『沈黙を破る』を編集中</h1>

<p>2008年8月24日（日）</p>

<p>　ほぼ半月、八ヶ岳の山荘にこもってドキュメンタリー映画の編集作業を続けた。パレスチナ・ドキュメンタリー映画4シリーズの4本目、『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る占領─』（仮題）を来春、劇場公開する予定だ。残りの3本は、その劇場公開に合わせDVDとして同時発売していこうと考えている。なぜ4本目が劇場公開なのか。当初、4本をシリーズで順次、劇場公開することも考えたが、“占領”の構造を丹念に描こうと思えば、出稼ぎ労働、農業や工業の従属化など、地味なテーマを淡々と描かねばならない。パレスチナ問題に関心のある人たちを対象にした自主映画ならともかく、お金を払って観てくれる観客を集めなければならない劇場での一般公開にはなじまないテーマのように思えた。4本の中で、パレスチナ問題に特別の関心がない人でも観てわかりやすく、内容に引き込まれ、そして観たあとに心に残る、しかもその1本で“占領”の本質を凝縮したものとなれば、やはり4本目の『沈黙を破る』だという判断である。<br />
　『沈黙を破る』は、前編「侵攻」と後編「告白」から成る。「侵攻」は、2002年春のイスラエル軍によるヨルダン川西岸の２つの難民キャンプへの侵攻を描いた。当時、私はそのイスラエル軍の侵攻をパレスチナ人住民の側から取材しようと、真っ先に侵攻の標的になることが予想された地区の１つ、ナブルス近郊のバラータ難民キャンプに住み込んだ。そして軍の包囲と攻撃の前後2週間にわたって、キャンプ内のある民家に寝泊りしながら、包囲下の住民の姿を撮った。<br />
　その包囲下のバラータ難民キャンプから脱出した直後、私はジェニン難民キャンプに入った。2週間近くイスラエル軍に包囲され猛攻撃を受けたキャンプの中心地区は大地震の後のように完全に破壊尽くされていた。イスラエル軍の包囲解除直後のキャンプ内の様子、そして1ヵ月後に住民たちの証言、さらに5年後のキャンプの様子、と人びとの変化を取材した。<br />
　「“占領”はマスコミ報道では『殴られた』『撃たれた』『爆撃された』といったセンセーショナルな暴力で表現されがちだが、ほんとうに怖いのは真綿で首を絞められるように、じわじわと生活の基盤を侵蝕され、住民が人間らしく生きていく環境を破壊されることだ」と、私は講演などで、繰り返し主張し続けてきた。そんな私が、軍の侵攻とその被害という最もセンセーショナルなシーンを映画の前面に出すことに自己矛盾も感じないわけではないが、他の3編で、私の言う“占領”を描くので、4部ではその異常な状況下に置かれた人びとの内面を、その表情と語りで描写することに力点を置いた……</p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080811.html">
  <title>日々の雑感 110：八ヶ岳山荘から見える世界のコントラスト</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080811.html</link>
  <dc:date>2008-08-11T11:45:06+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[
<h1>日々の雑感 110：<br />
八ヶ岳山荘から見える世界のコントラスト</h1>

<p>2008年8月11日（月）</p>

<p>　4日前から八ヶ岳の麓にある、標高1300メートルの山荘（ペンション）にこもっている。パレスチナ・ドキュメンタリー映画の編集作業のためである。編集のHさんのご両親が、私が滞在する山荘から車で10分ほどのところに住んでおられる。Hさんのお父さんは都内での仕事を定年退職された後、奥さんと2人でこの八ヶ岳の麓に5年ほど前に引っ越してこられた。長男のHさんと奥さん、2人の幼児たちはそのご両親の家に滞在しながら、Hさんが“仕事場”のこの山荘へ通ってきて、私と2人で朝から夕方まで編集作業をする毎日だ。<br />
　私は横浜、Hさんは東京の国分寺、いずれの家に通うにも片道1時間半から2時間近くかかる。往復すれば3時間から4時間。7月、連日この通勤を繰り返す時間と労力の無駄にうんざりしていたとき、Hさんが提案したのが、八ヶ岳での合宿だった……</p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080807.html">
  <title>日々の雑感 109：『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』の要約（9）</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080807.html</link>
  <dc:date>2008-08-07T14:44:26+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[
<h1>日々の雑感 109：<br />
『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』の要約（9）</h1>
<p>2008年8月7日（木）</p>

<h2>【第3章】同義的根拠も消えていく</h2>

<h3>“善玉イスラエル”対“悪玉アラブ”</h3>

<p>もう１つの人道的説明では、イスラエルはこう描かれる。「イスラエルはいつでも平和を求め、挑発を受けた場合ですら、立派に気高く抑制して対応してきた国である」と。反対にアラブの国々は、邪悪さと無差別な暴力をもって行動してきたと言われている。（P.179）</p>

<li>『ニュー・リパブリック』誌の編集長マーティン・ペレツによると「イスラエルは“きれいな武力”という方針に非常に熱心だ」ということだ。“きれいな武力”とは「非戦闘員に被害が及ぶことを避けること。この目的に合致することはすべて、たとえそれが自国兵士への危険度を高める場合でも行わなければならない」という意味だそうである。さらにペレツはこう主張する。アリエル・シャロンとエフード・オルメルトによる、「IDFは世界で最も人道的な軍隊である」というこのイスラエルの振る舞いについての記述もまた、１つの神話だ……</p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080802.html">
  <title>日々の雑感 108：人権活動家ラジ・スラーニを記録する</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080802.html</link>
  <dc:date>2008-08-04T00:59:19+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[

<h1>日々の雑感 108：<br />
人権活動家ラジ・スラーニを記録する</h1>

<p>2008年8月2日（土）</p>

<p>　来春の劇場公開をめざし、7月からパレスチナのドキュメンタリー映画の本格的な編集作業にかかった。プロの編集者と二人三脚の作業である。この3年ほどの間に私が単独ですでに粗編を作り上げているので、それをたたき台にして、年末までに4部作の映画の完成をめざす。<br />
　その映画編集の合間を縫って、新たなプロジェクトを開始した。2001年末からの懸案であったガザ在住のパレスチナ人人権活動家、ラジ・スラーニ弁護士への十数年にもおよぶ膨大なインタビューを著書にまとめる作業と、そのインタビューを中心に彼の半生を描いたドキュメンタリー映像を作り上げる作業である。<br />
　私にとってラジ・スラーニは、1985年以来の友人であり、パレスチナ問題の“師”でもある。私が本質と潮流をそれほど大きく見誤らずに20年以上も“パレスチナ”を伝え続けることができたのは、ラジに負うところが大きい。<br />
　ラジ・スラーニと出会ったのは、私が1985年から1年半、当時イスラエル占領当局の統治下にあったパレスチナに滞在し、取材を続けているときだった。ラジは1979年に、PFLPメンバーだったことから政治犯として3年間投獄され、その間「耐えられず自殺さえ考えたことがある」と告白するほど過酷な拷問を受けてきた。釈放後も、「危険人物」とみなされたラジは、被疑事実なく予防的に逮捕できる「行政拘留」で何度も刑務所へ送られた。私がラジに出会ったのは、その長い「行政拘留」からやっと釈放された直後だった。度重なる獄中生活に心身共に疲労困憊していた当時のラジの表情は暗かった……</p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080725.html">
  <title>日々の雑感 107：花火の興宴の中で</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080725.html</link>
  <dc:date>2008-07-28T01:20:29+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[

<h1>日々の雑感 107：<br />
花火の興宴の中で</h1>

<p>2008年7月25日（金）</p>

<p>　横浜国際花火大会は、昨年は台風で中止になったため、2年ぶりの開催である。日曜日、首都圏から押し寄せた大群集の雑踏の中を、できるだけよく見える場所を求めて右往左往する疲労を思うと見に行くのは止めようと思ったが、夕方、そわそわして仕事に集中できない。見に行った後の後悔と、行かなかった後悔を天秤にかけて、結局、前者を選んだ。進まない仕事への焦りを抑えて会場へ向かったのは、開始の1時間ほど前だった。会場に近い山下公園はすでに群集で埋まり、警備する警察官たちがマイクで、「もう山下公園は人でいっぱいで、入場できません！」と叫んでいる。それでも、いちばん花火がよく見える公園内に、警官の目を盗んで見物客が次々と入っていく。３年前、群集で埋まった山下公園を諦め、大桟橋への道路で見ようとしたが、建物の陰になってよく見えなかった悔しさを思い出し、“規則破り”を何より嫌がる連れ合いを無理矢理誘って、私は公園の中に押し入った。いちばん見晴らしのよさそうな場所はすべて、すでにビニールシートが敷き詰められ、“陣取り”されている。その場所の「所有者」はその人数には不釣合いなほど広い場所を占拠し、中には寝そべっている者もいる……</p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080722.html">
  <title>日々の雑感 106：映画『水俣―患者さんとその世界―』と『 阿賀に生きる』（2）</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080722.html</link>
  <dc:date>2008-07-23T22:45:09+09:00</dc:date>
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<![CDATA[
<h1>日々の雑感 106：<br />
映画『水俣―患者さんとその世界―』と『阿賀に生きる』（2）</h1>

<p>2008年7月22日（火）</p>

<p>　ドキュメンタリー映像『阿賀に生きる』の評判とのその監督、佐藤真氏の名を聞いたのは、私が本格的に映像の世界に足を踏み入れる前だったろうか。しかし、その“伝説の名作”を観る機会はなかなか訪れなかった。<br />
　そしてこの映画が世に出て16年も経て、やっと私はこの映画を観る機会を得た。<br />
　新潟水俣病の未認定患者を真正面から描いた映画という私の先入観は、まったく打ち破られた。著書『映画が始まるところ』（凱風社）に佐藤氏自らが書いているように、「阿賀野川とともに生きてきた人々の魂を撮りたいと念じて」、山田んぼの百姓（長谷川芳男さん）夫婦、餅屋の職人（加藤作二さん）夫婦、そして舟大工（遠藤武さん）夫婦の生活と言葉を丹念に、しかも淡々と描いた作品である。その老人たちのゆっくりした生活のリズムが、目に染み入るように美しい阿賀野川とその周辺の風景と見事なまでに調和している。“日本と日本人の原風景”とはこういうものかもしれない。老人たちの言動がとても自然で、衒（てら）いがない。またそのゆったりとした時の流れに寄り添うようにカメラが回り、映像に焼き付けていく。そのカメラワークが素晴らしい。「三組の老夫婦がかもし出す、ゆったりとした独特の時間を撮った映画」と佐藤氏自身も自書『映画が始まるところ』に書いている……</p>

<p><a href="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080722.html">続きを読む</a></p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080718.html">
  <title>日々の雑感 105：映画『水俣―患者さんとその世界―』と『 阿賀に生きる』（1）</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080718.html</link>
  <dc:date>2008-07-19T00:18:23+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[
<h1>日々の雑感 105：<br />
映画『水俣―患者さんとその世界―』と『阿賀に生きる』（1）</h1>


<p>2008年7月18日（金）</p>

<p>　ドキュメンタリー映像を創る者として、観たい、観なければ、とずっと思っていた2本のドキュメンタリー映画を立て続けに観ることができた。同じく“水俣病”を主題に置きながら、その作風はまったく異なる。しかし双方とも、観終わったあと、強烈な衝撃と深い感動の余韻が残った。「これがドキュメンタリー映画というものなのだ……」と思った。</p>

<p>　水俣を撮り続けたドキュメンタリー映画作家、土本典昭(つちもとのりあき) 氏の存在はもちろん知っていた。しかし、これまでその作品をきちんと観たことがなかった。それを目にする機会がなかなか得られなかったからだ。<br />
　1965年、日本テレビのドキュメンタリー番組制作のために初めて水俣入りした土本氏は、患者たちの強い不審と反発の目に晒される、苦い“洗礼”を受けた。土本氏はあるインタビューの中でこう語っている……</p>

<p><a href="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080718.html">続きを読む</a></p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080714.html">
  <title>日々の雑感 104：アメリカから訪ねてきた「教え子」（2）</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080714.html</link>
  <dc:date>2008-07-14T15:34:43+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[
<h1>日々の雑感 104：<br />
アメリカから訪ねてきた「教え子」（2）</h1>

<p>2008年7月14日（月）</p>

<p>　広島YMCAの林総主事から、私の宿舎に電話がかかってきたのは、その日の夕方だった。いつも温和な林さんの声とは違い、怒気のこもった声だった。「君は、うちの学校の学生たちをデモに参加させ、政治活動をさせたのか！」。林さんの声と言葉に、私もやっと自分の行動が「ビジネス専門学校」に与えた影響に初めて気づいた。このビジネス専門学校の学生たちは、卒業したら、広島内外の企業に就職していくべき若者たちである。その学生たちが、座り込みデモに参加する姿がテレビ・ニュースに映し出されたことで、「政治・社会意識」をもつ「過激な学生」を育てる学校という烙印を押されれば、、企業は「YMCAビジネス専門学校」は敬遠し、卒業生たちの就職に支障が出る──学校の最高責任者である林さんは、私の行動に「困ったことを仕出かしてくれた」と呆れ、怒ったのだ。でも、まだ“青臭かった”当時の私は、そんな林さんと専門学校の立場がわかっていなかった。むしろ私はYMCAの学校にとって、「いいことをした」とさえ思っていた。「YMCAの基本精神であるキリスト教の教えに忠実に従えば、天安門で民主化を訴える学生たちが国家権力によって理不尽に殺されていくことに、『殺すな！』と主張する行動は当然であり、私のとった行動こそYMCAの精神を最も忠実に体現しているはずだ。そのYMCAの責任者には褒められこそすれ、非難される筋合いはない」というのが当時の私の考えだった。しかも林さんは、私の学生時代、広島市でベトナム反戦運動の先頭に立って闘ってきた人物である。その林さんが、天安門での虐殺事件に反対する私の行動を批判するのはおかしいではないか。私は電話を受けたのち、むらむらと怒りがこみ上げてきた。<br />
　その夜、私は怒りの感情に任せて、「辞表」を書いた。その中には、上記した内容を切々と書き記し、「林さんに失望した」と書き添えた……</p>

<p><a href="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080714.html">続きを読む</a></p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080709.html">
  <title>日々の雑感 103：アメリカから訪ねてきた「教え子」（1）</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080709.html</link>
  <dc:date>2008-07-09T12:37:28+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[
<h1>日々の雑感 103：<br />
アメリカから訪ねてきた「教え子」（1）</h1>

<p>2008年7月9 日（水）</p>

<p>　アメリカから突然、国際電話が入ったのは1ヵ月ほど前だった。「土井先生ですか。Ｓです」という歯切れのいい声。20年ほど前、私が広島YMCAビジネス専門学校で英語教師をしていた時の「教え子」だった。当時18歳だった彼女も、もう30代後半、２児の母親となり、インディア州のインディアポリスで暮している。久しぶりに一時帰国するから、会いたいという電話だった。毎年、現地から送られてくるクリスマス・カードに添えられた短い手紙で、彼女の様子と大きくなっていく子どもの成長ぶりは幾分つかめてはいた。でももう19年も会ってはいない。私の連れ合いにも会ってみたいというから、私の自宅へ招待する約束をした。<br />
　そのＳが6日の朝、2人の子どもと２つの大きなスーツケースを引いて我が家にやってきた。子どもは15歳の娘と10歳の息子で、上の子はもう立派な大人の女性の体つきである。もう3年もすれば、私が出会ったときのＳの年齢になる。母親が2人の子を日本語で育ててきたので、日本語で会話できる。ちょっとホッとした。母親のかつての「英語の先生」がこの程度の英語しかできないのかと失望されるのも悔しいから。<br />
　19年ぶりに会うＳの面影は、広島時代と大きくは変わってはいなかったが、結婚、渡米、出産、育児、そして離婚と様々な人生体験を乗り越えてきた彼女の表情は、まだ幼かった当時とは違い、きりっと引き締まった大人の顔だちになっていた……</p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080703.html">
  <title>日々の雑感 102：ドキュメンタリー『“私”を生きる──東 京都教員・根津公子』</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080703.html</link>
  <dc:date>2008-07-03T12:43:10+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[

<h1>日々の雑感 102：<br />
ドキュメンタリー『“私”を生きる──東京都教員・根津公子──』</h1>

<p>2008年7月3日（木）</p>

<p>　「君が代・不起立」の象徴として知られる根津公子さんのドキュメンタリー映像<strong>『“私を生きる──東京都教員・根津公子──』</strong>（仮題）の粗編がつながった。全編1時間30分。これからさらに、不足部分の追加撮影、使用する写真の差し替えや修正、全体構成の再点検、テロップ入れなど、完成までにまだまだ細かい作業が続く。しかし、大きな流れは決った。企画を立てたのが昨年の1月、撮影開始は2月だったから、16ヵ月後の粗編完成だ。ただ、この間、ずっと根津さんの取材に係りっきりだったわけではない。2度にわたるパレスチナの現地取材、パレスチナ・ドキュメンタリー映画・粗編の編集作業、拙著『沈黙を破る』の執筆など本来の仕事をやりながらの取材だった。しかも、どこで、どういう形で発表するのか、まったく当てのない取材・撮影だったから、はたして形になるのかずっと不安を抱え続けてきた。それでも取材を続けてこれたのは、やはり根津公子のいう人物の行動と言葉が放つ“磁力”だった……</p>

<p><a href="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080703.html">続きを読む</a></p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080627.html">
  <title>日々の雑感 101：『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政 策』の要約（8）</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080627.html</link>
  <dc:date>2008-06-28T01:34:23+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[
<h1>日々の雑感 101：<br />
『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』の要約（8）</h1>


<p>2008年6月27日（金）</p>

<h2>【第3章】同義的根拠も消えていく</h2>

<h3>過去の犯罪に対する償い</h3>


<p>イスラエルの建国は新たな犯罪をつくり出した。ほとんど罪のない第三者であるパレスチナ人がこれに巻き込まれたのだ。この事実は誰にも無視することができない。ユダヤ人に対して行われた犯罪行為は、イスラエルの存在を養護する理由にはなる。しかし特別待遇を要求するイスラエルの主張は、自らのパレスチナ人への犯罪行為によって土台が崩れるのだ……</p>

<p><a href="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080627.html">続きを読む</a></p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080625.html">
  <title>日々の雑感 100：ドキュメンタリー”の役割とは</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080625.html</link>
  <dc:date>2008-06-26T13:59:18+09:00</dc:date>
  <content:encoded>
<![CDATA[
<h1>日々の雑感 100：<br />
ドキュメンタリー”の役割とは</h1>

<p>2008年6月25日（水）</p>

<p>　“ドキュメンタリーの使命”を改めて痛感させる凄い番組を観た。さまざまな賞を受賞したNHKや民放各局のドキュメンタリー番組を一挙に紹介・放映する「ザ・ベストテレビ」というNHK衛星放送の番組の中でである。日本各地の民放局で製作された、優れたドキュメンタリー番組を他県の視聴者が目にすることはまずない。たまたま賞を獲得し注目され全国放送されたために首都圏に住む私たちもやっと目にすることができたのだ。<br />
　恥ずかしいことだが、正直、私の中にローカル局で制作されるドキュメンタリー番組に対する偏見があった。「所詮、地方だけに通用するテーマを扱った、しかもNHK本局や中央の民放局によって制作された番組に比べたら技術や番組の質においても見劣りするものに違いない」という、首都圏で生活する者の“地方に対する優越意識・奢り”である。佐賀という九州の片田舎で生まれ育った私が、いつの間にかそういう潜在意識を身につけているのだからおかしな話だが、それは、地方に生まれ育ったがゆえの“中央に対する劣等感の反動”なのかもしれない。<br />
　私のそういうねじれた潜在意識が、日曜日に観た地方局制作のドキュメンタリー番組によって打ち砕かれた。それほど強烈な衝撃と感動を覚える作品群だった。<br />
中でも東海テレビが制作した<strong>『約束〜日本一のダムが奪うもの』</strong>と、鹿児島の南日本放送の<strong>『祖国よ〜ドミニカ移住は問う〜』</strong>に、「ドキュメンタリーとは本来どうあるべきなのか」という問いを突きつけられた……</p>

<p><a href="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080625.html">続きを読む</a></p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080618.html">
  <title>日々の雑感 99：映画『1000の言葉よりも―報道写真家ジブ・コーレン』を観て</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080618.html</link>
  <dc:date>2008-06-19T14:19:09+09:00</dc:date>
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<h1>日々の雑感 99：<br />
映画『1000の言葉よりも―報道写真家ジブ・コーレン』を観て</h1>


<p>2008年6月1８日（水）</p>

<p>　“記録する者”が“記録される”とき、なぜそうする必要があるのか、そこにどういう必然性があるのか、私は気になってしかたがない。というのは、 “記録する者”は“黒衣”（くろこ）でなければならない、“記録する者”が“伝えるべき対象”以上に主役になってはいけない、という、私なりの“こだわり”があるだからだ。だからその“必然性”を見出せないとき、その作品に嫌悪感さえ抱いてしまう。<br />
　14日、東京写真美術館で観たドキュメンタリー映画『1000の言葉よりも─報道写真家ジブ・コーレン』は、イスラエル人の報道カメラマンの現場での仕事の様子とその思い、さらに私生活を描いたドキュメンタリー映画である。将来、報道カメラマンを夢みる若い人たちには、たまらない魅力を持った映画に違いない。そういう特定の目的を持った人でなくとも、戦場や紛争地での刺激的な写真が撮られるまでの舞台裏、葛藤や徒労感など苦労話や、スリリングな現場の様子、そこでやっと納得のいく写真をものにしたときの高揚感など、スクリーンから伝わってくる臨場感に観客は魅了され興奮してしまう。そういう“力”を持った映画だ。ライト・フォトボックスの上で、ルーペを片目に押し当てフィルムを覗き込む主人公のコーレンをアップで舐めるように撮る。カメラ、携帯電話を身につけヘルメットを被り、エレベーターに乗り込む、颯爽とバイクにまたがり飛び出す、そのバイクに取り付けられたカメラで猛スピードで走るその道路をドリーで映し出す。まるでアクション映画のスターを描くようなカメラワークだ。短いカットでシーンが目まぐるしいほど変わっていく。しかもそのシーンの中に、まったく違ったシーンがモンタージュのように次々と挿入される。例えば、パレスチナ人若者たちとイスラエル兵との衝突現場とそこで撮影するコーレンの映像の合間合間に、危険な現場にいる夫を案じるファッション・モデルの妻の姿と声が短く挿入され、そしてまた現場のシーンに戻る。しかもさまざまなシーンは扇情的な音楽で盛り上げられる。これがアメリカなどで流行っているドキュメンタリー映画のスタイルだそうだ……</p>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080614.html">
  <title>日々の雑感 98：『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』の要約（7）</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080614.html</link>
  <dc:date>2008-06-16T14:27:44+09:00</dc:date>
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<h1>日々の雑感 98：<br />
『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』の要約（7）</h1>

<p>2008年 6月14日（土）</p>

<h2>【第3章】同義的根拠も消えていく</h2>

<ul>

<li>「イスラエルは米国が惜しみなく、ほとんど無条件に支援を行うに値する国だ」と言われているのは次のような理由による。
<ol>
<li>
「イスラエルは弱く、イスラエルを潰すことに専念する敵に周りを囲まれている」</li>
<li>「イスラエルは民主制で、これは人道上好ましい統治形態である」</li>
<li>「ユダヤ人は過去の犯罪に非常に苦しめられてきた」</li>
<li>「イスラエルはこれまで敵対者、とりわけパレスチナ側の行動に比べて人道上優れた行動をとっている」</li>
<li>「パレスチナ側は、イスラエルが2000年6月にキャンプ・デービッドで提案した寛大な和平提案を拒否し、かわりに暴力を選んだ」</li>
<li>「イスラエルの建国が神の御意志であることは聖書からも明らかである」</li>
</ol>

などだ。もう１つ、一般的な主張は、「イスラエルは米国と価値観を共有する、中東で唯一の国である。それゆえ米国から人々はら幅広い支持を受ける」（P.146）</li>

</ul>

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 <item rdf:about="http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080610.html">
  <title>日々の雑感 97：日本の“ワーキングプア”</title>
  <link>http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20080610.html</link>
  <dc:date>2008-06-12T02:18:49+09:00</dc:date>
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<h1>日々の雑感 97：<br />
日本の“ワーキングプア”</h1>

<p>2008年6月10日（火）</p>

<p>　これまで“アメリカの貧困”の実態について、『ルポ　貧困大国アメリカ』を通して書いてきたが、日本ではどうなのか。<br />
　NHKのドキュメンタリー番組『ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜』は、それを知る最良の素材の１つといえるだろう。<br />
　（参考サイト：<a href="http://www.nhk.or.jp/special/onair/060723.html">NHKスペシャル『ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜』</a>）<br />
　このドキュメンタリーでは、30歳を過ぎた青年が東京で職探しに奔走する姿、職につけない20代の青年が東京の街中を足を棒にして歩き回り（電車代がないのだ）、ゴミ箱から捨てられた漫画本を拾い集め、それを1冊50円で売りさばいて食事代を確保している生活の実態、小学生の2人の息子を男手1人で育てるために、ガソリンスタンドで３つのアルバイトを掛け持ちし、やっと食いつないでいる50代の男性などの日常が丹念に描かれる。一方、地方の現状として、最も自殺率の高い秋田県で、農業収入で生活していけなくなった三世帯一家の生活、また痴呆で病院に入院する寝たきりの妻を抱えながら、寂れゆく町の商店街で、ほとんど客足が途絶えた仕立て屋をなんとか続けているが、収入は月に数万円しかなく、税金も払えない70歳を越えた男性の生活などが紹介されている……</p>

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