Webコラム

「ガザ入植地撤退」はパレスチナ和平につながるのか

(以下の文章は、2005年12月朝日新聞者月刊『論座』に掲載されたものです)

つながらないフラッシュ・バック映像

 8月中旬、ガザ地区の入植地撤退以降のパレスチナ情勢を振り返るとき、いくつかの象徴的なシーンがフラッシュ・バックで蘇ってくる。イスラエル兵や警官に強制退去されながら、泣き叫ぶ入植者の母と子や、追われる入植者に同情し抱き合って泣く兵士の姿。入植地跡に押し寄せたパレスチナ人住民がユダヤ教の教会堂「シナゴーグ」の建物を破壊し歓喜する姿。イスラム抵抗運動「ハマス」支持者たちの「戦勝」大パレード。ハマスらのロケット弾攻撃。再開されたイスラエル軍の激しい空爆。そしてパレスチナ人同士の銃撃戦・・・。その脈略のないセンセーショナルな情景をどうつなぎあわせればいいのかわからず、私たち日本の視聴者は戸惑うばかりだ。
 伝えられた象徴的な映像のそれぞれの背景を観てみよう。
8月中旬の強制退去のシーンは、ユダヤ人入植者たちに「政治に翻弄され長年住み慣れた土地と家を追われる痛々しい被害者」のイメージを作り上げ、「これほどの犠牲を払ってシャロン首相は和平の道を模索している」という印象を世界の人々に焼きつけた。それこそがシャロン首相の狙いだった。撤退直後の国連演説の中でシャロンは「イスラエルは軍をガザ地区からすべて撤退させることで、パレスチナとの紛争を終結するため、痛みを伴う譲歩をする意志があることを証明した」と、「平和を希求する政治家」像をアピールした。
 同じ頃、ガザ地区のパレスチナ人地区からの映像は、「武装闘争によってイスラエルから入植地撤退を勝ち取った」と主張するハマスの「勝利デモ」だった。たしかにそれはハマスの単なる自画自賛ではなく、多くのパレスチナ人住民が認め共有している見解だ。「イスラエルはパレスチナ人の抵抗闘争がなければ決して撤退なんかしていませんよ」と、ヨルダン川西岸(以後「西岸」)、ラマラ市のある商店主は言った。「ヒスボラの武装抵抗によって大打撃を受け、イスラエルが南レバノンから撤退させた例と同じですよ」。ラマラで私が街頭インタビューした14人のうち、シャロンが入植地撤退を決断した最大の理由としてハマスなどの武装闘争を挙げたのは10人、約70%だった。しかし有識者の中には、「この撤退はイスラエルの国益のためにシャロンが一方的に決断し決行したもので、断じて、ハマスや『交渉による成果』と主張する自治政府などパレスチナ側の“勝利”などではない」と冷静に分析する声は少なくない。インタビューした住民の残りの30%も「イスラエルが西岸を支配し続けるため」と答えた。
 イスラエルの内情もパレスチナの状況も知り尽したイスラエル人ジャーナリストは、もっと明確にシャロンの意図を見抜いていた。「オスロ合意」の1993年以来、ガザ地区や西岸に住み込み、イスラエル占領政策の実態を現場から報道し続けたアミラ・ハス(有力紙『ハアレツ』記者)は、撤退の7ヵ月前の今年1月、シャロンの意図を問う私に、「彼には“西岸の植民地化を推進する”という明確な意図があります」と言い切った。「ガザ地区からの入植地撤退で和平派の反発を抑え、世界に『和平』への希望を与える。しかしシャロンの目的は、パレスチナ人のコミュニティーを切り裂き、“パレスチナ”という一体化した領土を分割することです。ガザ地区を西岸から切り離し、さらに西岸もいくつかの郡に分割させる。それによって、パレスチナ人をひとつの“民族”としてではなく、それぞれ違ったコミュニティーにするのです。実際、イスラエルの役人たちも明確に、『この入植地撤退は、実際には、今後どのような和平交渉の進展も阻止するためのもの』と公言しているのです」

入植地撤退に希望を探すガザ住民

 9月12日、イスラエル軍がガザ地区から完全に撤退した直後、私たちが目にしたのは「入植地跡の瓦礫の上で歓喜するパレスチナ人」の映像だった。とりわけ、シナゴーグ(ユダヤ教の教会堂)を住民が破壊するシーンは、あたかも入植地撤退がパレスチナ人の“勝利”の成果であったかのような印象を内外に与えた。これはイスラエル当局にとって最も不快な光景だったにちがいない。撤退直前に、自ら入植地の建物を破壊した理由の一つは、「パレスチナ人の 勝利」だいう印象をイスラエル国民や世界に与えてしまうことを恐れたためだといわれている。一方、破壊された建物がユダヤ人にとって神聖な宗教シンボルだったことは、イスラエル国民の憎悪を掻き立てただけでなく、国際社会に「他宗教を侮辱する野蛮な輩」という悪印象を与えたことは否めない。だが同時に、これまで入植地とそれを守るイスラエル軍によって多くの人命と財産、自由を奪われてきた住民の鬱積した怒りの大きさを、世界の人々は改めて思い知ったはずだ。
 では、入植地によって直接、被害を受けてきた住民は、この撤退をどう受け止めているのか。
 入植地と200メートルほどの距離で向かい合うハンユニス難民キャンプのアブレゼック家。この一家を私が初めて取材した2001年暮れ、周辺は、入植地を守るイスラエル軍陣地から昼夜、銃撃音が鳴り響いていた。「パレスチナ人側からの銃撃への反撃」というのがイスラエル側の主張だ。この家の壁は銃痕の穴だらけで、6部屋の中で15人家族が安心して眠れる部屋は一番奥の1部屋だけだった。銃撃が激しくなると、家から通りへ出入りができず、家の壁をくり抜き、隣の家を通って逃れるしかなかった。当時、家の前の通りで遊んでいた少年が軍陣地から銃撃で心臓を射抜かれ即死する事件も起きた。12月下旬、耳をつんざくようなイスラエル軍の砲撃と銃撃が夜通し続くなか、アブレゼック家周辺の民家36軒がブルドーザーと戦車によって完全に破壊されてしまった。幸い破壊は家の直前で止まっていたが、一家は「次は自分の家」と悟り、引越しを決意した。数十年前、故郷を追われ難民となった一家は、再び安住の地を追われようとしていた。母親は荷造りをしながら、自分たちの不幸続きの運命を嘆き、泣いた。あれからほぼ4年後、入植者強制退去のさなか再訪すると、一家は元の家に戻っていた。再会した母親は、「これからは生活はよくなる。子供たちも安心して、自由に外を歩き回れるようになった」と喜びを隠さない。他の世界では当たり前のことに、これほどの喜びと解放感を抱くほどに、入植地の存在は住民たちの生活と意識を圧殺し続けてきたのだ。
 一方、イスラエル軍に家を破壊されたある住民は、入植地撤退のニュースをやりきれない思いで見つめていた。4年前にラファ国境に隣接する家を破壊され、3年後には避難した借家までも瓦礫の山にされた10人家族のアブシャット家は、サッカー・スタジアムの倉庫に移り住んだ。一日も早く家を再建したいが、イスラエル側は破壊したパレスチナ人の家の補償などまったくしない。再建しようにも、2000年秋に始まった民衆蜂起以来の封鎖強化でイスラエルへの出稼ぎ仕事を失い失業したままの一家の主人イブラヒム(48)には自力で再建する力はない。パレスチナ自治政府(PA)も国連組織も支援してはくれない。そんなイブラヒムは、イスラエル政府が、退去する入植者たちに数千万円もの補償金を出すというニュースに腸(はらわた)が煮え返るような思いだ。「入植者には1年も前に警告があり、強制退去された後も政府の補償がある。一方、私たちは突然イスラエル軍に家を破壊され、銃撃で住民も殺された。その後、何の補償もない。入植者にそれほど手厚いのに、どうして我われには補償もしないのか。私たちは同じ人間ではないというのか」

封鎖緩和への淡い期待

 イスラエル軍のガザ撤退直後に伝えられたもう一のシーンは 「エジプト国境を自由に往来する住民」の映像だった。「これでガザの住民は封鎖状態から解放され、自由になった。やはり、イスラエルのガザ占領は終わったのだ」。世界の人々がそう思ったにちがいない。
 入植地撤退後、封鎖の緩和を何よりも期待していたのは、ガザの企業関係者や農民たちだった。ガザ地区南部のアイスクリーム工場は、商品を主に西岸やイスラエルに輸出してきた。以前は、1日6台のトラックで商品を最大のマーケット西岸に輸送し、経営は安定していた。しかし2000年秋の民衆蜂起以後、イスラエルの封鎖政策の強化によってミルクやバターなど原材料の搬入や商品の外への輸送が困難になり、この工場は休業に追い込まれた。「入植地撤退は、そんな窮地から脱出できるチャンスになるはずです」と工場責任者は語った。「イスラエルのガザ撤退以後は“封鎖”が緩和されるはず」と期待したからだ。
 イスラエル輸出業者を通して生花やイチゴをヨーロッパに輸出してきた農民たちも事情は同じだ。2000年秋以降、ガザ地区からイスラエルへの農産物の輸送が困難になり、農家は瀕死の状態だった。「撤退後の封鎖緩和で再び生花やイチゴをイスラエルへ輸送することができる」とある生花農家は、自分を鼓舞するかのように、希望を語っていた。
 しかし現実は期待通りには進展しなかった。9月12日の「国境開放」は、長年、封鎖によって窒息状態に置かれてきた住民の鬱積したフラストレーションの“ガス抜き”、一時的な「開放」でしかなかったのだ。その後のエジプト国境はどうなったのか。ガザ地区のある人権擁護団体の10月4日付けの報告によれば、9月12日以後、エジプト・ガザ国境を管理し続けるイスラエル当局が、パレスチナ人に国境通過を許可したのは9月23日から1日半、ガザ地区を離れていた住民の帰郷のため10月3日に2、3時間開放しただけだった」いう。つまり外との出入り口を今なお支配し続けることで、イスラエルは撤退後も140万人のガザ住民の生活をコントロールしているのだ。

アラファトの“遺産”・権力闘争

私たちをいっそう混乱させるのは、入植地撤退以後、「解放」されたはずのガザ・パレスチナ人地区から次々と伝えられる事件の映像だ。外国人ジャーナリストやNGO関係者らの誘拐、PA治安機関幹部の暗殺、武装勢力同士の武力衝突・・・。ガザ住民の期待を裏切る暗澹たる事件が次々と起こっている。10月初旬、パレスチナの国会に当たる「評議会」は、調査委員会を作り、その治安と社会秩序の悪化の原因を探った。その報告書の中で委員会は、「武装勢力間の闘争や自治政府内の様々な治安組織間の権力闘争を解決しようとしない自治政府当局そのものに責任がある」と明言し、クレイ内閣の辞職、あらゆる治安機関の幹部の更迭を要求した。一方、非難の的となったクレイ首相は、その責任をユセフ内務大臣やイスラエルに押しつけ、ユセフ内相は「自分にはその権限を与えられていない」と反論した。さらに委員会は司法システムの確立に失敗したとしてアッバス議長の責任にも触れている。
 このようなパレスチナ社会の混沌とした状況に、「アラファトさえいれば、こうはならなかったはず」という声も聞かれる。しかしこの混乱はむしろ「アラファトが指導者であったことのツケ」ともいえるのだ。アラファトは自分に対抗する勢力が伸張することを恐れ、治安機関をいくつもの組織に分割し、それぞれに自分への忠誠を競い合わせることで独裁権力を維持してきた。忠誠を誓うべきアラファト亡き今、彼らが熾烈な権力闘争を繰り返している。
 もう一つ、アラファトの悪しき“遺産”がある。外部からPLOや自治政府に集まってくる莫大な資金の配分決定の権限を独占することで、アラファトは部下たちの忠誠を確固たるものにしてきた。つまり「忠誠を金で買った」のだ。(もちろんパレスチナ解放闘争の指導者としてのアラファトの「輝かしい経歴」が「アラファト人気」の大きな要因であったことは否定はしないが。)この政治手法は、かつての部下たちに引き継がれている。その典型的な例が、若手リーダーの筆頭、モハマド・ダハランだ。自治政府発足直後、アラファトからガザ地区の治安当局の最高責任者に抜擢されたダハランは、イスラエル当局やCIAと太いパイプを作り、またその絶大な権限をパレスチナ社会で最大限利用することで莫大な資金を手にしてきた。そのダハランは今、かつて手なずけた治安機関の幹部たちや武装勢力にその資金を配分することで“忠誠を買い”、私兵化した彼らを自分の権力闘争に利用しているといわれる。ダハランだけではない。類似する“ミニ・ダハラン”が群雄割拠している。このことがパレスチナ社会の無法状態の一因となっている。

状況悪化がハマスを救う

 ガザ地区の混沌に拍車をかけたのがハマスの暴走だ。9月23日、ハマスによる「勝利祝賀軍事パレード」のさなか、トラックに満載されていた武器が爆発、子供を含む19人が犠牲となり、約90人が負傷した。ハマスメンバーの操作ミスだったというのが大方の見方だ。しかしハマスは「イスラエルによる攻撃」と責任を転嫁、イスラエル領へのロケット弾攻撃で自組織への住民の批判をかわそうとした。これに対し、イスラエル軍はガザ市内の空爆で報復、前例のない衝撃音攻撃で住民を恐怖に震え上がらせた。さらに西岸とガザ地区からの人や物資の出入りを禁止し封鎖した。
 人々の怒りの矛先は、これまでと違った。入植地撤退による平穏な生活への期待を裏切られた住民の失望と怒りが、イスラエルだけではなく、その一原因を作ったハマスにも向けられたのだ。
 ハマス人気にさらに影を落とす事件が起こった。10月2日、ガザ市内の路上で、ハマスの武装グループが、武器を取り締まろうとするパレスチナ警察と衝突、銃撃戦は周辺地区や難民キャンプにまで広がった。ハマスの武装集団は警雑$を銃や手榴弾、対戦車砲で襲撃した。両者の銃撃戦の巻き添えとなり、現場近くの一般市民にも犠牲者が出た。この事態に、近くの住民が警雑$に駆けつけ、ハマス武装勢力に投石する事態にまで発展した。これまでになかった現象だ。
 ハマスは、腐敗したPAとは対照的な清廉なイメージ、占領に苦しむ人々の溜飲を下げさせる武装闘争、生活困窮者への手厚い福祉事業などによって根強い支持を広げてきた。だが、これら一連の事件は、人々の間に「ハマスも、勢力拡大のために住民の犠牲もいとわないのか」という失望感と生み、ハマス支持拡大の流れを変えかねない。

 シャロン首相のガザ入植地撤退シナリオの中に、撤退による入植地跡での権力の空洞化と利権争い、「目前の敵」の消失によるこのようなパレスチナ人の内部抗争と混乱まで視野に入っていたとすれば、シャロンは先の状況を読み透し政策を押し進める、稀に見る冷徹かつ老練な政治家といえる。ただ、そんなシャロンも、一つ見落としていることがある。入植地撤退によって生活が大きく改善されると期待した住民は、イスラエルの封鎖政策による社会的、経済的な窒息状態や、内部抗争など政治的な混沌に失望している。この状況が続けば、その失望と怒りの矛先は、PAとその母体であるファタハへ向かい、結果的にハマスが人気を盛り返す結果につながる──そう予想するのはパレスチナを代表するオピニオン・リーダーの1人、ラジ・スラーニ弁護士だ。もしそうなれば、来年1月に予定されている評議会(パレスチナの国会)選挙でハマスが勝利する可能性が高い。シャロン首相やアメリカのブッシュ大統領が最も恐れている結果である。
 封鎖・占領によってパレスチナ人が“自由”と、「施し」によってではなく自らの手で家族を養える“人としての尊厳”、そのための環境を奪われ続ける限り、老練な為政者たちがどんなに「ガザ入植地撤退は和平への第一歩」と喧伝し狡猾な策を弄しようと、真の“和平”にはつながらない。