Webコラム

2006年夏・パレスチナ取材日記 28

あるジャーナリストが語る戦後のイスラエル社会

8月20日(日)

 レバノンでの戦争に対するイスラエル社会の反応を、イスラエルのある左派系雑誌の編集長Sに訊いた。彼はイスラエル占領地での兵役を拒否し、当局に4度逮捕・投獄された経歴を持つ。

 「イスラエル国民は今回のレバノンでの戦争を全面的に支持した。興奮を伴った支持といっていい。それには理由がある。1993年のオスロ合意以後、入植地問題、ガザ入植地の撤退問題など国民の世論は大きく割れ、イスラエル国民が全体としてまとまり、一体感をもつ機会が長くなかった。
 しかし今回の戦争はその“国民の一体感”“団結”を取り戻す絶好の機会となった。2つの理由がある。1つは今回の戦争を始める理由には「正当性」があったことだ。イスラエル軍は数年前に撤退し占領地でもない南レバノンから突然攻撃を受け、多数のイスラエル兵が殺害され、2人が「拉致」された。これに報復するのは当然というわけだ。
 もう1つの理由は、シオニスト左派がすでに壊滅状態にあったことだ。今回の戦争で、当初、反戦運動に立ち上がったのは、反シオニスト運動体やアラブ系イスラエル人だけだった。メディアなどイスラエル社会の主流はこの少数派の反戦の声に反発した。『彼らの主張は現実離れしている』『国民の団結を乱すものだ』という批判だ。
 しかし1ヵ月以上にも及ぶ戦争の結果、北部の市民や兵士に多くの犠牲を出しながら、その目的が何一つ果たせなかったことに、今、国内で批判的な声が出始めている。最初は政治家に、そしてイスラエル軍幹部へと広がっていった。とりわけ前線で食料や装備が不足したまま戦闘を強いられた兵士や将校たちの中から軍幹部への苛立ちと怒りが湧き起こった。8月15日には前線で、怒った兵士たちが将軍に殴りかかるという前代未聞の事件まで起こっている。これに追い討ちをかけるようにイスラエル軍の最高責任者であるハルツ参謀総長が、国境でイスラエル軍が襲撃され兵士2人が捕虜となった直後、株価の急落を予想してか持ち株を売り抜けしていたことが明らかになり、軍幹部への不審と怒りがさらに高まった。前線の兵士たちや北部市民の安全を第一に考慮することもせず、自分の金儲けにうつつを抜かしていた、という批判だ。
 一方、政治の局面では、この戦争によって与党カディマなど中道が崩壊しつつある。シオニスト左派は戦争以前からすでに崩壊状態にあった。それらに代わって台頭しつつあるのが右派だ。ヨルダン川西岸からのパレスチナ人の追放を主張するリーベルマンに代表されるような極右政治家や、ユダヤ人入植地のヨルダン川西岸からの撤退に反対する勢力が前者の“代替の勢力”になりつつある。これはイスラエル社会にとって、とても危険な兆候だ。
 ウリ・アブネリやギデオン・レヴィのような“批判的な左派知識人”たちの中には「この戦争の敗北によってイスラエル国民は『武力では問題を解決できない』という教訓を得た」という主張する者もいる。しかし私はその分析は間違っていると思う。私はむしろこの戦争が次の戦争の始まりになると見ている。今回の戦争で面目を潰された『中東最強の軍隊』イスラエル軍は、その名誉を回復するために必死になっている。昨日、起こったレバノンのベカー高原に対するイスラエル軍の攻撃はその1例だ。
 一方、もしこの戦争でイスラエルが勝利し当初の目的を果たしていたら、事態はさらに悪化していたろう。自信過剰になったイスラエルは、次はシリア、イランの攻撃と突き進むことになっていたかもしれないからだ。
 いずれにしろ、イスラエル軍の幹部たち、またイスラエルのメディア全体も、この戦争で勝利できなかった原因を“テクニカルな問題”に矮小化しようとしている。イスラエル軍は「勝利できなかった」戦争で受けた屈辱を払い、自分たちの能力を証明するためには、次の戦争しかないのだ。

 なぜ、カノ村での民間人殺戮に象徴されるような残虐行為にイスラエル国民は無感覚なのかって?その原因の1つは国民がその事実をよく知らないことだ。まずイスラエルのテレビは、アラブの衛星放送が伝えたような子どもや女性たちの遺体が瓦礫の中から取り出される映像はまったく流さなかった。もちろんBBCやCNNで、その一部を見ることはできた。しかしそのような海外メディアの報道を、地元のテレビメディアなどは「反イスラエル」「反ユダヤ主義」の傾向の強い海外メディアのいつものプロパガンダと非難し、無視した。
 また保守派が、イスラエルだけでなくアメリカでも「アラブ側が伝える映像は、捏造され細工が施された“虚偽の映像”」と宣伝し、国民がそのような事件を無視するのを助長する。
 だから実際、レバノンで何が起こったのかを国民は知らないし、また知りたがらない。この戦争で北部の市民や兵士たちに多くの犠牲を出したイスラエル社会は、レバノンでのそういう現実を無視し見ないようにしているのだ。

 レバノンで1日に20人を超えるイスラエル兵が犠牲になるという、近年にないイスラエル軍の被害に国民が大きな衝撃を受けているのではないか、って?いや、それほど大きな衝撃となっていない。1982年のレバノン戦争の時だって、レバノンへの侵攻開始から ベイルートまで到達するまでの48時間に約200人のイスラエル兵が犠牲になった。それでも当時、イスラエル社会はその犠牲を受け入れた。戦争の理由が正当化され、結果が勝利に終われば、イスラエル国民はそのための代価を支払う用意がある。しかし今回は、その“勝利”を手にすることができなかった。だから国民は今、混乱状態にある。戦争で支払った“代価”に対する反応は、戦後に現われる。だからこれからイスラエル社会がどう動くかわからない。『勝利はほしいが、戦闘は嫌だ。もう政府も軍の将軍たちも信用できない。しかしその“代わり”がない』、そのことに国民は混乱している状態なのだ。

 このレバノンでの戦争はガザ地区の情勢にほとんど影響は与えないだろうと思う。イスラエル社会は、“平穏”と“静寂”が約束されることを何よりも望んでいる。イスラエル軍がガザを攻撃することで、社会が“静寂”になるのであればその攻撃も受け入れる。とにかくガザ地区やレバノンで何が起ころうと、自分たちの周りの社会が“静寂”であればまったく気にもかけないのだ。
 一方、世界の世論は、このレバノンでの戦争以後、まったくガザに関心を失ってしまった。世界のメディアもまったくガザについて語らなくなった。これはイスラエルと軍にとって、ガザ地区で“自由に行動できるスペース”が広がったことを意味する。3日ほど前、パレスチナ側は一方的な停戦を宣言し、この間、ロケット弾の砲撃もない。しかし世界のメディアや世論はまったくそれを無視している。これは危険な兆候だ。

 昨年夏のガザ地区からのユダヤ人入植地の撤退は、その後、入植者たちの間に『政府から裏切られた』という意識を広げている。インティファーダから5年間、パレスチナ側の攻撃にさらされ、その後、政府によって“捨てられた”という“被害者意識”である。
 今、このレバノンでの戦争を闘ったイスラエル兵や、戦争で大きな被害を受けたイスラエル北部の市民の間にこの入植者たちと同じような感覚が広がっている。『まったく無意味に犠牲になった。国家によって疎外された』という意識だ。
 かつての入植者たち、イスラエル兵たちに広がっているこの意識が、極右勢力、ファシストが浮上してくる素地になるだろう。これはイスラエル社会にとって危険な状況なのだ」

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