Webコラム

日々の雑感 22
パレスチナ・2007年 春 8

2007年4月1日(日)
ヨルダン渓谷とJICAプロジェクト

  “パレスチナ”という言葉で私たちがまず思い浮かべるのがガザ地区、そして今なおイスラエル軍の攻撃にさらされ続けるナブルスやジェニン、自治政府の拠点ラマラ、そして一昨日に紹介したヘブロンだ。メディアで報じられるのがそれらの地域に限られがちだからである。一方、ヨルダン渓谷という地域が“パレスチナ”の一部であることを認識している日本人は多くないはずだ。ヨルダン川西岸のほぼ30%を占める地域であるにも関わらずだ。ヨルダン渓谷について、そこにどういう人々が、どんな暮らしをしているか、ほとんど報道されてこなかったからである。一般の日本人に限らず、パレスチナを取材する多くのジャーナリストたちもヨルダン渓谷の現状はほとんど知らないのではないだろうか。私自身も、長年パレスチナに通い取材を続けてきたが、正直言ってヨルダン渓谷は“死角”だった。1985年から1年半ほどイスラエル占領地に滞在し取材を続けていたころ、一時ヨルダン渓谷のパレスチナ人農業と水問題を取材したことがあったが、以来、20年ほとんど訪ねることがなかった。
 ところが昨年夏、突然、小泉前首相がイスラエル訪問を機に、「平和と繁栄の回廊」プロジェクトという“花火”を打ち上げた。「ヨルダン渓谷」という名が新聞紙上にも取上げられるようになったのはそれ以降である。
 日本による巨大プロジェクトは一体どんな場所で行われようとしているのか。私は昨年夏、ほぼ20年ぶりにヨルダン渓谷を訪れた。
 そのヨルダン渓谷で生きるパレスチナ人の現状の一端を見聞し、私は強い衝撃を受けた。想像もしなかった住民たちの悲惨な状況を目の当たりにしたからだ。そして、長年パレスチナを取材しながら、この現実に私自身がまったく目を向けてこなかったことを知ったこともショックだった。
 5万人を超えるパレスチナ人が暮らすヨルダン渓谷の大半はイスラエルが支配するC地区。その住民たちは、家も学校や病院、診療所の建物も自由に建てられず、水も電気も十分に供給されない状況の中での生活を強いられていた。“パレスチナ人の貧困”の代名詞のようになったガザ地区でも、これほどひどい状況はないはずだ。しかもその広大な土地の90%以上をイスラエルが支配し、5000人ほどのユダヤ人入植者たちが政府から“与えられた”その土地で、パレスチナ人には厳しく制限されている水をふんだんに使った近代的な農業プランテーションを経営している。
 こんな状況の中で、パレスチナ人の利益になる「和平のためのプロジェクト」が可能なのだろうか。むしろ「相互の利益」の名の元に、ユダヤ人入植者たちに、入植地で生産される農作物を湾岸諸国などアラブ市場に流通させる絶好の機会を提供し、イスラエル側だけが恩恵を受け、地元のパレスチナ人はせいぜいその生産のための安い労働力として搾取されるという皮肉な結果にならないだろうか。
 それが杞憂なのかどうかを判断しようにも、私はあまりにもヨルダン渓谷の住民の実態を知らなすぎる。「平和と繁栄の回廊」プロジェクトの是非を云々する前に、JICAがそれを進めようとしている地域にどういう人々がどんな状況の中で暮らし、どういう思いを抱いているのかを私自身が取材して日本に伝える必要があるように思う。

 今日、ほぼ半年ぶりにヨルダン渓谷へ向かった。ジェリコ市で待ち合わせたNGOのパレスチナ人スタッフの案内で、まずジェリコの街で住民たちから話を訊いた。
 街で出会った中年男性はジェリコ市の北部の地域で暮らすベドゥイン(羊の放牧などで生活するアラブ人部族)だった。彼は、ヨルダン渓谷に250ドナムの土地を所有していたが、4年前、近くに1人のユダヤ人入植者が移ってきた。その入植者は周囲の住民を武器で脅し、周辺の住民の土地を次々と奪い取っていった。その入植者が住み着いた地区にベドゥインの村人たちが所有する羊の群が近づくと、手当たり次第殺してしまうか、柵で囲み水も食料も与えず、死なせてしまった。イスラエルの警察も軍もこの入植者の傍若無人の行動を止め罰するどころか、入植者を守った。今では、周辺のベドゥインたちから4000ドナムの土地を奪いとってしまい、このベドゥイン男性も250ドナムの土地を失ってしまった。
 ヨルダン渓谷を南北に走る国道90号線を北上し、その現場を訪ねた。広大な平地の中にぽつんと入植者が暮らす建物が見える。その周辺は無人地帯だ。人や羊などが近づくと手当たり次第撃ってくるため、近づけないというのだ。その反対側の方向には、ベドゥインの村が見える。その入植地とベドゥイン村の間の数キロもある間の平地には、まったく人影もない。まるでアメリカの西部開拓時代のような傍若無人な土地収奪が、このヨルダン渓谷では今なお現実に起こっているのだ。
 ベドゥインの村ファサイルを訪ねた。泥とトタンでできた粗末な「家」が並ぶ。下水施設のなく、水も井戸からくみ上げる共同水道が村の中心に一箇所あるだけだ。一軒の家の中に入ると、壁はセメント造りだった。もし外の壁もセメント製にすると、イスラエル当局に「家」の建設とみなされ、破壊されると村人は言う。ある「家」の中に入った。コンクリート床の6畳ほどの部屋の隅には寝具が高く重ねられ、もう片方の隅にはガスコンロが置かれ、その横に食べ終わった後の皿が無造作に置かれている。この狭い部屋に8人が寝起きしている。昼間はこの部屋が台所、兼食堂にもなるのだ。ガザ地区でも、これほど粗末な住居はめったに目にすることはない。家を改築しようにも、イスラエル当局の許可は下りず、それでも建て直そうとすれば、新築または改築したばかりの家を破壊されることを覚悟しなければならない。
 「今、ヨルダン渓谷の住民にとって最優先されるべき援助は何か」と同行したNGOスタッフに訊いた。「学校と病院・診療所です。この村には学校はありません。3、4キロ歩いて隣村まで幼い子どもたちが毎日歩いて通学しなければなりません。しかも数百人が学ぶその学校の校舎にはトイレは2つだけです。汚くて中へ入るのも躊躇してしまうほどです。日本のJICAは廃棄物管理のためのプロジェクトを立ち上げていますが、私たちに必要なのは廃棄物管理ではなく、まず学校と病院です。『台所』を観てわかるでしょう。これほど貧しい家庭で、『廃棄物』と呼べるゴミが出ると思いますか。わずかに出る生ゴミも羊の餌になるんです」

 ジェリコ市内で住民にJICAのプロジェクトについて訊いてみた。全く知らないという人、話だけは訊いたが何をやっているのかまったく見えないと答える人もいるが、中には「今のようなイスラエル占領下でのプロジェクトは“占領”を助けるだけだ」と酷評する者もいた。ある住民は私にこう告げた。
 「これまで日本はパレスチナで手を汚してこなかった。しかしもし日本政府がこのプロジェクトでイスラエルの“占領”を助け、強化することに手を貸せば、日本は私たちの“敵”になる」

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