Webコラム

日々の雑感 44
パレスチナ・2007年 春 30

2007年5月4日(金)
「イスラエル国旗」と「日の丸」

 イスラエルの有力紙『ハアレツ』の記者で、アミラ・ハスと並んでパレスチナ人側から鋭く“占領”を追及する記者として著名なギデオン・スピロが「イスラエル独立記念日」前後に街中に翻るイスラエル国旗について、こんな旨の論説を書いていた。
 1967年の第3次中東戦争におけるイスラエルの大勝利から2年後、学生使節団の一員としてヨーロッパを訪ねたとき、使節団の乗ったバスの前方に、白地に青のダビデの星にナイル川とユーフラテス川を表す2本の青い線をあしらったイスラエル国家を掲げて走った。沿道の人々はイスラエルの劇的な勝利を祝福し拍手を送ってくれた。このときほど、自分がイスラエル人であること、その国旗に誇りを思ったことはなかった。その後、独立記念日など国の祝日には家の前に国旗を掲げることはスピロの習慣となった。
 しかし、スピロのこの国旗掲揚の習慣は、ある光景を目撃したことをきっかけに途切れた。
 ヨルダン川西岸で入植者の若者たちが、徒党を組んであるパレスチナ人の村へ侵入する現場をスピロは目の当たりにした。村人を挑発して脅すためである。その横暴な青年たちが車から振り回していたのは、大きなイスラエルの国旗だった。このときスピロの目に映った国旗は、あの時の「誇らしい国旗」ではなく、“パレスチナ人の土地を奪い、その生活を脅かす侵略者”の“シンボル”だった。そういえば、イスラエルが侵攻して奪った土地や建物の上に翻るのもイスラエル国旗であり、パレスチナ人の自由剥奪のシンボルである検問所に翻っているのもその国旗である。スピロの目にはいつしかイスラエル国旗が、“占領”のシンボル、“侵略者”のシンボルとして映るようになった。ヘブロンから2万近いパレスチナ人住民を追い出したユダヤ人入植地の屋根に翻るイスラエル国旗と同じものを、また夜中に突然、侵入してきてパレスチナ人の子どもたちを恐怖の底に陥れるイスラエル軍のジープに翻っている旗と同じ国旗を、スピロはもう自分の家に掲げる気にはとてもなれなかった。もう彼の家の前にあの白地に青のイスラエル国旗が翻ることはなくなった。

 多くのイスラエル左派がそうであるように、イスラエルの侵略と略奪、占領が1967年の第3次中東戦争以後に始まったと考え、1948年の「ナクバ」(パレスチナ人の故郷追放という大悲劇)については目を向けようとしないという欠陥はあるにしても、この記事の中にイスラエルの“良心”を垣間見る気がした。そして、この記事を読みながら、私は日本の「日の丸・君が代」と、それをめぐる日本の状況を重ね合わせずにはいられない。
 『「日の丸」の赤はアジアの人たちの“血”、「日の丸」の白はアジアの人たちの“骨”』という旨の詩を詠んだのは、ヒロシマの詩人、栗原貞子さんだった。その「日の丸」を学校で揚げろ、その“侵略戦争”の最高責任者であった“天皇”を称える「国歌」を起立して歌え、と国家や地方自治体は強制する。それは“人としての良心”が許さないと拒否する教員たちは「非国民」「愛国心を乱す輩」と厳しく罰せられる。そして“南京”も“元日本軍「慰安婦」”も、教科書の記述から抹殺されていく。
 『「ナクバ」はアラブ側のプロパガンダ、“占領”はイスラエルのセキュリティーのため』と居直り、正当化するイスラエル人の姿が、日本の加害の歴史を「虚偽だ」「誇張だ」と否定し、一方で「被害者」日本を強調しながら急速に右傾化する日本人の姿とどうしてもダブってしまうのだ。

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp