Webコラム

日々の雑感 47
パレスチナ・2007年 秋

2007年10月16日(火)
長井健司さんの死について思うこと

 「日々の雑感」を書くのは、今年春のパレスチナ取材以来である。半年ぶりにパレスチナに戻り、日本でのいろいろ雑務の多い日常生活から断ち切られ、宿の部屋にテレビがない静かな生活にもどると、朝、晩は他にすることもないせいか、突然、執筆意欲も湧いてくる。
 日本を発つまでの2週間、日本で悶々とした思いに駆られながらも、それを表立って表現する機会もなかった事件について、今回の「日々の雑感」を書き起こそうと思う。

 先月末に起こった、ビルマにおけるフリーカメラマン・長井建司さん死亡事件に関する日本メディアの“嵐のような報道”を、私は冷めた目で見つめていた。各テレビ局は争うように、長井さんが撃たれた状況を微に入り細に入りトップニュースとして伝え、その後、遺体の日本への搬送、返されなかった遺品、遺族や同業者たち、さらに民主化運動をする在日ビルマ人たちの反応、そして生前の彼を知っていると自認する人たちの「正義感の塊(かたまり)のような人だった」「苦しんでいる人たちを黙って見過ごせない優しい人だった」と言った長井さん礼讃のコメントが続く。さらに長井さんの口癖だったという「誰も行かない所へ誰かが行かなければいけない」の言葉が何度もテロップ付きで伝えられ、「自分が犠牲になることも覚悟で、過酷な戦場・紛争地で起こっていることを伝えなければという使命感に燃えるジャーナリスト魂の塊(かたまり)のような人」としての長井さん像が定着していく。彼は実際、そういう人だったのかもしれない。しかしそのことはこれほど強調され美化されることなのだろうか。
 そのメディア報道に影響されたのだろう、生前それほど名が知られていたわけではない一フリーカメラマンの葬儀に1000人を超える人が集まり、それがまたテレビでトップニュースとなる。その一方、大衆デモが暴力で鎮圧されて一見「沈静化」したように見えたビルマの情勢に関するニュースは激減した。いつしか“ビルマ報道”は“長井さん射殺の真相究明報道”にすり替わっていったように私には見えた。当のビルマ国内では、「鎮圧」されたまさにその時こそ、民主化を求めて立ち上がった多くの僧侶や民衆への弾圧が最も激しくなり、そのことこそ世界が注視しなければならない時期だったにも関わらず、である。
 確かにジャーナリストが至近距離から射殺される事件は異常で衝撃的であり、それがビルマ独裁政権の正体を凝縮するような出来事ではある。しかし、あの当時、軍のデモ弾圧で、何十人ものビルマ人が犠牲になっているのである。なのに「日本人ジャーナリストの射殺」だけが特化され、そのことがこれでもか、これでもかと言わんばかりにテレビ報道のトップニュースで伝えられることが、私には不可解でならなかった。まるで“日本人の命”は“ビルマ人の命”よりも、何千倍も重いかのような伝え方に、私は苛立たしさに似た感情さえ覚えた(テレビ局側は「視聴者は日本人のことにこそ関心があり、それに応えていくのがメディアの責務だ」と言うだろう。言い換えれば「視聴率が取れるから」ということだろう)。
 私は3年半前のイラク報道を思い出す。2004年4月、日本のメディアはイラクでの4人の日本人人質事件で大騒ぎとなった。連日、4人の安否を知るどんな小さな手がかりでも大ニュースとなった。家族や関係者たちにも報道陣が押し寄せる。「4人を救え」の大合唱が起こる一方、それに比例するように4人の「自己責任論」がまたメディアを賑わす。当時のイラク報道は、「日本人人質事件」報道にすり替わった。
 しかしちょうど同じ時期、イラクのファルージャでは米軍の猛攻撃で750人を超える住民(武装勢力だけでなく一般市民も多く含まれていた)が殺害され、3000人近い負傷者を出していた。しかしこの大事件も、「人質事件」の陰に隠れて、あまり日本人に注目されることはなかったように記憶している。やはり日本人にとって“日本人の命”は“イラク人の命”より何倍も重いのだ、とあの時も痛感した。当時、湾岸諸国に滞在中のある日本人の中東専門家は「ファルージャでの惨劇に目を向けることもなく、4人の日本人の命を救えとだけ訴えても、現地では通用しない」という趣旨のメッセージを寄せた。

 長井さんと同業者である私は、自分の胸に手を当てて、“ジャーナリスト”としての自分の姿を振り返るとき、赤面するようなことが少なくない。私は根から臆病だから、自分の命が危ないと直感する現場からはすぐに逃げる。それほど臆病でも、紛争や戦闘の真っ只中で取材せざるを得ないときもあり、その時、身の危険を感じないわけではなかった。例えばイスラエル軍の侵攻が続き銃撃音が鳴り止まないガザ地区のラファやハンユニスで住み込み取材をしたとき、またイスラエル軍に包囲されたバラータ難民キャンプに滞在し2週間も閉じ込められたときなどはそうだった。しかしそれでも、現地の住民に比べてジャーナリストの自分が特別に危険なわけでもなかった。私たちは危険になれば現場から逃げられるが、現地で暮す住民は逃げられないのだから。
 そういう危険を覚悟で、自分はどういう動機で現場に入ったのだろうか、と自問するとき、私は決して「自分が犠牲になることも覚悟で、過酷な戦場・紛争地で起こっていることを伝えなければというジャーナリストとしての使命感」だけで動いていたわけでなかったことを正直に告白せざるをえない。「だれも行かない危険な現場」に入ろうとするとき、私には「歴史的事件をその現場で目撃したい」という野次馬根性、「スクープ映像が取れる」「テレビで放映できる」という功名心、自己顕示欲、そして金に繋がる物欲もあったことは否定しようもない。もちろん、こんな私でも「これを伝えずにはおくものか」というジャーナリストとしての使命感も確かにあった。しかしそれだけで動いていたわけではないのは確かだ。
 私はパレスチナで惨劇の跡を取材するとき、被害者の住民からこんな言葉を投げつけられたことがある。「お前たちは、私たちの悲劇を撮影してテレビ局や雑誌に売って金もうけをする。お前のようなジャーナリストがこれまでもたくさん来て、たくさん撮影していったが、それで私たちの生活がよくなかったか。何も変わらないではないか。お前たちは私たちの悲劇を食い物にする“禿鷹”じゃないか」
 私はそんな非難を「いや、違う」とは否定できなかった。確かに私には“禿鷹”の部分もあるからだ。「しかし」と私は思った。「それだけではない。『これを俺が伝えなかったら、誰が伝えるんだ。これを外に伝えずにおくものか』と撮影しながら、涙が止まらない自分も確かにいる」と。
 自分がそれほどきれいな人間でないことは50年以上も生きていると、嫌というほど思い当たる。しかし「純粋」な部分も確かにある。それがジャーナリストとしての仕事の中で、少しでも多く生きてくれればと願っている。
 私は“ジャーナリストとしての使命感”だけでこの仕事をやっていない自分でも、この仕事を続けていいと思っている。たとえ動機が100%「純粋」ではなくても、例え名誉欲、自己顕示欲または“自分が生きている意味”を確認するために現場へ向かったとしても、撮った写真や映像は、その本人の意図を超えた情報を伝えるし、それが人を動かし、社会を動かす可能性だってあるのだから。要は、結果として「何を伝えたか」がより重要だと私は考えている。だからジャーナリストを美化したり、その仕事を特別に“神聖化”するのは危険だと私は思っている。「たかがジャーナリスト。されどジャーナリスト」である。

 ジャーナリストが事象を伝えるとき、自身は、“黒衣”(くろこ)でなければならないと、私はいつも自分に言い聞かせている。“伝えるもの”にこそ光が当てられるべきであり、それを“持つ手”つまりジャーナリスト本人は観客の目から見えるべきではない。“伝える内容”でこそ評価も非難もされるべきであり、それ以外のことで有名になったり、批判されたりするのは、ジャーナリストとして好ましいことではなく、むしろ“恥ずかしいこと”だと私は自分に言い聞かせている。人質になったり、殺害されることで取材者本人が“主役”になることは、ジャーナリストとして誇りにすることでも賞賛されることでも決してないのだと。“主役”はあくまで、悲惨な状況で生きていかなければならない現地の民衆なのだから。
 犠牲になったジャーナリストを“英雄視”する風潮は、おかしいと私は思う。そして同業者として、やるべきことは「賞賛する」ことではなく、その犠牲の原因は何だったのか、どうしても避けられない死だったのか、もし避けられたとすれば、何が問題だったのかを冷静に検証することだと思う。長井さんの場合なら、事前に、現在のビルマ情勢の中で、私服警官などの監視の目はどれほどのものか、当局の監視下でのカメラ撮影にはどういう注意が必要なのか、現地の住民からもっと情報を得る努力をすべきではなかったか、彼は「危険だからここでの撮影は止めるように」と制止するコーディネーターに「大丈夫だ。自分は危険なアフガニスタンやイラクでも取材したんだから」と反応している言葉が、最後のテープに残されていた。その状況判断は正しかったのか、現場での服装はあれでよかったのか、撮影の“立ち位置”はあれでよかったのか、など、同じ状況に直面するかもしれない私たち同業者は、冷酷で惨(むご)いようだけれども、きちんと検証し、それを今後の教訓として生かしていかなければいけないのではないか。それこそ、ジャーナリストとして長井さんを“追悼”することではないだろうか。彼の“死”を生かし、その屍を乗り越えて、現場で取材し続けていくことこそが、私たち同業者の“責務”ではないかと私は思うのである。

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