Webコラム

日々の雑感 60
パレスチナ・2007年 秋 14

2007年11月11日(日)
ガザ:品不足で値が高騰する生活用品

 ガザ入りして4日目にしてやっと私は、今回のガザ取材の拠点に落ち着いた。場所はガザ市に隣接するビーチ難民キャンプの民家。主人のワエル(44歳)はPA(パレスチナ自治政府)に勤務していたが、ハマス制圧後、給与はもらいながら休職中である。奥さんのアムナ(39歳)は公立小学校の教師。長女ハニン(12歳)、長男ワリード(9歳)、マフムード(8歳)の3人の子どもがいる5人家族。ワエルはかつて欧州に1年留学したことがあり、通訳の仕事をしていた。英語が堪能で、しかも休職中なので、私の取材の通訳も彼にお願いすることにした。

 私は今回のガザ取材を、まずこのイスラエルによる厳しい封鎖がガザ市民の生活にどういう影響をもたらしているのかを現場で見聞することから開始した。
 私とワエルは、まずセメント業者を訪ねた。かつて20キロ袋当たり30シェーケルだったセメントが、封鎖でまったく入荷されなくなり、今では値は1袋200シェーケルに跳ね上がった。それでも手に入らないという。ガザ地区では、建設中の建物は工事を中止せざるをえなくなった。その影響は、コンクリート輸送トラック運転手などコンクリート業界、ブロック製造業にも直接及んでいる。これらの業界で働いていた労働者たちは完全に失業してしまったという。
 薬局で売っている粉ミルクも店頭から消えていた。シャンプーも在庫はもうわずかしかない。とりわけ幼児用のシャンプーや石鹸の不足は深刻だという。ヨルダン川西岸で製造されている薬品も入ってこない。
 スーパーマーケットでは、コカコーラなど清涼飲料水を並べる冷蔵庫は空っぽだった(他の店で缶入りのコーラを買ったら、かつて1シェーケルだったのが、今は2.5シェーケルに跳ね上がっていた)。ミルクも品不足で値が高騰し、この店ではもう売られていなかった。タバコもこの店の棚から消えていた。
 そのタバコは今、露店で売られている。交差点のあちこちに小さな机を置いただけのタバコ屋がある。パレスチナ広場には“タバコ市場”ができている。値段を聞くと、エルサレムでの値段の2倍から3倍である。とりわけ外国タバコの値段が跳ね上がった。
 そういえば、私がガザに入る前夜、ガザの知人からエルサレムの私に電話が入った。「フランス製のタバコを10箱(カートン?)買ってきてほしい。料金はこちらで払うから」というのだ。私は10箱入り1カートンを100シェーケルで買った。それを電話で相手に知らせると、10箱ではなく、10カートンだという。つまり1000シェーケル分だ。量も当然かさばる。今回、エレズ検問所で相当歩くことを予想し、荷物を最少限に抑えようとしているのに、そんな事情もわからず無理な注文をしてくるその知人にムッとした。「10カートンは無理だ。5カートンが限度だ」と怒気のこもった声で答えた。「私は取材という仕事のためにガザへ行くのであり、タバコの“運び屋”じゃないぞ!」と口から出そうになったが、その言葉をぐっと飲み込んだ。また同じタバコ屋で、あと4カートンを注文すると、主人が「ガザへ持っていくんだろう?」と笑った。「ガザではこのタバコが今は2倍以上するからね」というのだ。やっとガザの知人がわざわざ電話してきた事情がわかった。私はあと2カートンを買い足し、7カートンをガザに持参した。

 ガソリンスタンドで値段を訊くと、たとえ品不足でも、ガソリンの価格は国際価格から大きく吊り上げることはできないと従業員が答えた。ただこのままではあと1週間分のガソリンしかこの店にはないと言う。
 ビーチ難民キャンプのスーク(市場)。果物店に並んでいるのはガザで生産されたオレンジだけで、他の果物が並ぶはずの棚は空のままである。これまで店頭を飾っていたイスラエル産の果物がまったく入ってこなくなったのだ。
 ビーチ難民キャンプのワエルの家の近くにテレビ修理工がいるというので、ビデオカメラの壊れたマイクの修理を頼んでみることにした。正直言って、この微妙な器械をこの難民キャンプで修理できることはあまり期待できないと思いながらも、とにかく持ち込んでみることにした。その“工場”は6畳ほどしかない狭い部屋で、修理台の上には現在、修理中のテレビのブラウン管が並んでいる。隅には古い型のテレビが山詰みされていた。修理を終えたが、金のない住民たちが受け取りに来ないのだという。44歳のその修理工は、私が持ち込んだビデオマイクの切れた複数の細いケーブルを巧みにハンダで繋ぎ、あっと言う間にマイクを修理してしまった。半分諦めていたので、私は歓喜した。彼はその修理代をどうしても受け取ろうとはしなかった。
 彼は1台のテレビを修理して70から80シェーケル(2100円から2400円)の料金を手にする。まだ難民キャンプにはほとんど普及していないが、近い将来、ここでも液晶やプラズマの薄型テレビが出てくるだろう。それに対応できるのかと訊くと、「インターネットで最新のテレビの修理法は学ぶことはできます。ただ問題は封鎖によって修理に不可欠な部品が入ってこないことなんです」と言った。
 難民キャンプの片隅にこれほどの腕を持った職人がいたことに驚き、感動した。彼がもし日本など先進諸国でこの仕事をする機会があれば、十分な富が築けるだろうに。私がそう言うと、彼は「1台80シェーケルの報酬があれば、ここでは生きていけますから」と答えた。

 街をこまめに歩き取材していくと、今回の封鎖の影響が住民の生活の隅々まで及んでいることがわかってくる。昨年夏もガザ地区で、封鎖による影響を街に出て調べたが、今回の影響の大きさは前回の比ではない。

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