Webコラム

日々の雑感 127:
イスラエル映画『バシールとワルツを』(『戦場でワルツを』)を観て

2008年12月7日(日)

『バシールとワルツを』(『戦場でワルツを』)ポスター

 「たとえイスラエルの政策に批判的と思われる映画も、私たちがきちんと伝えようとしている姿勢を見てほしい」。この映画に招待してくれたイスラエル大使館の担当者は私にそう言った。大使館にとっては「札付きの反イスラエル・ジャーナリスト」にちがいない私が映画に招待されたことに驚き、ちょっと戸惑いもした。そしてその「懐の深さ」に感心もした。

 『バシールとワルツを』というタイトルに、「いったい何がテーマなのか」と頭をかしげたが、案内文を読んでやっと、「1982年、イスラエル軍のレバノン侵攻に参戦した元イスラエル兵の体験ドキュメンタリー・アニメ映画」であることを知った。それにしても、なぜこのタイトルなのか、観終わった後も理解できないままだ。

(追記:その後タイトルは『戦場でワルツを』となった)

 「レバノンで殺した26匹の犬に復讐されようとする悪夢に苦しむかつての戦友の告白を機に、主人公のアリ・フォルマン監督は、自分の記憶から当時の体験がすっぽり抜け落ちていることに気付く。その記憶の空白を埋めるために、監督は、かつての戦友たちを訪ね歩く。その結果、抜け落ちた記録は、ベイルートのサブラ・シャティーラ難民キャンプでの虐殺事件に関わる体験だったことを知る」

 そういう映画だ。実際に参戦したイスラエル兵の等身大の視線からは、あのレバノン侵攻はこういうふうに見えていたのかと、私はこの映画で初めて知った。その兵士たちの深層心理と“心の傷”、さらに祖国の「暗部」を描いたこのイスラエル監督の勇気と志には素直に敬服した。

 1982年のこのレバノン侵攻(または“侵略”。戦闘能力が拮抗する2国家間の「戦争」などでは決してなかった)は、私にとって、単なる「中東における歴史上の1事件」ではなかった。当時、私はパレスチナ系中東専門雑誌の編集部に所属していた。レバノンから次々と送られてくる情報をむさぼるように読み、記事を書く毎日だった。その数年前、イスラエル占領地で、実際にパレスチナ人と出会っていた私にとって、彼らは単なる集合体としての「パレスチナ人」ではなく、等身大の顔が見える、固有名詞の人間たちだった。
 そして新聞紙上で、サブラ・シャティーラの瓦礫に埋まった女性や子ども、狭い路地に折り重なっている男たちの膨れ上がった遺体の写真を目の当たりにしたとき、私は言い表しようのない怒りと悲しみに号泣した。
 その直後、東京でも、レバノンでのイスラエルの戦争犯罪を裁く「国際民衆法廷」が開催された。板垣雄三・東大教授(当時)や作家の故・小田実氏ら日本の知識人たちが呼びかけ、パレスチナ側、イスラエル側、そしてレバノンからの証言者たちを招いて行われた。イスラエル側からは、当時、人権弁護士として著名だったフェリシア・ランガー女史が参加した。同時に、イスラエル政府が設立した虐殺調査委員会の報告書も資料として提出されたように記憶している。この「民衆法廷」の中で、虐殺事件の検証はもちろんのこと、イスラエルのレバノン侵攻の背景と構造の一部も明らかにされていった。
 このように私の半生の一部に刻まれたレバノン侵攻とサブラ・シャティーラ虐殺事件を、参戦した当事者である元イスラエル兵自身が、どこまでその問題の本質を描ききれるのか。それこそ、私が一番知りたかったことだった。

 たしかにこのアニメ映画では、「イスラエルの暗部」の一部が描かれてはいる。「敵地」に上陸した兵士たちが恐怖心から、通りがかった民間人の車に乱射し、家族全員を射殺するシーン、走る装甲車から周辺に機関銃を撃ちまくり、犠牲となった民間人の遺体の山を、まるでゴミでも回収するかのように空港に集め、輸送機に載せて“処理”するシーン、占拠した富豪の家の一室でポルノ・ビデオにふける軍幹部、そして極めつけは、レバノン人キリスト教徒右派民兵「ファランジスト」による虐殺を黙認するだけではなく、イスラエル軍が両難民キャンプを包囲し後方支援した事実……。
 この映画は、監督自身、また参戦した他の元兵士たちが25年経った今なお抱え込む、レバノン侵攻での戦闘の恐怖と加害体験による個々人の“心の傷”をあからさまに描いて見せた“告白の作品”だ。案内文によれば、この映画はイスラエル国内では「大絶賛された」という。でも「国家と個人の暗部」を白日の下にさらすこの映画が、なぜ「大絶賛された」のか。
 私はこの映画が“治癒”の効果があるからだと思う。これまで個人の内面に押し込め隠し通してきた“負の記憶”を、自分に代わってこの映画が曝け出してくれたことで、監督と同じように“心の傷”を抱える同世代のイスラエル人たちは、この映画にある種の“カタルシス”を見出したのだろう。つまり「抑圧されて無意識の中にとどまっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神療法の技術、浄化法」(『広辞苑』より)となったのではないか。さらに、自分たちイスラエル人は、自分たちの「暗部」をも曝け出すだけの「勇気」と「良心」を持つ人間なのだと自己確認する“カタルシス”でもあったのかもしれない。

 だが、この映画には、すっぽりと抜け落ちている部分がある。その1つは、ここで描かれるパレスチナ人、レバノン人には、「バシール」というファランジストの指導者以外、固有名詞も“顔”もないことだ。つまり「敵」であり「テロリスト」であり、せいぜい「虐殺の犠牲となった民間人」というマスなのである。実際に参戦した1兵卒の等身大の視線からこの侵攻を描こうとすれば、それ以外に捉えようがなかったことも確かだろう。1箇所だけ、「敵」の顔が見える瞬間がある。進軍するイスラエル軍の装甲車に立ちはだかり、ロケット砲を放つ少年だ。しかしそこには「なぜこんな少年が死を覚悟で攻撃してくるのか」という問いの投げかけはない。大半の観客は「敵は生来のテロリストだから」とやり過ごすことだろう。しかしこの場面と問いは、このレバノン侵攻の“背景”と“構造”へと思いをはせる入り口となりえる重要なシーンだったはずだ。
 “顔”のない「敵」「テロリスト」せいぜい「虐殺の犠牲となった民間人」として登場するパレスチナ人やレバノン人は、この映画のテーマである戦争の恐怖と「虐殺を黙認した」加害の自責による元イスラエル兵個々人の“心の傷”を浮かび上がらせ際立たせるための“背後の風景”“舞台装置”でしかないようにも見える。

戦車の上で浮かれながらレバノンに進軍するイスラエル軍兵士を描いた場面

 欠落の2つ目は、まさに前述した“背景”と“構造”だ。
 戦車部隊が越境しレバノン領土へ進軍していく象徴的なシーンがある。南レバノンの村々の美しい光景に見とれながら兵士は「まるでピクニックに行くような気分」と語り、鼻歌を歌う。そこには他国へ侵略する軍の一員なのだという自覚は微塵もない。そして突然、銃撃され「被害者」になるのだ。このシーンに限らず、映画で描かれる兵士たちの言動に、「なぜ自分が他国レバノンで闘っているのだ」という自問も、この「戦争」はどういう戦いなのかという問いかけもない。あたかも「テロリスト討伐の正義の戦い」という国家と軍指導部の大義名分が自明のことであるかのように映画は進行する。しかしこのレバノン侵攻の“背景”と“構造”こそ、イスラエルが抱えるもっと根深い“暗部”であるはずなのだ。
 それを見つめるにはまず、向き合う「敵」や「テロリスト」「虐殺の犠牲となった民間人」が、自分と同様、身体の傷だけではなく、深い“心の傷”を負う“感情を持った同じ人間”なのだという自覚を持ちえなければならない。心身共に傷つく“同じ人間”に自分が“痛み”を与えているという自覚は「なぜ?」という疑問につながり、自分の行動を相対化する営為へと発展していく。それはさらに自分が所属する軍隊、それを動かす国家の意図の相対化につながっていくはずだ。
 だからこそ、国家と軍隊が恐れるのはまさに“敵の人間化”なのだろう。戦争で“心の傷”を負う兵士たちを描いたNHKのドキュメンタリー『兵士たちの悪夢』の中で、軍隊が敵を“非人間化”する理由と過程を象徴する1例として、ベトナム戦争時に新兵を訓練した元担当官が登場する。彼は、新兵に叩き込んだのは“条件づけ”だったと語る。

 「まず敵は人間以下だと教えます。ベトナム人は銃を真っ直ぐ撃つことさえできないと教えたりしました。あいつらの目は細くてものがよく見えない。アメリカ人の丸い目とは違うんだとね。敵を殺させるには、相手が人間だという感覚を徹底的に奪っておくことが重要です。なぜなら敵も同じ人間だと感じた途端、殺せなくなるからです」

 そんな国家や軍隊の意図にも関わらず、あのレバノン侵攻でも、イスラエル兵たちの中から、自分たちの行動を相対化し、そこから起こる疑問と向き合い、立ち上がった者たちが少数ながら出てきた。「イエシュ・グブウル(限界がある)」という、レバノンや占領地での兵役を拒否する兵士たちのグループである。彼らはレバノンや占領地での兵役は、「祖国防衛の戦い」ではなく“侵略”であり、それに加担することは自分の良心と人間性への背信、自己崩壊を意味し、さらに祖国のモラルの崩壊につながるという危機感を抱き、立ち上がったのである。
 私が拙著で、また現在制作中のドキュメンタリー映画で描いている「沈黙を破る」の将兵たちもまたそうだった。彼らは“占領者”であるために起こる自己のモラルと人間性の崩壊、さらに自分たちの社会、祖国のモラル崩壊への危機感から“沈黙を破”った。そんな彼らが語った言葉のなかで、私の印象に強く残った表現がある。「自分の良心や道徳心、人間性が壊れていくようで悩み苦しんだ」と告白した後に、その将校はこう付け加えたのだ。

 「でも、ほんとうの犠牲者はパレスチナ人です。自分たちの苦しみは、住む家を破壊されたり殺されていくパレスチナ人たちに比べることはできない」

 それは、自分が向かい合う相手を“同じ人間”と見る視点であり、その“痛み”に対する“想像力”である。「沈黙を破る」に私が注目するのは、彼らが自分自身の“心の傷”だけに執着せず、それを引き起こす“占領”という“構造”へと目を向け、さらにその犠牲者であるパレスチナ人の“痛み”へと想像力を敷衍していることだ。
 ヘブロン・ツアーを企画しユダヤ人入植者たちの暴行・迫害を受けるパレスチナ人住民たちの現状を視察させる彼らの活動も、パレスチナ人農民のオリーブ畑にボランティアに行く行為も、「被占領者」パレスチナ人というマスの存在を自分の中で“人間化”する営為の1つなのだと私は思っている。それは「良心的なイスラエル人の善行」ではなく、占領者であることで負った“心の傷”の“治癒”、つまり個人の人間性の蘇生と、社会の健全さの回復のための行動なのだろう。
 「沈黙を破る」の元イスラエル軍将兵たちは、決して「売国奴」でも「非国民」でも、「反イスラエル主義者」でもない。むしろ、その顧問が語るように「イスラエル社会に背を向けた連中ではなく、社会のバックボーンである普通の将兵」「社会の“主流派”で、愛国的な戦闘兵士たち」なのである。それは「(このまま占領を続けたら)この“国”自体が無くなるかもしれない」という、いた堪らない危機感を抱くイスラエルの青年たちだ。代表のユダは言う。「私たちの“内面”が死滅しつつあるんです。この社会の奥深い部分が死んでいっています。それはここイスラエルで社会と国の全体に広がっています」
 彼らは心底、祖国の将来を想う、真の意味での“愛国者”たちなのである。そしてその声を著書や映画で伝えようとする私は、「反イスラエル・ジャーナリスト」なのではなく、真の“親イスラエル・ジャーナリスト”なのかもしれない。

 『バシールとワルツを』は「東京フィルメックス・コンペティション」(「東京フィルメックス」のプログラムの一つで、アジアの新進作家の映画を上映するコンペティション部門)で最優秀作品賞を受賞した。その受賞理由にこう記されている。

 「新しい映像言語を発明しつつ観客に強烈なインパクトを触発する、この大変重要な映画作品に最優秀作品賞を授賞します。特に感心をしたのは、幻想的なヴィジョンを史実と交差させる知性と、語りの手法としての音楽の使い方でした」

 「新しい映像言語」「語りの手法」は高く評価されたのだろうが、私が言及したような内容についてはまったく触れられてはいない。この映画祭での候補作品の評価にはそういう判断基準はないのだろう。
 イスラエル大使館には、このように自国の「暗部」を描いた映画も紹介する「懐の深さ」があることを知ることができたことは、私には大きな収穫だった。しかし私が言及したような、イスラエル国家の体質に関わる、もっと根深い“暗部”を描く映画 をも容認する覚悟はあるだろうか。私が制作中のドキュメンタリー映画「沈黙を破る」をも、イスラエル大使館が受け入れてくれる“懐の深さ”を期待するのはやはり難しいことだろうか。

『バシールとワルツを』(『戦場でワルツを』)
(Waltz with Bashir/イスラエル、フランス、ドイツ/2008年)

『戦場でワルツを』公式サイト

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