Webコラム

日々の雑感 132:
ガザ住民が電話で伝える状況

2009年1月3日(土)

 ガザの状況を直接知るために、昨年末に友人のラジ・スラーニ(「パレスチナ人権センター」代表の人権弁護士)に電話してみたが、通じなかった。そして昨夜、ガザの友人の1人とやっと電話が通じた。「人権センター」のスタッフで、私が1993年以来、その家族の元に断続的に長年住み込んできたジャバリア難民キャンプのエルアクラ家の長男バッサム・エルアクラである。彼は、私が現在制作中のパレスチナ・ドキュメンタリー映像シリーズ、第1部「ガザ─なぜ和平合意は崩壊したか─」の主人公である。
 一昨日、ハマスの幹部とその家族10人が自宅を空爆され殺害されたのはガザ最大の難民キャンプ、ジャバリアだった。その難民キャンプで暮すバッサム(彼とその妻、子どもたちはガザ市内で暮している)の家族の安否が気がかりだった。「家族は、みな元気だ」と言う電話の向こうバッサムの声にほっとした。しかし3日前にはエルアクラ家の近所も爆撃され10人が殺害され、今も5分おきぐらいに爆撃音が聞こえるという。「パレスチナ人権センター」もオフィスで仕事を続けることが危険で、毎日プレスリリースを出すためにスタッフが2、3時間作業をするだけだという。

 ラファの様子を知るために、私の通訳をしてくれていた青年イブラヒムにも電話をかけてみた。私と仕事をしていた2005、6年ごろにはまだイスラム大学英文科の学生だったが、その後、UNRWA学校の英語教師となった。
 イブラヒムも、いたるところで空爆による爆発音が聞こえると伝えてきた。私がかつて彼とパレスチナ選挙を取材したサブラ地区が爆撃され、彼の友人2人が殺害されたという。
 ラファはエジプトから電気が送電されてくるが、それでも電気が使えるのは北部と同様、日に2、3時間だという。停電すればポンプが機能しないために、水の供給が困難になり、水不足に直結する。
 学校も緊急事態のため、2週間休校になっている。教員たちの給料は半分出ただけで、イブラヒムの収入は200ドルだけだった。その大きな原因は、ガザ地区の銀行に現地で通用しているイスラエル通貨シェーケルの現金が不足しているからだという。

 「小麦粉が足りない」。食料事情を訊くと、イブラヒムが真っ先に挙げた。現在、海外からの救援物資がエジプトとの国境から運び入れられる食料で食いつないでいるが、その量がまったく足りないというのだ。ちなみに救援物資の搬入は許されても、人の通行は許されていない。
 「食料のほかに緊急に必要なものは?」と問うと、「医療品」という答えが返ってきた。現在は負傷者は3000人を超え、手術のための設備や薬品が絶対的に不足しているというのだ。1昨年、私が取材した封鎖下のガザがそうであったように、手術のための麻酔ガスが不足しているはずだ。今の状況は当時の比ではないにちがいない。
 日本など外国からどういう支援ができるのか、それはどのようにガザに持ちこめるのかと訊くと、イブラヒムは、「ラファ国境に近いエジプトのアリーシュまで運び入れれば、そこから陸路でガザへ搬入できるはずだ」と言った。
 エジプトのアリーシュに送れば、それらはラファの国境から我われに届く。国境は開いている。人は通れないけど、救援物資は通れる。

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