Webコラム

『ハートロッカー』は「西部劇」

2010年3月9日

(2月16日 記/『キネマ旬報』3月号掲載記事原稿)

 「本能を揺さぶるサスペンスとサプライズの力作」「魅了する力と知性を備えた最高傑作」とアメリカのメディアで絶賛されたこの映画を、私は、同じくイラク戦争での米兵たちを描いた『リダクテッド 真実の価値』(ブライアン・デ・パルマ監督、2007年、米・カナダ)と比較しながら観ていた。私は戦争が終結した直後から4度、米軍占領下のイラクを取材した。その体験から判断して、後者が元兵士たちの証言を元に当時のイラクの現実をリアルに再現しているのに対し、前者『ハート・ロッカー』には、現実にはほとんどありえないと思えるシーンがいくつかある。1つは米軍が封鎖した地区に突っ込んでくるタクシーを米兵たちが囲み運転手を銃で威嚇して後退させ捕獲するシーン。また家の陰や屋上で「不審な人物」を発見したとき、それを「危険人物」と確認するまで銃撃を自重するシーン。あのような状況では恐怖でパニックに陥った米兵は反射的に発砲し射殺するだろう。私自身、似た事件をいくつも取材したし、病院には米軍の銃撃や暴行で重傷を負った一般住民がたくさんいた。『リダクテッド』でも、検問所で米兵の停止命令を無視したとみなされた車が米兵に銃撃され、中の妊婦と胎児が惨殺される生々しいシーンが描かれている。戦争直後は「フセイン独裁からの解放者」と歓迎された米軍だったが、やがて住民の中に激しい反発と憎悪が広がっていった。その要因の1つがこの米兵たちによる住民への理不尽な銃撃や残虐行為だった。またそれが、この映画が「極悪非道のテロリスト」と描く「反乱軍」(映画解説の表現)を、米軍を狙った爆弾攻撃へとさらに駆り立て、住民もそれに溜飲を下げる状況を生み出す一因となった。しかしこの映画は、この現実や背景を一切消去し、「反乱軍」は「悪魔」、それと対峙する主人公の米兵たちは「ヒューマンで、テロと身を挺して闘う英雄」として描きだす。
 アメリカ国民に受け入れやすいこの単純化された構造の描写は、「西部劇」以来の伝統なのかもしれない。困難を乗り越え「西部を開拓する白人」と、それを阻もうとする「悪魔のインディアン」。最後にはその敵を悪戦苦闘の末に淘汰し「開拓」を成就する「英雄」……。アメリカ人の観客は窮地に追い込まれる白人の姿に手に汗を握り、最後には溜飲を下げ拍手喝采する。しかし、そこには、白人が原住民にとって、「開拓」の名の下で自分たちの土地と生活基盤を奪い取る“侵略者”である現実は見事に消去されるのだ。この映画でもイラク戦争の経緯も、住民にとっての米軍占領の意味あいもまったく描かれず、「『爆弾テロ』と闘う勇敢な米兵」だけに光が当てられる。しかも米兵の心情は細かく描かれても、イラク人の“人としての顔”“心情”は見えない。描かれるのは「テロリスト」だ。だから観る人は、占領される住民の屈辱と怒りなどその心情に思いを馳せることもできない。
 もう1つ『ハート・ロッカー』から消去されているのは、占領者となった兵士たちが抱える内面の葛藤だ。たしかに占領される住民に囲まれ、いつ攻撃されるかもしれない恐怖心は実にリアルに描かれている。しかしその恐怖心や、住民の生殺与奪の権利を一手に握る快感からくる倫理・道徳観の鈍麻によって“人間性が壊れていく”兵士たちの現実は一切無視される。『リダクテッド』では、恐怖心、過酷な環境、何のために地獄のような苦しみに耐えるのかという任務目的の喪失で兵士が“崩れていく”プロセスと実態が詳細に描かれている。その象徴は、兵士たちによる14歳の少女の輪姦と、その証拠隠滅のために少女の顔を銃弾で粉砕し家族全員を惨殺する、実際に起こった事件を再現したシーンだ。
 イラクで兵士たちが“壊れていく”現実は、日本でもテレビ・ドキュメンタリーで伝えられ、知られるようになった。無辜の住民を銃殺した良心の痛みでPTSDになり自殺未遂を図った兵士、アル中に陥り通常の生活ができなくなった兵士、帰還後、戦場と一般社会との区別がつかず、衝動的に殺人を犯す元兵士……。この現実が深刻な社会問題となっている。映画の冒頭の言葉「戦争は麻薬である」は、このように心身共に深い傷を負い“壊れていく”兵士たちからは絶対に出てこない言葉だ。彼らにとって戦争は「麻薬」ではなく「悪夢」なのだ。この冒頭の言葉そのものが、『ハート・ロッカー』がイラクの兵士たちの現実から遠い架空の映画であることを象徴している。
 映画が「イメージ作り」に果たす役割は軽視できない。イラク戦争に対する国際世論の激しい非難で自信喪失した米国民にとって『ハート・ロッカー』は、「米兵はイラクで、自らが犠牲になることもいとわず、『テロとの闘い』という崇高な任務を果たしイラク国民を救っている。やはりイラク戦争と占領は正しかった」と安堵させ、国民に自己イメージと自信を回復させることに貢献するかもしれない。しかしそれは逆に、イラク戦争の実態や本質からまたアメリカ国民の目を背けさせることになりかねない。
 たとえ映画として「緊迫、恐怖、勇気を描いた傑作」「本能を揺さぶるアクション映画の第一級作品」であっても、それが問題の本質を見誤らせかねない映画なら、無邪気に称賛ばかりはしてはいられないはずだ。ましてや、戦争と占領で何万というイラク人住民が犠牲になり、今なお傷痕が疼き血を流し続ける“イラク”を描く映画ならなおさらである。それが度外視され、「映画の面白さ」「出来栄え」だけで映画が評価され由緒ある賞などで絶賛されるなら、アメリカ映画界の体質と見識そのものが問われかねない。

【付記】この原稿を執筆後、『ハート・ロッカー』は、アカデミー賞において、作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、音響編集賞、録音賞の6冠を獲得した。

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