Webコラム

日々の雑感 170:
ラジ・スラーニの日本滞在(2)

2010年5月26日(水)

 来日の1ヵ月ほど前に私がカイロのラジに国際電話をしたとき、彼は「心身ともに疲労している。日本で緑と新鮮な空気を体験して、頭と身体をリフレッシュしたい」と私に吐露した。昨年のガザ攻撃以来、ラジはヨーロッパなど世界各地を駆け回りパレスチナ人の惨状を訴え続けてきた。その肉体的・精神的な疲労がもう耐えがたいまでにラジの中に蓄積していたのだろう。
 私は、招聘する「ヒューマンライツ・ナウ」やラジと日程を調整し、予定の講演ツアーを終えてから2、3日、まったく仕事から解放し、ラジが最も望んでいる緑と水の自然の中で身体と心を休ませる時間を作る計画を立てた。7年前、初めて来日にしたとき、ラジが最も感激したのは、京都東北部の山中の緑の中の散策と偶然みつけた渓流だった。いずれもほとんど目にする機会のないガザ地区で生まれ育ったラジにとって、まったく別世界だったにちがいない。ラジを休ませるのなら、緑と水に恵まれた場所しかない。
 私はラジ来日前に、彼が最もくつろげる場所の候補をいろいろ考えてみた。八ケ岳山麓、安曇野、富士山麓、上高地……、そして最終的に選んだのは岩手県の八幡平(はちまんたい)だった。昨年夏、私と妻は、元NHK社会部記者の大治浩之輔氏の別荘に招かれた。その周辺の緑の美しさ、とりわけ八幡平山頂周辺の湖の澄んだ水と草花の美しさに私たちは魅了された。そして何よりも大治浩之輔氏にラジを会わせたいと願った。水俣報道、ロッキード事件報道などで、退職されて長年経た今なおNHK内外で伝説的な名記者として名を知られる大治氏の、会う人を魅了する見識と人間性にラジにも触れてほしいと願った。また奥さんの朋子さんの優しさと明るさも、ラジをきっと和ませるにちがいないと思ったのだ。
 私たちの旅に、今年、東大大学院生となった鈴木啓之さんが同行した。東京外大アラビア語科に在籍中の4年前から私の元にボランティアとして通っていた彼はパレスチナ問題に強い関心を持ち、2年前には独りでヨルダン川西岸を旅した。卒業論文もパレスチナ問題をテーマに選び、外大で優秀論文に選ばれた。“パレスチナ”の研究者をめざし大学院に進学した彼を、ラジ・スラーニに出会わせておきたいと思った。おそらくこの機会を逃せば、パレスチナを代表するオピニンリーダーであるラジと出会う機会もないだろうし、ラジと出会うことが彼の“パレスチナ”研究の強い動機づけになるにちがいないと思ったからだ。

 来日した当日から6日間、ラジの講演・取材スケジュールはぎっしりと詰まっていた。あまりの過密さにラジが倒れないかと不安になるほどだった。前日もホテルに戻ったのは夜中の1時を過ぎていた。しかも疲労のためか風邪をひき、その夜はほとんど眠れなかったという。しかし、狭苦しいホテルの1室で独り休ませるより、一時も早くラジを緑の中でくつろがせてやりたかった。予定通り、私たちは午前9時前に彼をホテルまで出迎えに行き、10時前の盛岡行き東北新幹線に乗り込んだ。当初、座席で眠りこんでいたラジも、仙台を過ぎたあたりから車窓に広がる、田植えを終えたばかりの水田とその背景の新緑の山並みの光景に見入っていた。私が東北を選んだ理由の1つは、この車窓の田園光景をラジにどうしても見せたかったからだ。「ツーマッチ・グリーン!」。ラジは車窓に見入りながら感嘆の声をあげた。
 盛岡の駅には大治夫妻とその長男の嫁ミッセールさんが出迎えに来てくれていた。ミッセールさんはアメリカ生まれの日本人で、海外生活が長く、英語とフランス語を自由にこなすバイリンガルだ。日本に来た十数年前は片言だったという日本語もいまでは完璧である。彼女が通訳を引き受けてくれるというので、通訳に自信のない私と鈴木さんはほっとした。駅にはレンタカーで借りた8人乗りの快適なバンが用意され、大治さんの友人で八幡平周辺を知り尽くした田村さん(あだ名は「クマさん」)が運転を引き受けてくれた。このクマさんはこの周辺のスキー場でインストラクターをやっていた人で、かつて現皇太子にスキーを教えたことがあるという。ラジがそのことをおもしろがり、彼に「ロイヤル・ドライバー」とあだ名をつけた。
 もう2人同行者がいた。かつての地元の藩主の子孫である田村さんとその奥さんである。運転手の田村さんと区別するため、この藩主の子孫は「お殿様」とあだ名されていると大治氏が教えてくれた。言われてみれば、その顔の気品はまさに「お殿様」である。血筋は争えないものである。

 私たちは盛岡一のそば屋さんでの昼食に招かれた。ラジは、そばはもちろん初めて体験する食べ物である。しかし世界のどこに行っても「cultural experience(文化的な体験)」をモットーとするラジはどんな食べ物にもチャレンジする。麺を箸で器用に口元へ運びすすったラジは、「おいしい」とにっこり笑った。その言葉通り、ざるそばを全部平らげた。大好きな日本酒もその食欲をそそったようだ。ラジを接待して助かるのは、何でも食べてくれることだ。豚肉、アルコールなど、「敬虔なイスラム教徒」なら絶対に口にしないものもまったく問題がない。「一番おいしい食べ物は、まだ食べたことのない食べ物だ」というのもラジのモットーである。

 外はあいにく小雨だった。東京では20度近くあった気温も、北国の盛岡では4度ほどしかない。大治夫妻はラジの体を気遣い、毛皮付きのコートを用意してくれていた。
 夫妻がラジを案内する計画を立てていた葛巻(くずまき)の山中にある白樺林周辺は、雨で気温は2度だという。しかしこの機会を逃すわけにはいかない。私たちは計画を強行することにした。
 車は盛岡市の北東数10キロ、葛巻へ向かった。車が山中を走る道路を登り始めると、沿道の緑、そして目の前に迫る山の緑に囲まれた。しかし単色ではない。深い緑の中に芽吹いたばかりの新緑の葉が明るい黄緑となって点在している。それにも濃淡がある。何十種類もの緑が我われに迫ってくるのだ。「ツーマッチ・グリーン!」。ラジはまた何度も感嘆の声をあげた。
 小雨の中、私たちは白樺林の小道を歩く。寒さで霧がたちこめるなか、緑に映える白い幹。こんな幻想的な光景を初めて目にし、気温2度前後の寒さにも関わらずラジは嬉々としている。
 八幡平の山麓にある大治氏の別荘についたのはもう7時過ぎ。外は真っ暗だった。この家は八幡平から湧き出る温泉がついていて、一日中温泉湯を楽しめる。もちろんラジにとっても温泉は初めての「cultural experience(文化的な体験)」である。私はあらかじめ、湯に入る前に外で体を洗うこと、熱い温泉湯を水で薄め温度を調整することなど基本的なことを教えてラジを浴室の中に入れた。だが、なかなか出てこない。30分ほど経って、中で倒れたのではないかと心配になり、外から声をかけたら、ちょうど上がってきたところだった。珍しい温泉湯に何度も頭ごと身体を沈め、プールに入ったように楽しんでいたというのだ。
 山菜料理など東北ならでは郷土料理にも、ラジの食欲は旺盛だった。もちろんおいしい東北の酒の杯を何度も口に運びながらだが。

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