Webコラム

日々の雑感 178:
沖縄訪問記(2)沖縄の一人芝居

2010年6月24日(木)

 朝、本土からの女性グループにチビチリガマを案内する知花昌一氏に同行した。このガマを案内できるガイドは他にもいるだろう。しかし戦後初めてこのガマの調査に関わり、生き残った遺族たちの生の証言を集め、犠牲者たちのために「世代を繫ぐ平和の像」の建設に献身し、さらにその犠牲者たちや村人たちの思いを背負い、国体で日の丸を引き降ろして焼き、そのために激しい右翼の攻撃にさらされてきた知花さんが語る“チビチリガマ”は、まったく意味あいが違う。7年前にラジ・スラーニをここに案内したときに知花さんから、チビチリガマについてあらましの説明を聴き、ガマの入り口近くまでは入ったが、今回、もう少し奥に入り、人骨や歯、「集団自決」に使われたと思われる包丁、眼鏡、ランプ、石油を入れるビンなどが集められた場所まで案内してもらった。その遺品一つひとつが60数年前の当時の生々しい現場を蘇らせる。洞窟の暗闇のなかで、中国の前線で従軍看護婦として働いた若い女性が、日本軍による中国人住民への虐殺、強姦の現場を目撃した体験を住民に語り、「鬼畜の米軍ならなおさら」と、住民の恐怖心をあおった。その話に住民の中に「そんな屈辱を受けるなら、自決したほうがいい」という空気が広がり、18歳の美しい娘が「米兵に強姦され殺されるぐらいなら、お母さん、私を殺して」と自分の首を母親の前に突き出した。母親はその娘の首を包丁で刺すと、血しぶきが飛んだ。それを合図にするように、ガマの中で次々と身内同士の殺人が連鎖して起こっていったという。

 旅行者の案内を終えた知花さんが、私を知花家の墓へ案内した。本土では想像もつかないほど巨大な石造りの墓だった。「亀甲墓(きっこうばか)」(沖縄では「カメヌクー」)と呼ばれるように亀の甲羅のようにも見える。しかし知花さんの説明によれば、これは女性の子宮を形作ったものだという。その中は最低でも6畳ほどもあり、そこに遺体を置く。つまり女性の子宮から生まれた身体をまた女性の「子宮」に戻すのである。2、3年後に白骨化したその遺体を引き出し、骨を洗い清め、改めて小さな骨壺に入れ、墓の中に納める。沖縄の墓は「大切な命を引き継ぐ」意味あいも強く、自殺などで自らその命を粗末にした者は、墓の中に入れてもらえないだという。

 夕方、読谷村の文化センターで、沖縄を代表する女優、北島角子(すみこ)さんの朗読と一人芝居が催された。1931年、沖縄生まれの北島さんは、今年80歳。しかし年齢を感じさせない生き生きとした舞台だった。朗読では、共演した本土出身の若い女性歌手が読み上げる標準語の憲法第9条のあとに、北島さんが条文の意味をかみ砕き、やさしい表現の沖縄言葉に「翻訳」して語る。聞く者の心に染み入る言葉である。
 一人芝居のタイトルは「日本人?」。北島さんが演じるのは沖縄の「おばあ」。本土の大学へ通う孫娘が、本土の友達を連れて、沖縄のおばあの家に帰省する。その友達を歓迎するために、沖縄の食べ物は口に合わないだろうと、おばあは孫娘に「ししくわぁとうるパン」を買ってくるようにと言う。標準語にすれば「肉を食うパン」。沖縄言葉を話す読谷村の住民も一瞬それが何かわからなかったようだ。しかしそれが「ハンバンガー」のことだと分かると、会場からどっと笑いが起こった。
 おばあは戦争中の体験を孫娘の友達に語ってきかせる。当時、沖縄戦に備えて大量の日本軍兵士たちが本土から送られてきた。その兵士たちの宿舎が不足し、軍は民家に宿泊させる決定をする。困惑したのは住民たちである。当時、沖縄言葉を話すと軍からスパイとみなされた。それを恐れた家族は、同じ家に暮らすことになった兵士たちと言葉を交わさないですむように出来る限り兵士に近づかないようにしたが、狭い家ではそうはいかない。若い本土の兵士が家族と親しくなろうとおばあに、「おばあさんは、顔にはシワはたくさんあるけど、元気だね」と語りかけた。するとおばあは「しわはねえど」と答えた。沖縄言葉で「しわ」は「心配事」。おばあは「心配事なんかないよ」と答えようとしたのである。またあるとき、兵士が「家に風呂はありませんか?」とおばあに訊いた。おばあは「風呂(ふろ)」を「ふーる」のことだ早合点した。沖縄では人間のトイレといっしょになった豚小屋のことだ。おばあは兵士をそのトイレ付き豚小屋へ案内してしまった。
 北島さんが淡々と語るその話に、会場から爆笑が湧き起った。しかし沖縄言葉のわからない私は、何がおかしいのかがわからないから笑えない。本土の日本人である私と沖縄の住民との遠い隔たりを思い知らされる瞬間だった。
 北島さんは、そんなユーモアたっぷりの語りの間に悲しい実話を語ってきかせる。本土へ嫁いで行った娘が、夫の両親の「沖縄出身者」への露骨な差別に苦しみ、夫の死後、家から追い出されて路頭に迷う。ついには心労と病気で倒れた娘は、まだ幼い孫娘を残したまま死んでしまったという話を、これも淡々と孫娘の友達に語って聞かせる。会場からすすり泣きが聞こえてくる。
 沖縄人の“痛み”を共有する北島さんだからこそ演じられる一人芝居である。観客はその芝居の語りに、おばあと共に泣き、そして笑いころげる。

 北島角子さんのこの一人芝居の真髄は、本土の日本人には伝わらないにちがいない。そのギャップこそが、基地問題に象徴される“オキナワ”が抱える問題に対する、本土の日本人と沖縄人との反応の埋めがたい深い溝そのもののような気がしてならない。

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