Webコラム

日々の雑感 181:
映画『ハーツ・アンド・マインズ―ベトナム戦争の真実―』が突き付けるもの

2010年7月11日(日)

 世界的な大ヒット作『華氏911』のマイケル・ムーア監督をして「最高のドキュメンタリーであるだけでなく、これまでに製作された最高の映画だ」と言わせ、彼が映画を作ろうとカメラを手にしたきっかけとなったという『ハーツ・アンド・マインズ─ベトナム戦争の真実─』を、私はこの1週間に2度観た。36年前に製作されたこのドキュメンタリー映画に、1度目はとにかく圧倒された。映画が終わって劇場が明るくなり30数年前の世界から現在に引き戻された後も、しばし呆然と椅子に座り込んでいた。数日後の2度目、今度は、なぜ自分がこの映画にこれほど「衝撃を受け、圧倒された」のかを「解明」しようと思い、暗闇の中でメモを取りながら観たが、やはり衝撃は褪せなかった。

 映画に登場するベトナム戦争の実録映像には、断片的だが、これまで何度か目にしたものが少なくない。しかしその映像が、これまでとはまったく違った意味あいで、生々しく迫ってきて、胸に突き刺さるのだ。暗闇の中の大画面で観る「劇場」という環境のせいもあろう。だがそれだけではない。構成だ。映像の並べ方である。
 端正なスーツ姿の為政者たちが豪華な書斎やオフィスやパーティ会場で、とくとくとこの戦争の意義と正当性を説く。と突然、画面はベトナムの農村へ飛ぶ。米兵が民家の屋根の藁ぶきに無造作に火を放つ。農民がやっと採り入れた生きるための大切な米を兵士が無造作に穴に捨てる。その兵士に泣きながらとりすがり、止めようとするやせ細った老婆。米兵たちの蛮行を成すすべもなく立ちすくんで観る老人や女性や子どもたち。恐怖と怒りで表情が引きつり、凍りついた農民たちの顔がアップで映し出され、観る者に迫ってくる。
 突然、今度はフットボールに熱狂するアメリカ本国の日常生活が現れる。長い捕虜生活から帰還した「英雄」となった若い将校は、星条旗の小旗を振って熱狂的に迎える子どもたちに「祖国のために自分は再び戦場へ向かう覚悟だ」と「愛国心」を煽る。一方、ニクソン大統領が元捕虜の「英雄たち」を歓迎するパーティでユーモアを交え、自分の政策を自画自賛する。会場から笑いと拍手が沸き起こった。そのシーンの直後、画面は北爆で破壊された北ベトナムの病院の廃墟に切り替わる。さらに農村への空爆で吹き飛ばされた民家。その破壊された家の前で、やせ細った農民が泣きながら、「豚に餌をやりに出た幼い娘が即死し、豚が生き残った」と訴える。
 画面はまた突然、戦死した南ベトナム軍兵士の埋葬シーンを映す。仏教式の葬儀が終わり、戦死した兵士の棺が運び出されようとしたとき、息子だろうか、死んだ兵士の遺影を胸に抱いた白装束で白いはちまき姿の少年が号泣する。絶望に打ちひしがれ、涙でしわくしゃになった幼いその顔が大写しになる。腹の底から絞り出されるようなその甲高い泣き声が広い墓地に響き渡る。棺がいよいよと深く掘られた墓穴に下ろされ、その棺の上に同僚の兵士たちがスコップで土をかけ埋葬しようとしたとき、死んだ兵士の母親なのだろう、泣き叫びながら、その墓穴へ這って降り始めた。親族の男たちが必死にその老婆の身体を引き上げる。老婆は手足をばたつかせながら、狂ったように泣き叫ぶ。「息子の元へ行きたい! 行かせてくれ!」とばかりに。
 次の瞬間、画面はアメリカの美しい湖畔の前に座るネクタイ姿の老紳士を映し出す。ウィリアム・ウエストモーランド将軍、1964年から68年のテト攻勢直後まで在ベトナム米軍の最高司令官として50万人を超える米軍を率い、圧倒的な火力で「敵撃滅戦略」を企てベトナム人と米軍の双方に大量の犠牲者を出した張本人である。
 その元将軍が神妙な表情でこう言う。
 「東洋人は(欧米人に比べ)命を軽く考えているように思える。東洋の哲学でもそうみなされているようだ」。

 私たちはこのドキュメンタリー映画で、ベトナム戦争のさなかでも変わらない、アメリカ本国の平穏な日常を見せられる。その直後、まさに同時期にベトナムでは住民や自国の兵士たちが傷つき死んでいく、その本国とはまったく対極にあるベトナムの戦場の修羅場を目の当たりにする。そして映画の観客は否が応でも、アメリカの「正義の戦争」の実態、その欺瞞と偽善、虚像を突き付けられる。
 “ジャーナリズム”の真骨頂はまさにこれだ、と私は思った。為政者や社会を支配する層、それに追随する者たちにとって都合のいい「情報」、彼らに決して不安や疑問を与えることのない、心地よい「情報」が撒き散らされる社会に、それとはまったく対極にある現場の“現実と事実”を突き付ける。それによって為政者や支配層たちの欺瞞を、それを知る術もなく、ただ彼らに追随するしかなかった一般民衆に暴きだしてみせる──それこそ“ジャーナリスト”の役割なのだということを、この映画は私たちに示しているのだと私は思った。

 ただ、あまりにも対照的な2つの現場と現象をただ並べ見せられるだけなら、観客は衝撃は受けても、その意味あいを消化することは難しかっただろう。だからこそ、この映画はその2つをつないでみせる人物を巧みに配置している。1人はダニエル・エルズバーグ。マクナマラ国防長官が作成させたベトナム戦争に関する秘密報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」をメディアに暴露し、「国民の知る権利」か「国家機密」かの大議論を全米に引き起こした人物である。かつてベトナムで実戦体験をもつエルズバーグが、歴代のアメリカ政府によるベトナム政策を暴露し、その欺瞞と誤謬を証明してみせる。
 そしてもう1人、空軍パイロットとして戦場でナパーム弾やクラスター爆弾をベトナムの住民の上に投下した体験を持つ空軍大佐ジョージ・パットン3世。彼はその殺人兵器がいかに人体を傷つける残酷な兵器であるかを詳細に語り、自分が実際、その加害者であったことを涙ながらに告白する。その証言を裏付けるように、現地ベトナムの農村でナパーム弾に焼かれ、全身の皮膚が爛れ垂れ下がった幼児と、その瀕死の孫を抱えて走る老婆の姿が映し出される。
 アメリカ社会とベトナムの戦場の双方を知り尽くした、しかもこちら側のアメリカ人自身の証言に導かれて、観客は、断絶しているように見えた2つの世界のつながりを否が応でも認識させられていく。そして、自分たちが無知ゆえに加害者側に立ちながら、ベトナムの悲惨な現状をまるで他人事のように眺望していた自身の姿を、映画という“鏡”に映し出されて突き付けられるのだ。
 これは36年前の映画であり、現実である。しかし現在の私たちはこの映画が示す教訓からほとんど何も学んではいないように思える。イラク、アフガニスタン、そしてパレスチナの現実を前にして、私たちは映画の中の多くのアメリカ市民と同じように、現地の1人ひとりの人間の“生”に想像力を働かせることもなく、目を背け、狭い自分の生活範囲での日常に埋没し続けているのである。

Hearts and Minds
『ハーツ・アンド・マインズ―ベトナム戦争の真実―』
1974年 米国
監督:Peter Davis(ピーター・デイヴィス)

『ハーツ・アンド・マインズ―ベトナム戦争の真実―』公式サイト

予告編(注意:ショッキングな場面があります
(『ウィンター・ソルジャー』予告編も含む)

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