Webコラム

日々の雑感 183:
演劇『かたりの椅子』とNHK番組改編事件の告発書(2)

演劇『かたりの椅子』とNHK番組改編事件の告発書(1)からの続き

2010年7月23日(金)

 2001年1月30日、NHK教育テレビ『ETV2001』で放映された「問われる戦時性暴力」は、その前年12月に東京で開かれた、慰安婦制度の責任者を裁く「女性国際戦犯法廷」の意義について考える番組だった。だが、その番組内容が放映直前になってNHK幹部の指示で大幅にカット、改変された。そして放映から半年が過ぎた7月、「法廷」を主催した団体、バウネット・ジャパンが「性暴力の攻撃を受けた女性の名誉を傷つけたうえ、市民の知る権利を侵害し、報道機関としての報道の自由と責任を放棄し、取材協力者の期待と信頼を侵害し、さらに番組を改変するにあたって説明を欠いた」と、NHKや制作に関わったドキュメンタリー・ジャパンらを提訴し、長い裁判が始まった。

 『NHK、鉄の沈黙はだれのために─番組改変事件10年目の告白』の著者の永田浩三(ながた こうぞう)氏は当時、ETV特集の編集長で、番組のプロデューサーだった。つまり、この番組の制作現場での責任者である。その永田氏が、自分が体験した改変の経緯を、「事件」から10年目に克明に証言したのが本書だ。
 まず、衝撃を受けたのは、“正義”“真実”“事実”を追求する数々の素晴らしいドキュメンタリー番組を作り続けてきたNHKの内部で、とりわけその放映を最終決定する幹部たちが、それとはまったく別次元の政治判断で動き、ことを決めている現状を初めて具体的に見せられたことだ。
 本書によれば、番組改変の当事者の1人、野島直樹総合企画室担当局長は、永田氏に具体的に変更箇所を指示している。

  1. 慰安婦や慰安所の存在そのものを消す。
  2. 日本国(政府や軍)の組織的な関与があるニュアンスを消す。
  3. 外のメディアの反応のうち、判決内容や日本政府や昭和天皇の責任に触れているところは削除。
  4. 女性国際戦犯法廷を肯定的に表現しているところは消す。
  5. 慰安婦の問題は、日本国と昭和天皇に責任があるとした部分、つまり女性法廷の判決内容を全面削除。

 しかも野島氏は、慰安婦についての表現を「ビジネスで慰安婦になった人たちです」と言えないかとせまった、という。さらに「この際、毒を食らわば皿までだ」(「一度悪事をやりだしたからには、とことんまでやり通す」の意)と吐露したというのである。
 さらに放映当日、今度は松尾武放送総局長が、中国や東ティモールの元慰安婦の証言、それに2人の加害兵士の証言の全面削除を命じた。それに抗議・抵抗する永田氏に、松尾氏は、「ぼくが番組やニュースの責任者だ。ぼくが責任をとる。ぼくが納得できないものは放送できない。今後の責任はいっさいぼくがとるから。ぼくが納得するかたちで切ってくれ。ぼくが放送の責任者だ」「慰安婦の問題は今後もいくらでもやっていけばいいんだ。これが最後じゃないんだから。これからいくらでも自分たちでやればいいんだから」と言い放ったという。

 これが“放送人”か、これがジャーナリズムに関わる人間たちの姿勢か。彼らはいったい、何を後生大事に守ろうとしているのか。NHKの幹部というイスか? それとも面子や自尊心か? 彼らは「NHKという組織を守るためだった」と弁解するつもりなのかもしれない。安倍晋三氏、中川昭一氏といった右翼的な言動が目立つ「大物議員」たちの攻撃からNHKを守り、予算を通すためにやったことだ、すべてNHKのためだった、と。ただ確信を持って言えることは、彼らの中には「日本のジャーナリズム」を死守するのだという意識は一片もなかったということだ。

 一方、その後、これが大きな社会問題となったとき、松尾氏はどう対応したのか。永田氏は、「(松尾氏は)あれからどんな責任をとったというのだろうか?」と問いかけている。
 また「今後もいくらでもやっていけばいいんだ」と松尾氏が言った慰安婦問題は、その後、NHKで取り上げられることはなくなった。腫れものに触るように、扱うことが避けられてきたというべきかもしれない。影響はNHKだけに留まらない。この問題以後、民放もほとんど手をつけなくなった。新聞も例外ではないだろう。
 これが「正義、真実、事実を求めるジャーナリズム」なのか。「日本のジャーナリズム」というのは、こういうレベルで動いているのかと愕然とする。
 しかし「だからNHKはだめなんだ……」などと一括りにし、分かった顔して断罪する人たちに、私は絶対、与したくはない。過去にETV特集で10本を超える自分の番組を制作し、その番組制作を通してNHKのたくさんの志を持った優秀なディレクターやプロデューサーたちと個人的に交流する機会があった私は、彼らが現場で、文字通り“正義、真実、事実”を追求し、それにブレーキを掛けようする幹部たちと職を賭けて必死に闘いながら、素晴らしい番組を世に送り続けている姿をこの目で見て、知っているからだ。

 それにしてもこの問題に直接関わった人たちの動きに、なんとも表現しがたい“人間模様の悲哀”を感じてしまう。前述した『かたりの椅子』の脚本を読み、その芝居をテレビで観た直後だったからか、「あっ、この人は理事長の『雨田』だ、この人は典型的な部下の『目高』だなあ。あの人は、美術館長の『九ヶ谷』に似ている……」と考えてしまうのだ。大きな問題、その決断や自分の立場を明らかにすることを迫られたときの人間の行動パターンは、いくつかに類型化されるものかもしれないと、両者を見比べるときに思うのである。
 この問題の根源となった「大物政治家」、安倍、中川両氏は、さしずめ理事長「雨田」だろうか。異常に肥大した権力欲、自己顕示欲、自尊心(いや「傲慢さ」と言いかえるべきか)のために、NHKの予算審議を左右する国会議員という特権を傘にNHK幹部たちに圧力をかけ、自分の偏狭な「歴史観」を理不尽に押し突けようとする。
 その「雨田」の意向を受け、NHKという組織の中で自分の地位とその権力を維持したいがためだろうか、部下たちに無茶苦茶な要求を突き付けて、「上」の意向を実行に移していく松尾放送局長、野島総合企画室担当局長らは「目高」を想わせる。
 そして制作現場で制作担当者たちに「考えられるかぎりの罵詈雑言」を吐き、制作を委託されたプロダクションのスタッフに「このまま出せば、みなさんとはお別れだ。二度と仕事はしない」と傲慢に言い放つ吉岡民夫・教養番組部長。この人の「部下のディレクターが『全人格を否定された』と打ちのめされるほどの罵詈雑言」は、NHKの知人たちから噂で聞いていたので、永田氏の言う「考えられるかぎりの罵言雑言を吐く」吉岡氏に驚きはしなかった。一方、ドキュメンタリー番組の名作を数多くプロデュースしてきた吉岡氏のその輝かしい経歴は、外部の私の耳にも届いていた。しかし、この改変問題での吉岡氏の動きは、実に不可解だ。番組内容の改変を突き付ける上司たちに反発と怒りを覚えながらも、結局、裁判では前言を翻し組織擁護と自己防衛に回る。
 次の永田氏の言葉は、自分自身に引き寄せながら、同時に、吉岡氏のそんな不可解な言動を鋭く追及する言葉である。

 われわれは仕事として、他人がかかわった事件や事象を整理し、真相はこうだという番組を作り続けてきたはずだ。それなのにどうしたことだろう。自分に火の粉がふりかかると、自分は弱い存在だから、自分はサラリーマンだからと逃げる。結局、わたしたちは、仕事という名のもとに人様を断罪しているだけの卑怯な、情けない存在なのだ。
 わたしも吉岡さんもそのひとりだ。組織とけんかすることを避け、嵐が過ぎ去るのを待っているのではないか。その気持ちがわからないわけではない。わたしも一審の東京地方裁判所では、似たり寄ったりの態度をとったのだから。

 「テレビの世界の恩人はだれかと聞かれたら、わたしは迷いなく吉岡さんの名前をあげるだろう」とまで言い切る永田氏が、その「恩人」をここまで「切る」決意をするまでには、相当の覚悟を要したにちがいない。
 そんな吉岡氏が「かたりの椅子」劇場のどの配役に当たるのか、判断に苦しむ。この「NHK番組改変」劇場に限って無理に探そうとすれば、裁判では前言を翻し組織擁護と自己防衛に走るあたりは、抗議するつもりが懐柔されて「雨田」側についてしまう美術館館長の「九ヶ谷」を連想させる。また上層部の意向を汲み取り、先取りして、部下たちに「罵詈雑言」を吐くところは、「雨田」の忠実な部下「目高」を想わせる。

 それにしても、番組改変を現場の部下たち押しつけ、その後もNHKの中で勝ち残った松尾氏、野島氏、吉岡氏らは、この10年間、どのような思いを抱いて生きてきたのだろうか。そしてどんな記憶を抱えて今後も生きていくのか。あのときの言動に今でも納得しているのだろうか。後ろめたさはないのだろうか。いま心のやすらぎはあるのだろうか。
 「フェスティバルはやがて終わる。でも、自分に対する裏切りは、その後も続くんだ」という『かたりの椅子』の中での入川の言葉を彼らはどう聞くだろうか。

 NHK改変事件の関係者たちのなかで、『かたりの椅子』の登場人物に似た人物をいちばん見つけやすいのは、永田氏と共に制作現場で改変を強制され、「事件」から4年後、番組改変の実態と背景を明らかにするため記者会見を行った長井暁デスクだ。彼は、周囲が変節していくなかで、ただ1人、その異常さに異論の声をあげ、実行委員会から排除されていく造形作家の「入川」そのものだ。長井氏がカメラのフラッシュを浴びながら、「家族が路頭に迷うわけにはいかないので、この4年間、非常に悩んで……(涙)。やはり真実を述べる義務があると、決断するにいたりました」と語る姿は、演劇『かたりの椅子』の最後のクライマックスで「自分を社会的な目から見て、いいとか悪いとか判断するんじゃないんです。もっと、心の底からの、自分に対する問いかけだ。これがお前か……というような」「こういう声が話し合える相手は、自分自身しかいないんです。だから、今日はそれを言う。フェスティバルはやがて終わる。でも、自分に対する裏切りは、その後も続くんだと」と語る入川の姿と私の中で重なってしまう。
 「そっちへ行くと、怖いことになるぞ。そう、あの行列が待っている。一杯の豚汁(とんじる)を求めて並ぶ行列だ」という「雨田」や「目高」のささやき、つまり「家族が路頭に迷うかもしれない」という不安を振り払った長井氏の勇気に、私は深い畏敬の念を抱く。私たちのように最初から頼る組織もなく、失うものも少ないフリーランスと違い、「真実を述べる」ことでNHKという組織から疎外され、排除されかねない立場に追い込まれる長井氏にとって、その決断には私たちとは比較にならない覚悟が必要だったにちがいない。にも拘わらず、長井氏は「安定した将来」を犠牲にしてまでも、自分の良心を守り、文字通り「“私”を生きる」道を選び取ったのだ。

 そして本書の著者である永田浩三氏はどうか。長井氏のように、迷いなく「入川だ」とは言いにくい面がある。永田氏自身、そのことを自書のなかで告白している。

「わたしはドキュメンタリー・ジャパンのスタッフを守れなかった。いっしょにやってきた仲間を守るのがプロデューサーの最大の役目だ。でもわたしにはできなかった」

「当時のわたしは、『ほとんどのメディアが慰安婦問題をとり上げることにリスクを感じ、大きくあつかおうとしないなかで、曲がりなりにも放送にこぎ着けたわたしたちを攻撃するなんて、バウネットは筋を違えている』という気持ちでいっぱいだった」

「ドキュメンタリー・ジャパンのディレクターたちが、プロデューサーであるわたしの指示になかなか従ってくれなかったことに過剰に言及することで、みずからの責任を回避し、NHK内での保身をはかろうとした」

「あまりにも醜かった。坂上さんがずっと苦しんでいたのを、わたしは知っていた。にもかかわらず、わたしはなにひとつ言葉をかけることなく、そつなくふるまうことに汲々としていた」

 そして止めが、前述した吉岡氏に言及したあの告白である。
 少なくとも、裁判の第一審までの永田氏の言動は、「入川」のそれではなかった。むしろ、実行委員長に無理やり選出されたときの「りんこ」の変節を連想させる。しかし、その「りんこ」がこれからの進路で2つのドアの選択を迫られたとき、つまり一方の「変節し安定した生活を選ぶ自分」へのドアと、もう一方の「豚汁の列に並ぶ、つまり職を失いホームレスになることをも覚悟で、“私”を貫く自分」へのドアのうち、どちらに入るかを迫られたとき、永田「りんこ」は、結局、後者を選んだのだ(ただ、後者と言っても、永田氏には、「りんこ」が迫られるほどの「壮絶な決断」は必要なかったかもしれない。NHKを辞めても、「大学の教授」になれた永田氏には、「豚汁の列」に並ぶ覚悟は不要だったろうからだ)。

 永田氏は、「“私”を生きる」道を選んだ。そのためのどうしてもやり遂げなければならかなった“通過儀礼”が本書の執筆を通して、あの事件が自分にとって、そして関わった人たちやNHKという組織にとって何だったのかを反芻し、整理する作業だったのだろう。

 「事件」から5年ほど経った2006年3月、二審の東京高裁の証言台に立ち、初めて公に「聞かれたすべてのことに正直に答え」、真意を吐露した永田氏は、その直後の心情をこう記している。

高揚感が残っていた。責任が果たせた気がして、急にへなへなとなった。このあと、なにが起きても、少なくとも子どもや妻には胸を張っていられる。いまは苦しくても、10年後に笑える日がくる、そっちのほうがいい。

 真実を語り「“私”を生きる」決意をした永田氏は、そのために多くの犠牲も払っただろうし、これからも払うことになるだろう。とりわけ、本書で、自分の弱さ、過ちもさらけ出し、NHK内部で培ってきた組織やその先輩、同僚、後輩たちの一部との絆を絶ち切られることをも覚悟で、この「NHK改変事件」について当事者として知りうることを公にした永田氏の勇気に、心から敬意を抱く。その“潔さ”は実に見事である。
 ただ、一方で気になることがある。この「事件」に直接・間接に関わり、その後の人生を大きく変えられていった人たち、心に深い傷を負わされた人たちのことである。とりわけ当初、現場で番組制作に携わり、その後、職を辞していったドキュメンタリー・ジャパンのスタッフたち、永田氏らNHK側の要請に応えて番組制作に協力し、その番組や発言内容を改ざんされ、人間不信、NHK不信、さらにテレビ・メディア不信という深刻な心の傷を負った、米山リサさんや高橋哲哉氏のような人たちのことである。
 たとえ、NHK内部の当事者たちが、裁判所の証言台で真実を告白し、書籍で事実を明らかにしても、あの人たちの人生は元には戻らないし、記憶に刻まれた心の傷は一生を癒えることはないだろう。永田氏たち当時のNHK内部の当事者たちに「少なくとも子どもや妻には胸を張っていられる」「10年後に笑える」日が来ても、あの人たちに「胸をはっていられる」「笑える日」が来るとは限らない。当時のNHK内部の当事者たちは、その“十字架”をこれからもずっと背負い続けていかなければならないのかもしれない。

『NHK、鉄の沈黙はだれのために』出版社サイト

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