Webコラム

日々の雑感 187:
レバノンへの旅(2)

2010年9月8日(水)

 ヒルミが紹介してくれたパレスチナ人社会のリーダーの1人、S氏を訪ねた。60代後半だろうか。PLOの一員としてレバノンのパレスチナ難民問題に数十年関わってきた人物である。
 S氏がレバノンのパレスチナ人とりわけ青年層の問題を語ってくれた。
 レバノンでもパレスチナ人コミュニティーは子だくさんである。パレスチナ難民の子はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校へ通えるから授業料は無料だが、親が学校へ通わすには学用品や制服などを用意しなければならない。その経済的な負担は、大半が貧困層の難民家族には大きな負担だ。だから例えば、男の子と女の子がいれば、男を学校へやり、女の子は学校へ通わせず家庭で手伝いをさせる。男の子が2人ならば、1人を学校へ通わせ、もう1人は働かせて家計を支える側に回る。しかしそれでも多くの子どもたちは学校をドロップアウトしてしまう。一方、レバノンではパレスチナ人は職業を厳しく制限されている。学校教育を受けていなければ職に就けるチャンスはますます狭まる。多くの青年たちは仕事がなく、何もすることがなく、朝方までキャンプ内や街を徘徊し、夜明けごろに家に戻って眠る者も少なくない。中には昼間ずっと眠って過ごす者もいる。
 また仕事も希望もなく、麻薬の売買に手を染める者など犯罪に走る者もいる。女性の中には売春に身を落とす者もいるとS氏は言った。
 さらに、希望を失った若者たちは宗教に救いを求める。モスクへ通い、そこで出会うシェイク(シャイフ/シェイフ、指導者)たちの扇情的、過激な教義に導かれ、過激な思想、そしてアルカイダ系の過激な武装グループに加わっていく例もある。
 世界とりわけ欧米のNGOがレバノンのパレスチナ人のために活動をしている。しかし多くは、人道支援や人権擁護活動などで、若者たちが抱える社会問題の解決のために本格的に活動する団体はほとんどない。
 一方、PLO(パレスチナ解放機構)はとりわけオスロ合意(1993年)以後、レバノンのパレスチナ人コミュニティーへの支援を実質的に放棄してしまい、ヨルダン川西岸やガザ地区などパレスチナ内に力や支援を集中した。現在、PLOは名目上、レバノンのパレスチナ人について言及はすることはあっても、実質的にその支援活動はほとんど行っていないという。
 しかしこの問題を何もせず看過するわけにはいかない。S氏は組織を立ち上げ、集会やセミナー、講習会を開いて、その問題を直視し、外の世界に向かって広報する活動を広めている。

次の記事へ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp