Webコラム

日々の雑感 192:
レバノンへの旅(7)

2010年9月16日(木)

 再び、NGO主催のスタディーツアーに参加し、イタリア代表団や英国人参加者たちと共にレバノン南部へ向かうことになった。前回と同様、イスラエルとの国境近いツール市まで南下したマイクロバスは、大きなホテルの建物の前に止まった。予定表にはない場所だ。そこで待っていたのは、レバノン南部でのヒズボラ代表だった。事前に知らされなかったのはセキュリティーのためなのだろう。シーア派のイマームだった。白いターバンを頭に被り、裾の長いマントを羽織った、イランのイマームと同じ格好である。50代後半だろうか、澄んだ目をしていて、知性と気品を感じさせる面構えである。
 なるほど、ベイルートから我われのマイクロバスに現地新聞の記者が乗り込んできたのは、その代表の会談を取材するためだったのだ。代表は、数十人のイタリア代表団や英国や我われ日本からのツアー客を前に、ヒズボラがレバノンのパレスチナ人を支援し、連帯していることを強調した。さらに、その共通の敵であるイスラエルの蛮行を痛烈に非難し、将来の侵略には徹底的に闘う用意があることなどを語った。
 リーダーを見れば、その組織の一面がうかがえる。ヒズボラが統制と規律のとれた、確固たる基盤を持った組織であることを、この代表の言動でうかがい知った思いがする。

 バスは来た道を引き返ししばらく北上した後、やがて海岸沿いから離れてレバノンの山間部に入った。ヨルダン川西岸のように、樹木の少ない、なだらかな山々が連なり、その谷間に緑豊かな農地が広がる。その山間部と谷間に村々が点在する。うっとりするほど美しい光景だ。バスはいくつかの峠を越え、谷間を過ぎ、ある山の頂上を目指した。そこにヒヤム刑務所跡があった。イスラエル軍が南レバノンを占領していた2000年まで、ここは占領するイスラエル軍が、捕えたレバノン人を収容する刑務所だった。しかし今は、大半が瓦礫の山と化している。2006年の第2次レバノン戦争時にイスラエル軍が空爆したのだ。なぜ刑務所跡を爆撃しなければならなかったのか。それはわずかに残った刑務所の跡を観て納得した。狭い部屋に何人も収容され、トイレもなく、他の収容者の前でポットに排泄しなければならない劣悪な収容所の環境(「トイレが付けられたのは、国際赤十字スタッフが現地調査に入り、その劣悪な環境を指摘した後のことだった」と、案内したヒズボラのスタッフが説明した)、中に入ると見動きもできない独房跡も残っている。身体を丸めてやっと入れる金属製の箱は拷問の用具だという。中に押し込め、兵士たちが石でその箱をたたくと音は中に響き渡る耐えられないほどの大音響となる。イスラエル軍が撤退した2000年以降、ヒズボラはこの刑務所跡をイスラエルの残虐さを物語る施設として博物館にした。2006年の戦争時に、イスラエル軍は「反イスラエルの宣伝施設」を放置できず爆撃したのである。
 今日、私がこのツアーに参加した最大の目的は、ヒズボラの軍事施設の博物館を見学することだった。マイクロバスが喘ぐようにして昇りきった山頂にその施設はあった。文字通り、大博物館だった。大きな駐車場はすでに訪問者の車でほぼ埋まっていた。コンクリート製のモダンなデザインの大きな建物がいくつも並ぶ。近くの広場の展示場には、2006年の戦争で破壊されたイスラエル軍の戦車や大砲などがモニュメントとしてコンクリートに埋め込まれている。展示建物の1つはイスラエル軍に関する博物館だった。イスラエル軍内部の詳細な組織図や、都市部や軍事施設の精密な航空写真が展示されている。イスラエル軍やその軍事施設の機密資料を、ヒズボラがすでに厳重な警戒下にあるイスラエル当局から手にしている現実は私には想像もできないことだった。ヒズボラにはこれほど重大な情報を取得できる情報収集能力があることを外に誇示することが目的なのだろう。イスラエル軍が撤退時に放置した弾薬や近代兵器なども陳列されている。
 すぐ隣は、映像の上映場となっていて、イスラエル軍の蛮行、ヒズボラの対イスラエルの戦闘シーンが勇ましい音楽と共に上映された。ヒズボラの指導者、ナスララ師が映像の中に登場すると、会場から大きな拍手が起こった。やはりここを訪ねる人たちの多くはヒズボラ支援者たちなのだろう。
 この博物館の圧巻は、山中をくりぬいた地下トンネルである。人が立って往来できる大きさのトンネルが延々と続き、中には台所や休憩所、礼拝所、さらに無線機やコンピューターが並ぶ指令室まである。どんなに空爆しても、ヒズボラの戦闘員たちはトンネルに隠れて身を守り、敵の地上部隊が現れると、ゲリラ戦で徹底的に対抗する。ベトナム戦争時の南ベトナム解放戦線のクチの地下トンネルを思い出した。最新の武器をそろえた中東随一の軍隊と豪語するイスラエル軍が2006年の戦争で無残に敗退した訳が、これらの施設を見れば納得できる。
 それにしても、このような軍事施設を博物館として堂々と公開すれば、当然レバノンに数多くいるはずのイスラエル・スパイに知られるだろう。つまりこのような博物館は、かえってイスラエル側に自分たちの手の内を見せることであり、次の戦闘時に不利になるはずだ。一方、この博物館は、「この程度の軍事情報を公にしイスラエル側に知られても差し支えない、我われの軍事力、防衛機能はこれよりずっと先に進化しているのだから」という自信とも受け取れる。ある専門家は、ヒズボラの力は2006年夏の第2次レバノン戦争時よりも数倍増強されていると言う。ヒズボラ側には、このような博物館で自分たちの力を誇示し、さらに支援者を増やしていくという狙いがあるにちがいない。まるで遊園地のように「観光客」でにぎわう光景を目の当たりにすると、そのヒズボラの狙いは期待通りに実現しているように見える。
 「次の戦争では、間違いなく、イスラエル軍は真っ先にここを爆撃して破壊するだろうね。あの刑務所の跡のように」とツアーの同行者の1人が言った。間違いなくそうなるだろうと私も思う。

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