Webコラム

日々の雑感 202:
アメリカで初めての一般公開
コロンビア大学上映会

2011年1月27日(木)米国上映ツアー

 26日午後7時から予定されていたコロンビア大学(ニューヨーク)での上映会は、前日になって大きな問題が持ち上がった。上映会に協力してくれているLさんが知人からの電話で「上映会は中止になるという噂が流れている」という報告を受けたのはその日の朝だった。あわてたLさんは主催する大学の学生団体のメンバーに問い合わせるが、埒があかない。午後、噂の真偽を確かめるため、Lさんと私はコロンビア大学に向かった。主催する学生たちや大学関係者に問い合わせると、教室を管理する大学の担当者が上映会に警備員をつけなければ使用できないと言いだしたというのである。学生の説明によれば、主催団体が出した上映会の案内チラシの中に、元イスラエル軍将兵のグループ「沈黙を破る」の元兵士が参加し、発言するとする記述があったため、大学の施設を管理する責任者が「親イスラエル派のグループの妨害や主催者側との衝突が予想されるため、警備員を配置しなければ教室は貸せない」ということになったらしい。Lさんは大学内の知人に、万が一、予定されていた会場の教室が使えない緊急時のために代替の教室を探し手配してくれるように依頼した。すでにフェイスブックやe-mailで公に広報した上映会が土壇場になって会場が確保できずにキャンセルにでもなったら、呼びかけたLさんの面子も信頼も丸つぶれである。主催学生団体の学生たちも会場の確保のために奔走した。

 「広報した教室で、予定通り上映会が開催されることが最終的に決まった」とLさんから電話連絡を受けたのは、当日26日の朝10時過ぎだった。ほっとした。しかしもう1つ懸念があった。外は粉雪が舞い、通りは溶けた雪でぬかるみ、あまり出歩きたくない日だ。夜には大雪になるという。そんな悪天候の中、果たして人は集まるのだろうかと不安だったのだ。
 会場となるコロンビア大学の教室は、私たちが日本でいつも上映会や報告会を開いている明治大学リバティタワーの270人定員の教室を一回り小さくしたほどの広さだった。定員は200人ほどだという。教壇の後ろに大きなスクリーンがあり、明大と同じように天井に取り付けられたプロジェクターから映像を映し出す設備が整っていた。
 懸念したように、開始時間が迫っても、参加者の数は期待したほど増えなかった。ただ学生たちより一般市民の数が多いのは私にとっていくらか救いだった。上映が始まっても参加者が少しずつ増えていき、最終的にはLさんの話では100人から120人になったということだった。
 劇映画などは別にして、一般にアメリカ人がドキュメンタリー映画に集中できる限界の時間は1時間だと現地で複数のアメリカ人から聞かされていた。その倍を超える私の映画は果たして最後まで観てもらえるのだろうか。それが次の不安だった。
 幸い、途中で抜け出す人は2,3人に過ぎなかった。2時間10分の上映がやっと終わりエンディング・ロールが流れ始めたとき、意外にも会場から拍手が起こった。これは映画への評価というより、アメリカでの上映会のときのマナーなのかもしれない。終了後、会場は明るくなり、監督の私が紹介された。拍手の中、私は教壇に上がった。私と同時に、ニューヨークに滞在中の元イスラエル軍将兵のグループ「沈黙を破る」メンバー、エランが紹介された。私が会ったことのないメンバーだった。さっそく会場の参加者との質疑応答が始まった。質問に答えるのは私とエランの2人だ。
 初老の男性から、「登場する青年たちは実際に占領地で兵役についた者ばかりだが、なぜ兵役拒否者も取材対象に選ばなかったのか。『沈黙を破る』の元兵士たちと兵役拒否者にあなたの中に何か見解の違いがあるのか」といった趣旨の質問だった。私は映画に登場する「沈黙を破る」の顧問ラミ・エルハナンから聞いた話として、「兵役拒否者に対して、一般のイスラエル国民は、『臆病者』というみなし彼らの主張に耳を傾けようとはしない傾向がある。しかし「沈黙を破る」のメンバーたちエリートの戦闘兵士たちはイスラエル社会で敬意を払われ、彼らの声は無視することができないと聞いている」とだけ答えた。しかし今考えれば、「実際に占領地で兵役についた彼らだからこそ、“力で占領し支配する者”が抱え込む深刻な問題を描くには、実際に兵役についた体験のない兵役拒否者ではなく、彼らでなくてはならなかった」と答えなければならなかった。しかし、その時の私は、アメリカで初めて自分の映画を一般公開する場で、大勢のアメリカ市民を前に英語で答えるという初体験によほど緊張していのだろう、そういう答えがその場ですぐには思いつかなかった。
 質疑応答が始まって間もなく、教室の後ろにいた1人の青年が手を上げ、1枚の紙を取り出し、流暢で早口の英語で、こう切り出した。
 「私はイスラエル人で兵役の経験があります。この用紙にはイスラエル軍の軍規が記されています。この中には映画の中で元兵士が証言するような"死の確認"といった軍規はありません。元兵士は映画の中で、『少女が将校によって10数発の銃弾を撃ち込まれのは"死の確認"の典型的な例で、イスラエル軍の基礎訓練の1つだ』と発言しているが、それは事実とは違う。軍規の中には、一般住民を射殺してもいいという記述はない。私自身、基礎訓練を受けたが、そんな命令は訓練になかったし、聞いたこともない。私自身の体験から断言できる」
 それは私に向けられた批判というより、「沈黙を破る」グループと、そのメンバーとして同席したエランへの批判であり攻撃だった。エランは演壇に上がり、イスラエル訛りだが、しっかりした英語で、初年兵の基礎訓練では戦争状態の戦場での兵士としての行動を訓練されるが、占領地は戦場ではなく、兵士は戦場での行動を占領地の一般住民に対して取るため、映画の中の少女射殺のような例は決して例外ではないといった趣旨のことを発言し、実際、占領地での兵役で起こる実例を挙げ反論した。それに対してまた会場の元イスラエル兵が感情をむき出しにして反論する。さらにその青年に加勢するように、今度は後ろ中央席にいた青年が手を上げ、「私も元イスラエル兵だ。彼の言っていることは事実じゃない」とエランの攻撃を始めた。エランもそれにまた反論する。そんなエランにイスラエル人青年たちは「裏切り者」という言葉を浴びせた。
 会場の質疑応答は3人の元イスラエル兵の激しい議論の場と化した。司会を務めていたコロンビア大学の女子学生で主催団体「パレスチナの正義を求める学生たち」メンバーのエラ──彼女もまたイスラエル人で、高校卒業後、兵役を拒否したために半年間、投獄された体験を持つ活動家である──がなんとか会場からの攻撃を制止させようとするが、興奮した会場の元イスラエル兵の青年たちはそれに耳を貸さず非難を浴びせ続けた。そのとき、会場で議論を聞いていたLさんが立ち上がりイスラエル人青年たちにこう告げた。
 「この会場にはあなたの他にも100人近い参加者がいます。参加者の1%に過ぎないあなたの質問攻めで他の参加者たちの質問の機会を奪うのはフェアではない。他の人にも質問をさせるべきです。エランに異論があるなら、この会が終わった後で、個人的に討論してほしい」
 大半の参加者たちもLさんに賛同したため、元イスラエル兵青年たちも発言を止めざるを得なくなった。司会のエラはすぐに他の参加者の質問を促した。それでも青年はずっと立ったままで、座ろうとしない。威嚇するようなその行動に、Lさんは警備員を呼んだ。その警備員に命じられて青年はやっと座わった。だが、それでも事態はすぐには治まらなかった。また別の場所に座っていた青年が手を上げ、映画と「沈黙を破る」の活動に対する批判を続けた。会場の外の受付に残っていた主催メンバー学生の話によれば、会場で批判を浴びせていたイスラエル人青年たちは上映中も出たり入ったりしてメモを交換しあい、非難・攻撃の作戦を立てていたらしい。彼らは当初から、映画と「沈黙を破る」スタッフを非難攻撃するために会場にやってきたのだ。
 彼らの私の映画への批判への1つが、「この映画は一方的過ぎる。特にジェニンの描き方はフェアじゃない。この攻撃の前にジェニンからたくさんの自爆テロ犯が出て多くのイスラエル市民が殺傷されていることは何も伝えられていない」というのである。私はこう反論した。「あなたたちは自爆テロについて強調し、イスラエルの攻撃を正当化し、パレスチナ人の攻撃とイスラエルの『報復』を同列に論じる。しかしなぜパレスチナ人青年たちが自爆テロに走るのかは考えようとはしない。想像してみてください。もしあなたがこの映画に出てくるようなパレスチナ人の状況に置かれたら、あなたはどうしますか。ただ現実を黙って耐えますか。私たちが自爆テロについて議論するとき、それが悪いかどうかの表面的な議論に終わらず、なぜ若い青年たちが自爆テロに走るのか、その根源について議論すべきです」
 一般の参加者の中から、「あなたはこの映画で最終的に何をめざしているんですか」という質問が私に向けられた。私は答えた。
 「この映画は日本では全国各地の劇場で上映され、いくつかの賞も得ました。なぜ中東から遠い日本でこの映画が受け入れられたのか。その理由の1つは、日本人の観客とりわけ年配の世代の人たちが、この映画に登場する兵士の中に、中国大陸での旧日本軍兵士の姿を見出したからだと思います。つまりこれは単にパレスチナ・イスラエル問題の話ではなく、侵略し占領する軍隊の兵士が共通に抱える問題を、この映画の中に感じ取ったからだと思うのです。みなさんはアメリカ人です。おそらくみなさんは、この映画を観ながら、イラクやアフガニスタン、またはベトナムでの米兵ことを想われたことでしょう。この映画は、パレスチナ・イスラエル問題を超えた、もっと普遍的なテーマを表しています。それこそが私がこの映画で伝えたかったメッセージなのです」
 私が話し終えたとき、100人ほどの参加者の中から拍手が起こった。予想もしなかった反応に、私は驚き、少しほっと安堵した。それは「この映画は、アメリカ人にも通じる」という確かな手応えを初めて実感できた瞬間だった。

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