Webコラム

日々の雑感 204:
米国人には長すぎる映画

2011年1月29日(土)米国上映ツアー

 ニューヨークと周辺での3回の上映会は終わった。そして28日は、ニューヨークとワシントンの中間ほどにあるフィラデルフィア市での上映会である。その後2日間はワシントンに滞在する予定だから、ニューヨークを3日間空けることになる。衣類や洗面用具、ワシントンで贈呈するDVDなどを用意し、滞在先の友人から借りたバックに詰め込んだ。
 いつもの通り、チャイナタウンまで歩き、安くてボリュームたっぷりの中華料理で腹ごしらえをした。午後3時半過ぎ、車で近くまで迎えに来てくれたLさんの車で、昨夜戻ってきたトンネルからニュージャージ州に再び渡り、高速道路をひたすら南下した。目的地まで2時間半近い長旅である。
 車の中でLさんと日本語で、これまでの上映会から得た教訓を話し合った。Lさんが真っ先に指摘したのは、アメリカ人にはやはり2時間10分の映画は長すぎるということだった。昨年春、最初にLさんとメールでやりとりし始めたときにも彼は「もう少し短くできないか」と私に打診してきた。そのとき私は、「この映画は私と編集者、そしてプロデューサーが1年近くかけて何度も試行錯誤し、議論しながら生まれた作品で、これ以上切れないというギリギリの線で決めた映像作品であり、何よりも監督の私の思想、パレスチナ・イスラエル観を凝縮し構成したものだから、絶対に変えない」とつっぱねた。しかし実際にアメリカで上映してみて、観客の反応を直接じかに知ってみると、『沈黙を破る』はやはりこのままの長さでアメリカでの上映会を続けるのは難しいことを実感せざるをえない。「アメリカ人が集中して観ることができるのはせいぜい1時間、最大長くても1時間半です。それを超えたら、集中力を失い飽きてしまいます」とバークレイ在住の日本人の知人たちにも指摘された。ニューヨーク周辺での3回の上映会の反応でも同じ声が上がった。
 長さが問題になるもう1つの理由は、アメリカでは上映会は多くの場合、平日の夜に行われるから、全体で2時間を超える上映会はやりにくいという事情がある。映画自体はせいぜい1時間、長くても1時間半が限界で、後の時間は質疑応答の時間に当てなければならないからだ。
 Lさんとの長い話し合いの中で出た結論は、「アメリカでの上映用に1時間から1時間半ほどに短縮した版を新たに再編集する。ただ販売用DVDの作品は今のままの形で販売していく」という戦略である。もう1つLさんと議論したのは、削除する具体的な部分である。ニューヨークでの上映後の参加者の反応やLさんの感想からわかったことは、日本でのドキュメンタリー映画に求められる“余韻”は、アメリカではまったく重視されないということだ。『沈黙を破る』の中で象徴的な例を挙げれば、映画の中で何度か登場する兵士たちの写真の接写場面だ。私は兵士たちの証言の言葉を観客が“消化する”ための時間、余韻としてそこに敢えて音やテロップを被せることもせず、ただじっと写真を見せた。しかしアメリカ人の観客には「退屈で無駄なシーン」となってしまうのだ。
 もう1つLさんが指摘したのは、『沈黙を破る』にはあまりに要素が多くて、パレスチナ・イスラエル問題に詳しくない一般のアメリカ人は混乱してしまい、ついていけないというのである。1時間から1時間半ほどに縮めるなら、当然、いくつかの要素を削ぎ落していかなければならないため、この問題はいくらか解消されることになるだろう。

 Lさんが私の映画を自分のフェイス・ブックで広報した結果、アメリカ国内からだけでなく、ロンドンなどヨーロッパやニュージーランドなどからも上映会の問合せが来ているという。今後、そのような上映会の要望にどう応えていくのか、単にDVDを送って観てもらうだけにするのか、それともきちんと上映料など条件を設定して対応していくのか、またDVDの販売をどのように上映会とタイアップしていくのか等々、3回の上映会の経験を元に検討し決めようということになった。

 この日の上映会場、フィラデルフィアの教会に着いたのは上映開始時間の直前だった。主催は「キリスト教徒とユダヤ教徒の同盟」という平和団体で、教会に集まった参加者は30人から40人ほど、多くは年配者で、若い人でも40代か50代という年齢層だった。これまでの上映会と違っていたのは、参加者は学生や一般市民が対象ではなく、すでにパレスチナ支援運動に関わっている人たちが多く、ヨルダン川西岸のヘブロンなどを訪ね占領の実態を体験して人も少なくなかった。この団体が毎年、現地へのスタディー・ツアーを企画しているというのだ。そういう人たちの間での上映会だからコロンビア大学のように最初から非難攻撃しようとする人はいないので、これまでのように緊張し構える必要もなかった。
 映画の後の質疑応答でも、「感銘した」「自分が体験してきたこと、これまでの知識を深める素晴らしい機会になった」といった好意的な感想が多かったのは、やはり「親パレスチナ」という共通の意識があったからだろう。以前、全米で講演ツアーをした「沈黙を破る」代表ユダがこのフィラデルフィアでも講演し、その話を実際に聞いたことがあるという人もいて、これまで以上に映画を身近に受け止めてもらえた。映画の上映時間を別にすれば、『沈黙を破る』はアメリカでも十分に観てもらえるという自信はさらに大きくなった。

 上映会が終わったのは11時を過ぎていた。Lさんはまた2時間半をかけてニュージャージ州の自宅まで車で戻らなければならない。私は明日、ワシントンに移動するため、上映会に参加した老夫婦の自宅に泊めてもらうことになった。77歳だというご主人が運転する車で30分もかかってその家にたどり着いた。つまりこの老夫婦は同じ時間をかけ、遠い道のりを車で、映画を観に教会まで駆けつけてくれたていたのである。私のこの上映ツアーは、父の死など多くの問題を乗り越えて実現させた旅だったが、やはり実現させてよかった。この映画上映がこれほど多くの人たちとの出会いの場を作ってくれたのだから。

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