Webコラム

日々の雑感 225:
朗読劇『核・ヒバク・人間』が問いかけるもの(前編)

2011年9月6日(火)

 「3・11」は、日本で暮らす全ての人々に、この未曽有の大惨事を目の当たりにした自分自身が“何ができるのか、何をすべきか” “これからどう生きていくのか”という問いを突き付けた、と私は思う。「ジャーナリスト」という“伝える”仕事を生業としているはずの私は、大震災直後、その答えが見いだせずに「金縛り」にあったように動けなくなり、数日、テレビで報じられる被害の実態に圧倒されながら、ただただ映像に見入っていた。暗中模索した後、私はやっと1つの結論に行きついた。長年、自分のライフワークとして“パレスチナ”を追い続けてきた私がやるべきことは、一瞬にして生きる基盤を奪われた人の痛みを伝えること、そして「人にとって土地・故郷とは何か」を問いなおすことだということだった。私は今、『飯舘村─故郷を追われる村人たち─』というドキュメンタリー映画の制作を通して、その問いの答えを探している。
 8月28日、東京で「非戦を選ぶ演劇人の会」のピースリーディング『核・ヒバク・人間』の舞台を拝見して、“演劇人”の方々の“答え”の1つを見せてもらった。観客を圧倒する朗読劇の内容と、それを演じる演劇人たちの、観る者の心を揺さぶる気迫によって。


(撮影:安藤博美)

 『核・ヒバク・人間』は、“核”とりわけ“原発”をめぐる問題をさまざまな視点から、しかも世界的なスケールで論じた画期的な朗読劇である。6人の脚本家たちが、できうる限りの資料を集め、読み込み、さらに自ら現場へ通い、その膨大な素材を元に、まさに七転八倒の思索を重ねて、緻密な構成を組み立てていったのだろう。それは、その劇の広がりと奥の深さから容易に想像できる。

 私がとりわけ心に残った場面を思いつくまま挙げてみる。

 冒頭の「フクシマ」の章の中で、6人の脚本家の1人、篠原久美子さんは飯舘村を訪ねた体験を、自らの台詞として語っている。実は、彼女が飯舘村の長谷川さん宅を訪ねたとき、私も現場に居合わせた。半日足らずの滞在だったはずなのに、長谷川さんの語りとその時の出来事が、詳細な情報とともに的確に再現されている。4月下旬以来、3ヵ月に渡って長谷川さんを撮影している私から見ても、その内容は正確だったし、現場での雰囲気がよく表現されていた。それは脚本の力であると同時に、その内容と彼の心理を咀嚼(そしゃく)して演じる高橋長英(たかはし・ちょうえい)さんの“長谷川さん”が実に味があった。自分の言葉が名優・高橋長英さんによって再現される朗読劇を客席で見た長谷川さんは、面映ゆく、そして誇らしかったにちがいない。その夜、私の家に泊まった彼は、焼酎の杯をあげながら、「高橋さんのような有名な俳優に自分を演じてもらえるなんて、いやあ、実に光栄だあ。一生の思い出だな」とうれしそうに語っていた。

 同じ「フクシマ」の章に登場する、長崎大学教授で福島県放射線リスク管理アドバイザーの山下俊一(やました・しゅんいち)氏の次の言葉を聞いたとき、正直、脚本家の創作ではないかと疑った。放射能汚染の危険に怯える聴衆を前に、科学者がこんな冗談めいた言葉を吐くはずがないと思ったからだ。

 放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています。私がデータです。
 私は、唯一お願いしたいのは、みなさんと我々が信じなくてはいけないのは、国の方針であり、国から出る情報です。

 しかし、その後、ネットでまさにこの言葉を語る山下氏の映像を目にした。私は唖然とした。山下氏の名前は、同じ長崎大学の高村昇(たかむら・のぼる)教授の名前と共に飯舘村でしばしば耳にした。3月と4月、福島県内の市町村で講演し、「年間100ミリシーベルト以下の被曝は大丈夫。子どもを外で遊ばせてもまったく問題ありません」と公言し、これを信じた村人が実際、避難先から汚染された村に戻り、子どもたちを外で遊ばせた。その直後に、飯舘村は「計画的避難地区」に指定された。「なんだったんだ、あの先生たちの話は!」と村人は呆れ、怒った。彼らは“犯罪者”だという声も聞いた。
 朗読劇中の山下教授の語りは、御用学者の“醜悪さ”と“犯罪”の実態を凝縮した言葉だった。ちなみに、9月1日の「朝日新聞」の「ひと」欄は、その山下氏の「朝日がん大賞」の受賞を伝えた。まさにブラックユーモアである。

(参考サイト:朝日がん大賞

 「原発と地域振興」の章は、原発やその関連施設をいったん受け入れた自治体は、それから抜け出せない実態を語っていく。「電源三法交付金」で潤う一方、一番カネが入ってくる導入時を過ぎると、固定資産税の償却など時間が経つほどカネが回らなくなり、過剰なハコモノを作った結果、その維持コストがかさんで財政悪化の要因となる。その後の経済を安定させるために、さらに原発を誘致せざるを得ない。つまり「ポスト原発は原発」「1度はまると抜け出せない麻薬」の状況に陥ってしまう。その仕組みがわかりやすく語られていく。
 1999年の核燃料加工工場「JCO」における「臨界事故」で被曝した大内久(おおうち・ひさし)さんの治療の様子の詳細な描写はあまりに生々しく、痛々しかった。とりわけ看護婦の語りに、私は治療室でその現場に立ち会っているような錯覚に陥った。

 身体のほとんどをガーゼで覆わなければならなくなってしまって……。皮膚が失われたところから、血液や身体の水分がしみだしていました。ほんとに、毎日毎日しみだしがすごくて、ガーゼの交換をするんですけど、半日かかるんですね。見ているだけですごく痛々しかった。

 本当に、なんというか、ここにいる人は何だろう。誰なんだろうではなく、何だろう。ぼろぼろになって、機械につながれた体がある。自分たち看護婦は、その体を相手に、次から次に、その体を維持するために、乾きそうな角膜を維持するために、はげてきそうな皮膚を覆うために、そういう処置ばかりどんどん続けなければならなかったんです。自分は一体何のためにやっているんだろう。自分は別に角膜を守りたいわけではない。大内さんを守るためにやってるんだ。そう思わないと耐えられないケアばかりでした。大内さんを思い出しながらでないと、自分のやっていることの意味が見いだせないような、そんな毎日でした。

 看護婦のこの言葉は、どんな学者の解説よりも深く直截に、放射能汚染の恐ろしさを語り伝えている。

 「なぜ原発が、唯一の被爆国・日本に?」という疑問にもこの朗読劇は明解に答えている。「原子力の平和利用」の名目で、アメリカから日本に「原子力」が導入される背景と経緯、その仕掛け人である正力松太郎と中曽根康弘が果たした役割、さらに「原発は金になる」と飛び付いた財界、それを当時の自民党政権が支援する。官僚機構も政府や業界と癒着し、メディアは電力業界という「広告スポンサー」に飼いならされ牙を抜かれる──この巨大な「政官財」の原発トライアングルとメディアの加担という構図が、実に的確に、そして端的に語られるのである。

 「原発労働者」の章では、東電の元請け会社から、孫請け、ひ孫請け……と7、8層ほどにもなるといわれる「東電協力会社」の現場の労働者に対する非人道的な扱いや搾取の実態も明らかにされている。
 作業時の付帯が義務づけられてる作業員の身分証明書「原発手帳」は「今回は必要ない」と親会社から告げられる作業員。そこには毎回浴びた放射線量が打ち込まれるはずなのに。
 また賃金の搾取の実態も具体例も弁護士の言葉で語られる。
 「地元業者の証言によれば、東電が元請け業者に支払う日当は作業員1人当たりにつき、10万円前後。それが何層もの下請け会社の介在で手数料を引かれ、作業員が受け取るときには8000円になった例もあります。多くの労働者が中間搾取され、安い日給で働いています」
 「西成労働福祉センター」を訪ねた日雇い労働者は、「宮城県、10トンダンプ運転手、日当1万2000円、30日間」と告げられながら、福島第1原発の作業員にさせられたとの例も紹介されている。

 原発労働者たちが大量の放射線を被ばくさせられながら、「品物か、工具のように扱われ、使い捨て、切り捨て、なりふり構わない扱いを受ける代表」と言う原発労働者・岩佐嘉寿幸(いわさ・かずゆき)さんは、敦賀(つるが)原発での作業中、配管からもれた水を膝に浴びた。その後、全身のだるさを覚え、医師に放射線皮膚炎、リン性リンパ腺浮腫と診断された。岩佐さんは、労災の認定を求めたが、却下された。「被ばくを記録した証拠がなかった」ためだった。この岩佐さんを取材した写真家・樋口健二さんは「日本の司法は、被ばく労働者を徹底的に潰してきたんです」と語る。そして原発について「人を被ばくさせて原発は動いているんです。原発をクリーンだ、コンピューターで動かせる、なんて真っ赤な嘘だ」と怒りを込めて訴える。
 嶋橋美智子さんは、原発で働いていた息子の伸之さんを被ばくによる白血病で29歳1カ月という若さで失くし、その後、息子の労災認定のために闘った。その嶋橋さんが息子の最期を切々と語る。

 身体中が痛かったんでしょう。ベッドに触れると振動が響いて痛いと怒ってね。歯ぐきから出血が止まらず、ふいてもふいてもあふれてくる。血がにじんだタオルを入れたごみ袋がいくつもできた……私に甘えず、世話を焼くと怒っていた伸之が、亡くなる数時間前、ぎゅっと私の手を握ったんです。そして私の顔のマスクを一生懸命ずらそうとする。無菌室だからと元に戻しても、マスクをずらすのをやめなかった。最期に私の顔がみたかったんでしょうか。

 放射線従事者中央登録センターが一元的に管理している「放射線管理手帳」。伸之さんのその手帳を手に入れた母親の美智子さんが、こう語る。

 やっとの思いで手に入れた手帳は、至るところに訂正印だらけで真っ赤。ほとんど被ばく線量数値の訂正で、伸之が死んだ翌日のもありました。通院中だったのに健康診断の結果、作業従事可とされていたり、入院中にもかかわらず職場の安全教育を受けたことになっていたり……。白血病と診断される1年半前、白血球数が1万3800と、異常に高い記録がありました。それでも判定は「異常なし」でした。この手帳は、本当に伸之の役に立っていたのか。体に危険かもしれない放射線の被曝量を知っていたんでしょうか。私には、企業が労働者の被ばくを管理するためだけの手帳のように思えるんです。

(後編に続く)

参考サイト:非戦を選ぶ演劇人の会

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