Webコラム

日々の雑感 238:
中東を駆け巡るジャーナリスト・川上泰徳氏

2011年11月4日(金)

 ガザへの通行許可がなかなか下りない。大都市カイロの喧騒の中で、じっと待つのも耐えがたい。もちろん革命後のエジプトの現状を取材するという手もあるが、街を歩いているだけで、何が変化したのか、そう簡単にはわからない。しかも革命前のカイロの街の空気を知らないのだから、状況の比較のしようもない。本気でやるなら、アラビア語の通訳を付けて、市井の人々の声を丹念に拾っていくことだろう。だが、今の私はガザ行きのことで頭の中がいっぱいで、なかなかそんな精神的な余裕が持てない。
 悶々とするなか、気分転換に小旅行をしようと思いついた。これまで何度かエジプトは訪ねているのだが、ラファからカイロまでのシナイ半島の砂漠の光景、砂漠の中にときどき現れるオアシスの町々、スエズ運河、そして大都市カイロの中心街しか見たことがない。中東へ来ると、私は目的の取材のことで頭がいっぱいになり、とても旅行気分にはなれない。しかし今回は、ガザに行く許可が下りるまで動けないのだから、カイロの喧騒の中で無為に時を過ごすより、これまで行ったことない街へ旅をしようと思ったのである。
 旅先に選んだのは、旧知のジャーナリスト、朝日新聞中東駐在編集委員兼論説委員・川上泰徳(かわかみ・やすのり)さんが暮らすアレクサンドリア。古代エジプト時代からの都市で、地中海に面する美しい街だと聞いていた。ラジ・スラーニも学生時代をこのアレクサンドリアで過ごしている。
 このアレクサンドリアを基地に、中東各地を駆け巡り、次々と日本に中東情勢の最新情報を発信し続ける川上さんの仕事を、同じく中東に感心を持つ私は日本から驚嘆と羨望の目で拝見し続け、大きな刺激を受けてきた。
 その川上さんに会いたいと思った。多忙な日々を送る彼に会うのは難しいだろうと思いつつ、電話をすると、幸いこの時期なら時間が取れるとのこと。この機会を逃せば、現地で川上さんに会うことは難しいだろうし、川上さんがいなければ、アレクサンドリアを訪ねる気にもならないだろうと、この旅行を決めた。

 午前10時、カイロ発アレクサンドリア行きの急行に乗った。料金は36ポンド、日本円にして500円程度だ。カイロを出るまで車窓には青空の下の茶色や黄土色の建物がほとんど切れ目なく次々と過ぎて行く。どれも古くくすぶった色だ。車窓の光景がくすぶっているのは、単に窓が汚れているからだろうか。黄砂がかかっているように濁ってみえる。十数分ほど経ってやっと緑の畑が見えてきた。それから延々と田園の光景が続く。エジプトで列車に乗るのは初めてだ。

 3時間後、アレクサンドリアの街に入って列車が止まると、周囲の客たちがいっせいに列車から降り始めた。ここが終点だと思った私は、その列に続いた。しかしそこは終点ではなかった。アレクサンドリアに2つの駅があることを知らなかった。その手前の駅で降りてしまったのだ。もう1つ先の駅で待っている川上さんに電話して、こちらに迎えにきてもらうことになった。道路が渋滞していて30分以上も待った。街に入った途端に失敗をしてしまった。貴重な時間を割いてもらっている川上さんにさらに無駄な時間を費やさせてしまい、申し訳なさに、また落ち込む。やがて自家用車でやってきた彼の車で家まで走る。道路は渋滞し、方向指示器も出さず予告なしに路線変更して前に割り込んでくる車、それをスイスイと泳ぐように進む川上さん。運転がうまい。
 着いた家はマンションの8階、居間の窓から地中海の広大な海が一望できる。窓を開けると、眼下の高速道路を走る車の騒音と、海岸に押し寄せる波の音が打ち消し合う。
 海が一望できる居間の一角が川上さんの仕事場。大きな机にも、背後の棚にも本や書類が山積みされている。そこに座ると、海がまん前だ。最高の仕事場である。長崎の対馬で生まれ育った川上さんは、海が見える場所に住みたいと願っていたという。その希望がこのアレクサンドリアで叶ったわけだ。

 2ヵ月に1度ほどの割合で、中東諸国で長期の取材をし、夕刊に連載する。他にはネットの「asahi中東マガジン」の執筆と編集作業、朝日新聞本紙での解説・論説の執筆と多忙な日々だ。それでも現地のアラビア語新聞3紙に目を通し、中東の衛星放送「アルジャジーラ」アラビア語版で日々の出来事を追う。自宅の衛星放送テレビでは中東20カ国の全ての現地放送をアラビア語で見ることができる。内戦が続いたリビア情勢では、リビアの政府系テレビと、反政府系テレビを比較しながら見ることもできた、という。
 大阪外国語大学アラビア語科の出身である川上さんは、アラビア語を自由に駆使し、中東各地での取材では、独りで現地に向かい、レンタカーを借りて自分で運転し、単独でアラビア語で取材する。私たちと違って、高い費用がかかるコーディネーターも通訳も運転手もいらない。
 アレクサンドリアの自宅を拠点として中東を取材してまわり、記事にしていく生活が川上さんにぴったりあっているようだ。朝日新聞側としても、日本の中東専門のジャーナリストとして他の追随を許さない川上さんを東京本社に押し込めておくのではなく、中東駐在の編集委員として、現地から自由に取材をさせるほうが川上さんを最大限に生かせると判断したのだろう。
 「なぜアレクサンドリアなんですか?」と私は川上さんに訊いた。すると彼は留学生時代の体験を語ってくれた。学生時代、1年間カイロに留学していたとき、このアレクサンドリアを初めて訪ねた。卒業論文のテーマに「ナポレオンのエジプト征服でエジプト人はどう反応したのか」を選んだ彼は、その征服の第一歩となったアレクサンドリアの街の雰囲気を知りたいと思った。湾岸諸国などから避暑にたくさんの人が押し掛けてくる夏に、海沿いにアパートを持っている住民が、滞在者に貸している海が見える部屋を借りて住んだ。対馬の海辺で生まれ育った川上さんにとって、その光景と雰囲気が強烈な印象として残り、将来ここに住みたいと思ったという。
 湾岸諸国からの避暑地となっているアレクサンドリアには国際空港があり、足の便もいい。アラブ諸国、特に湾岸諸国には直行便が出ていて、3、4時間で行くことができる。ヨルダン行きの便が早朝にあるため、それを使えば、午後にはエルサレムにはつくことができる。アラブ諸国各地を駆け回り、いろいろな国を熟知している川上さんだが、エジプトがいちばん好きだという。長い歴史を持った国でありアラブ諸国の中心であり、人は穏やかだ。そのエジプトの中でも巨大都市カイロのような喧騒もなく、観光ズレしていないアレクサンドリアの人びとはさらにいい。ユネスコの援助でできた国際的なアレクサンドリア図書館も近くにある。
 将来、新聞社を定年になった後も中東に生活の拠点をおいて、中東を歩き、日本に発信し続ける拠点としたいと考えて、川上さんはアレクサンドリアを選んだ。ジャーナリストとしても、人生の送り方としても、理想的な姿のように私には思える。
 私が訪ねる日の朝、川上夫妻は魚市場に出かけ、両手で抱えるような大きくて新鮮な魚、蟹、鯛などを買ってきた。ここでは朝獲れた魚が手に入る。その魚を川上さんがさばいて刺身にしてくれた。それに蒸した蟹がついた豪華な夕食をご馳走になった。アラブ世界でこんな新鮮な刺身が食べられるとは一般の日本人は想像もできないだろう。川上夫妻は、日本にいる時より、ここへ来てからの方が魚を頻繁に食べるようになったという。
 多忙な川上さんに大切な仕事の時間を割いてもらい、こちらが申し訳なさで心苦しくなるほどの歓待を受けた。川上夫妻の優しさが胸に染みた。

→川上さんが執筆しておられる Asahi 中東マガジン

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