Webコラム

日々の雑感 245:
今も西岸で進行するシオニズム政策

2011年11月20日(日)


ベツレヘムの北西部のワラジ村で急速に進む分離壁の建設
多くのオリーブ畑が破壊された(撮影 2011.11.14)

 ベツレヘム町の郊外にあるベットサフール町に向かった。エルサレムから21番バスでベツレエムの入り口まで辿り着き、そこからベツレヘムの旧市街のマーケット街を生誕教会まで歩いた。その近くから今度は地元のバスに乗りベットサフールに着いた。ここを最後に尋ねたのは2007年春だったから、4年半ぶりになる。ここにイスラエルの左翼の団体が運営する情報センターがある。このセンターは西岸でのイスラエルの占領の実態について情報を集め、ネットや映像などを通してイスラエル内外に発信している。
 ここを訪ねたのは、以前、私が取材を続けていたヌーマン村の近況を知るためだった。

 ヌーマン村は東エルサレムの南部にある人口300人にも満たない小さなパレスチナ人の村だ。かつてはこの村の子供たちは東エルサレムの小学校へ通い、多くの男たちはイスラエル側の西エルサレムに職を得て通っていた。しかし、イスラエル政府は住民に東エルサレムのIDを与えなかった。つまりヌーマン村の住民はヨルダン川西岸の住民だとみなされたのだ。しかしやがて建設された分離壁は、この村をエルサレム側に囲いこんだ。一方、この村から東エルサレムへ向かう道を塞いだ。つまりヌーマン村は、土地はエルサレム側に、住民は西岸側に、というまったく矛盾した状況に置かれたのだ。住民が2つの壁から外へ出る出口は分離壁に作られたゲートだけだ。子供たちは毎日、このゲートを通って村の外にある隣村の学校(西岸側)へ通わなければならない。住民が仕事や買い物のために村を出るのもこのゲートを通過しなければならない。そのゲートを管理するのはイスラエル兵だ。村を出入りするたびに兵士の検問を受けなければならない。生肉など村に持ち込む物資にも厳しい制限が加えられているという。救急車や消防車を西岸側から村に入れるのもイスラエル側の許可が必要になる。
 さらに村での住宅の建設は厳しく制限される。エルサレム市当局の許可なしで家を建設したり増築すれば罰金が科せられ、その家や増築した部分は当局によって破壊される。例えば、ある家族の息子たちが成長して結婚のために家を新たに建設するか、すでにある家の階上に新たに部屋を増築しようとすると、それは「違法」となり、破壊の対象になる。そのために息子たちは、自分たちの家庭を持とうとすると、村を出て分離壁の向こう側に移り住むしかない。イスラエルの目的は明らかだ。ヌーマン村の人口がこれ以上増えることを制限し、それどころか将来的に住民の数をどんどん減らし、最終的には住民のいない村にして、その土地だけをイスラエル側に併合していくことである。「人なき土地に、土地なき人を」。シオニズムの政策は昔の話ではない。今、現実にヨルダン川西岸で、その政策は生き続け、着々と実行されているのである。

 かつての取材したこの村のある住民と、分離壁の外にある彼の建設資材の店で再会した。
 彼の話によれば、村の住民の生活はゲートの検問によってさらに困難になっているという。私が最後にこの村を訪ねた2007年春以来、村の家2軒が破壊された。
 このヌーマン村が置かれている実態が、ヨルダン川西岸におけるイスラエルの占領政策を象徴している。世界がまったく気付かず、いや気付かないふりをしている所で、イスラエルは着々とヨルダン川西岸の「侵蝕」を進めている。それはガン細胞がじわじわと人の身体を蝕んでいくのに似ている。世界がその実態に気付き、それを制止しようとしたときにはもう手遅れで、「パレスチナ国家」建設の基盤などほとんど蝕まれ破壊され、跡形もなくなってしまっている。それでも欧米や日本の政府やメディアや「専門家」は、「2国家共存こそパレスチナ問題の唯一の解決」と“砂上の楼閣”のきれい事を念仏のように唱え続けるのだ。

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