Webコラム

日々の雑感 273:
壊された“家の中” ─飯舘村避難者の苦悩─

2012年10月28日(日)


(写真:飯舘村の住民が暮らす仮設住宅)

 ほぼ1ヵ月ぶりに訪ねた福島の仮設住宅で、飯舘村から避難している59歳の女性Aさんに会った。彼女は10年前に夫を病気で亡くし、震災前は村で息子夫婦と、中学生と小学生の孫2人の5人で暮らしていた。共働きの息子夫婦に代わって孫たちの学校の送り迎えすることが楽しみだった。
 しかし放射能汚染で飯館村を追われた一家はバラバラになった。子どもたちを放射能から守るため、息子の一家は広島に避難し、息子はそこで新しい仕事を得た。一緒に行こうと息子に誘われたが、Aさんは独り、福島の仮設住宅に残る決心をした。夫と自分が懸命に働いて20年前にやっと建てた家を守るためだった。夫は「家のことはよろしく頼む」と言い残して亡くなった。夫の墓も村に残したままだ。福島を離れれば、死んだ夫と、その思い出の場所を離れることになる。迷いに迷った末、息子夫婦や孫たちと暮らしたいという思いを、断腸の思いで断ち切った。
 一方、Aさんは放射能への恐怖心に苦しんでいる。家が傷まないようにと時々、村の家に戻り風通しをするが、以前使っていた井戸水も水道も飲めない。水道源は村の山だから放射能に汚染されているに違いないと思うと、口に入れた途端、吐き出してしまう。「ここだけの話だけど」と前置きして、Aさんは福島で暮らしながら、福島産の野菜は一切口にしないことを告白した。
 仮設住宅での独り暮らし。息子に会いたい、孫たちの顔を見たいという思いと、夫との思い出の家を守るのは私しかいないという思い、Aさんは二つの感情の間で揺れ続けている。そのストレスのためか、この1年の間で驚愕するほど髪が抜けた。周囲の飯舘村の女性たちに訊くと、同じような悩みを抱えていた。
 「津波の被害を受けた人たちは“家”を失ったけど、私たちは“家の中”つまり家族の絆を失ったんですよ」とAさんは言った。「家が壊れたことには補償はしてもらえるけど、“家の中”が壊れたことは誰にもわかってもらえないし、何の補償もしてもらえない。それが悔しいんです」

 突然、東京都知事を辞任することを発表した石原慎太郎氏は、10月26日の記者会見で、「原発をどうするとかそんなものは、これから先、ある意味で大きな問題かもしれないが、ささいな問題だ」と言い放った。
 原発事故で故郷を追われて避難する福島の住民は6万人を超える。その一人ひとりが今なおAさんのような苦悩を抱えながら暮らしている。それを「ささいな問題」と切り捨てる人物が「国政に出て、最後のご奉公」と臆面もなく語るのだ。

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