Webコラム

日々の雑感 308:
『原発ホワイトアウト』が突きつけた“敵の本丸”

2014年1月13日(月)

 最近、めっきり本が読めなくなった。取材しなければならないテーマ、仕上げなければならない複数のドキュメンタリー映画の編集作業などに追われ、焦ってばかりで、ゆっくり読書する心のゆとりを失っている。そんな中、正月明け早々、風邪で寝込んでしまった。布団の中でぼっとしているのももったいないから、最近読みたいと思っていた本を布団の中で読んだ。
 『原発 ホワイトアウト』。飽きっぽい私が一気に読み上げた。衝撃だった。この国を裏で動かしているモンスターの実態を、現役の官僚が暴き出している。
 経済産業省の外局、資源エネルギー庁の幹部、全国の電力会社のカルテル組織「日本電力連盟」の幹部の2人が中心となって、政財界、検察、マスコミなどを総動員し、障害となる地方行政の首長などを追い落とし、原発再稼動に向けて着々と画策しているさまが、ドラマチックに描かれて、読み手をぐいぐいと引っ張っていく。登場する政党や政治家、組織、テレビ局や番組名も、仮名が当てられているが、読者にはそれが実在の何を指しているかすぐにわかる。おそらく描かれて内容は、まさに現在、政財界、中央官庁で実際に起こっていることで、その動きに最も危機感を抱いている少数派の良心を持った官僚が、義憤に駆られ、職を賭して“内部告発”したものだろう。内部の人間でないと描けない詳細な事実、実際に類似する現場を目撃した実録に違いない個人や組織間のやりとりは、この本の圧巻だ。
 電力業界が消費者から回収した余剰の金や、電力会社が割高で発注する資材、燃料費用の一部を取引き企業からキックバックさせた金を、政治家たちやマスコミ、文化人たちにばら撒き、手なずけていく様がリアルに描かれている。また経済産業省と電力業界の間のもちつもたれつの相互依存、「既得権益側が国会議員を使って行政に圧力をかけ、法制度や事業内容を我田引水に変質させる」やり方、また政権と検察が結託して政敵や抵抗勢力を抹殺していく現実……。現在の日本を動かしているこの巨大な政治経済システムの実態を、この現役官僚の作家は「小説」という形態をとって白日の下にさらしたのだ。
 私はこの本を読みながら、これまで漠然と知っているつもりでいた権力の中枢、そのシステムの巧妙さと力の強大さを目の当たりにして、背筋が寒くなった。
 ジャーナリズムは本来、こういう“権力の中枢”を監視し、告発し、立ち向かわなければならないはずだ。この“権力の中枢”こそ、ジャーナリストたちにとって“敵の本丸”のはずだ。この本は、その権力者たちが、そういう「ジャーナリズム」「メディア」を何よりも恐れ、警戒している現実を描く一方、この権力の強大さに比べ、現実の「ジャーナリズム」「メディア」がいかに非力であるか、それどころか、その“敵”に飼いならされ、利用されてしまう、いやむしろ自ら進んでその片棒を担ぐ一部の「御用ジャーナリスト」「御用メディア」の実態も描いている。

 こういう現実を前に、拠り所となる組織も待たない一匹狼のジャーナリストである私は、この“敵の本丸”に一矢を報いるために何ができるのだろうか、いま何をすべきなのか──。本を読み上げたあと、衝撃の余韻のなかで私は自問した。
 「特定秘密保護法」を阻止するために私は一人のジャーナリストとして、ほとんど何もやってこなかったという後ろめたさが今なお心の隅に汚泥のように沈殿している。あの時、私の中に「私が動いたくらいではこの流れは変わらない」という諦念があった。一方で、その法案の危険性を社会に訴えるために必死に報道を続ける「報道特集」「報道ステーション」のスタッフたちがまぶしかった。「彼らは組織だからできるんだ。俺は独りだから」といくら言い訳しても、「ジャーナリストとして失格」という、私の中のもう1つの声を打ち消すことはできなかった。でも私は今の仕事を捨てることはできない。それは自分の精神的な“死”を意味するからだ。ならば、もう一度、ジャーナリストとして“原点”に立ち返るしかない。
 組織ジャーナリストに比べればまったく非力だが、“一匹狼のジャーナリスト”として私がやれることがあるはずだ。たとえ蟻が象の足を噛むような小さな仕事であっても、私はジャーナリストとして“噛み”続けなければいけないのだ。“敵の本丸”という象の足を、だ。その象の姿から視線をそらさないこと。61歳になった私には、もう右顧左眄(うこさべん)している時間の余裕はない。ひたすら“象”の足を噛み続けること。それが、私が“生きる”ということなのだから。

『原発ホワイトアウト』若杉 冽/講談社 (2013年9月)

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