Webコラム

日々の雑感 309:
稲葉剛・著『生活保護から考える』に問われる己の“目線”

2014年1月28日(火)

 「弱者の側に立って伝える」──ジャーナリストとして私はそう公言してきたし、自分はそうしてきたつもりでいた。しかし稲葉剛・著『生活保護から考える』(岩波新書/2013年11月)を読んで、こう問い正される気がした。
 「あなたは、日本社会の“弱者”をほんとうに知っていますか。あなたはほんとうに“弱者”の立場に立っていますか」と。
 この本は、ジャーナリストとしての私自身の“目線の高さ”を否応なしに突きつけるのだ。
 私はジャーナリストとして、貧困、差別、孤立の中で行き場を失った“路上生活者”のことを、メディアの報道だけでなく、日常の生活の中で「知っている」つもりでいた。しかし、この本の中で詳細で描かれているような“路上生活者”、貧困にあえぐ人たちの過酷な生活の現状と、そこから抜け出すため手段の1つである「生活保護」制度の利用さえ困難な実情を、正直、私は知らなかった。

 「豊かな先進国」とみられている日本だが、路上で餓死寸前、凍死寸前の人を発見するのは日常茶飯事であること。1995年から2011年までの17年間に国内で餓死した人の総数は1129人にも及ぶこと。2009年では相対的貧困率(単身者で手取り所得が12万円/月以下)が全国民の7人に1人であること。
 また、生活保護利用世帯はクーラーもテレビも「贅沢品」とみなされいたこと。生活に困窮した男性が救済を求めて訪ねた地方自治体の「福祉課」で「住民票のあるところでないと生活保護は受け入れない」と虚偽の理由で拒絶され、周辺の自治体をたらい回しされたこと。福祉事務所では生活困窮者に、「生活保護は、高齢や病気・障がいなどで働けない状態の人でないと使えない」など虚偽の口実で生活保護の申請をさせず、窓口で追い返される「水際作戦」が横行していること。北九州市の生活保護行政のように、申請書の交付枚数の制限、受給中の世帯の廃止目標を具体的に設定して面接主査やケースワーカーにノルマを課している例さえあることなど、この本の中で紹介されている“生活保護”をめぐる現状をジャーナリストであるはずの私はほとんど知らなかった。それになのに、私は平然と、「ジャーナリストとして、弱者の側に立って伝える」と公言していたのだ。

 このような日本社会の底辺の現状に対して、為政者たちは「社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います」(2006年6月、小泉内閣・竹中平蔵総務大臣(当時)の発言)のように日本社会における貧困問題を直視しようとはしなかったし、その状況が今、大きく改善されたとも思えない。それどころか、安倍政権は生活保護の基準を引き下げ、保護する対象を制限し、すでに生活保護を受けている国民に対して、「われわれの税金で全額生活を見てもらっている以上、憲法上の権利は保障したうえで、一定の権利の制限があって仕方がないと考える」(自民党世耕弘成・参議院議員)と公言している。このような考え方に対して、著者、稲葉剛氏は「こういう政治家の生活保護の根底には生活保護を当然の権利としてではなく、国家による恩恵や施しとしてみる前近代的な社会福祉観があると考えられます。恩恵を受ける側の人権は一定度制限されてもしかたがないという発想です」ときっぱりと反論している。

 しかしこのような“生活保護”に対する考え方は、何も為政者たちに限ったことではない。テレビや週刊誌、インターネットなどでも「働ける人が怠けて生活保護を受けているのではないか」「保護を受けて、パチンコなどのギャンブルをしている人がいるのはおかしい」「親族にお金持ちがいる人が保護を受けているのではないか」さらに「生活保護を受けることを恥と思わなくなったのが問題」「正直者が馬鹿を見る社会になっている」といった生活保護利用者に対する激しいバッシングが起こっている。
 一部の例を、あたかも生活保護利用者全体がそうであるかのように伝える針小棒大の報道によって、私たちは「彼らは働かないで楽をしている」という生活保護利用者に対するイメージを意識の中に刷り込まれていく。彼らの置かれている厳しい現状を知らなければ、いっそう容易にそのイメージを受け入れてしまう。
 それによって、生活保護利用者たちは、深刻なスティグマ(他者や社会集団によって個人に押し付けられた負のレッテル)に苦しめられる。稲葉氏はこう書いている。
 「『生活保護』を受給することが、まるで『悪』のように言われ、『恥』とされている。何よりもつらいのは、自分自身が生活保護を利用している自分に対している自分に対して引け目を感じているということだと言います」。
 そしてそれが、差別や偏見が社会問題を「不可視」化させ、その解決をさらに困難にさせているというのだ。

 自民党や安倍政権が「憲法『改正』案」などで強調する“家族の絆”の強化が、生活保護制度の厳格化にも悪用される実例も、私はこの本で知った。
 昨年秋に可決された生活保護法改正案で「扶養義務の強化」が強調されている。それによって、「生活保護」を利用しようとする人や過去に利用していた人の「扶養義務者」(親や子、兄弟姉妹など親族)が自分の収入や資産の状況について、直接、福祉事務所から報告を求められたり官公署、年金機構、銀行などにある個人データを洗いざらい調査され、さらには勤務先にまで照会をかけられたりする。
 つまりその規定は、生活保護を申請しようとする人にとって「自分が申請してしまえば、親族の資産・収入が丸裸にされてしまい、親族が福祉事務所から圧力をかけられる」ことを意味するのである。それに対して稲葉氏は、「生活困窮者の間で『親族に迷惑をかけたくない』という意識がさらに広がり、今以上に申請を抑制する人が増えてしまう。最悪の場合、それが餓死、自死など貧困による死を誘発する」と警告している。

 私は「家族」という言葉に、“安らぎ”“憩い”“支え合い”“家族愛”といったイメージを抱いてきた。実際、私はこれまでパレスチナ・ガザの難民キャンプの家族や、原発事故の放射能によって故郷を追われた飯舘村の家族のように“強い絆と愛”で結ばれた家族の姿を映像や活字で肯定的に描くことが多かった。一方で、稲葉氏が指摘する「一家団欒をイメージするどころか、痛みやつらさ、悲しみがよみがえり、体がこわばってしまう人がいる」家族の問題に正面から向き合ってこなかった。だから、「家庭内暴力や“共依存”などの問題を抱える家庭で、親子という絆を解体させる『最後の切り札』としての生活保護」という考え方があることも私は初めて知った。
 私にとって新鮮だったのは、「公」と「私」という二分法では、家庭内暴力などの解決の道が見えてこないという指摘だった。
 トラウマ研究の第一人者、精神科医、宮地尚子氏は、家庭での親密的な関係における暴力が、社会的な許容されてきた背景に、「公私の二分法をもとに、家庭という私的領域に公が介入する必要はない、すべきではないという論理」があるのではないかと指摘し、「公私の二分法の『私』を『親密』と『個』に分け、公的領域、親密領域、個的領域の三分法に変形させる」ことを提案している。「DV(家庭内暴力)とは親密的領域における暴力と支配であり、それによって被害者の個的領域が奪われること」だから、「親密領域」と「個的領域」を“生活保護”によって切り離すことによって、DVの問題を解決していくというのである。

 本書で紹介されている「溜め」という概念も私は初めて知った。著者、稲葉剛氏の同志である湯浅誠氏が提唱したという。つまり「溜め」とは「人を外界から守ってくれるバリアのようなもの」であり、金銭だけでなく、頼れる家族や友人がいること(人間関係の「溜め」)、自分に自信があり、自己を尊重できること(精神的な「溜め」)なども含まれるという。そして“貧困”とはこうした諸々の「溜め」が総合的に奪われている状態であるとういのである。“貧困”の本質をついたこの指摘に、私は「目から鱗(うろこ)が落ちる」思いがした。

 もう1つ、はっとさせられたのは、「弱者の正義」という言葉である。石原吉郎氏はシベリア強制収容所(ラーゲリ)の記録のなかで、シベリアで抑留された旧日本軍たちが鋼索(ワイヤロープ)を研いで針を作り、それを密売してパンと交換していたが、それ収容所の当局側に密告する日本人の心理状況についてこう語っている。
 「針一本にかかる生存の有利、不利にたいする囚人の直観はおそろしいまでに正確である。彼は自分の不利をかこつ(不平を言う)よりも、躊躇なく隣人の優位の告発をえらぶ。それは、自分の生きのびる条件をいささかも変えることがないにせよ、隣人があきらかに有利な条件を手にすることを、彼はゆるせないのである」
 こうした状況下では嫉妬は「正義の感情に近いものに転化」し、この嫉妬こそ「強制収容所という人間不信の体系の根源を問う重要な感情」と石原は断言している。
 稲葉氏は、石原氏のこの「弱者の正義」という概念を現在社会に敷衍する。
 「自分たちを取り巻く社会環境を主体的に変えることは不可能だ、と感じる人が多数を占めれば、その社会は『人間不信の体系』となり、『隣人の優位の告発をえらぶ』人々が増えるのではないかと考える。隣人が実際に『有利な条件』を手にしているかどうかは関係なく、『優位』に見える人々は正義の名のもとに攻撃されるのです」
 そして、それが、近年の在日外国人へのヘイトスピーチなどにも共通する心理状況だと指摘し、「各自が自分の不利をかこつ(不平を言う)ことから始めて、自分自身の抱える問題を社会に発信し、社会的な解決を求めていけば、弱い者が弱い者を叩く構造から抜け出していけるのではないか」と稲葉氏は言うのである。

 実は、稲葉剛氏は、彼が東京大学の学生の頃からの知り合いである。1980年代の後半、1年半のパレスチナ現地取材から帰国し、行き場を失っていた私は、本郷の東京大学の近くにあったアジアの留学生の寮「蒼生寮」に居候していた。その寮で定期的に開かれていた勉強会の参加者の1人が稲葉氏だった。以来、20数年近くが経つが、寮や勉強会のかつてのメンバーたちは、当時、寮の“精神的な支柱”だった2人の先輩の元に今でもときどき集まって、酒を飲みながら、政治や社会問題について激論を戦わす。中には韓国人元留学生で私立大学の教授になった人、ジャーナリストになった人、映像作家になった人、弁護士になった人もいるし、主婦もいる。しかしこの場では今の職業や立場は離れて、20年前の「若者たち」に戻って、飲み、食べ、熱く語り合う。「自立生活サポートセンター・もやい」の理事長として多忙な稲葉氏も時間が許す限り、顔を出してくれる。今や、生活困窮者の支援活動で日本を代表する著名人の1人となった彼も、この席では、かつて勉強会で議論していた「学生時代の稲葉さん」である。
 「本当に変わらない人だなあ」と、私は稲葉さんに会うたびに思う。童顔のほっそりとした容姿だけではない。決して大言壮語することもなく、もの静かで謙虚なところは私が知る20数年前の彼とほとんど変わらないのだ。実に律儀な人でもある。私がドキュメンタリー映画の新作を映画館で公開するたびに、彼は何枚もチケットを引き取り売りさばいてくれ、多忙なのに真っ先に映画館に足を運んでくれる。『異国に生きる』の劇場公開のとき、ゲストトークとして稲葉さんを招いたことがある。その場で、私はずっと聞いてみたかった質問を彼に投げかけた。
 「東大の大学院まで卒業し、その気になれば、大学教授や大企業または高級官僚など、世間で言う社会のエリートコースを進むこともできたはずなのに、なぜ“生活困窮者”の支援という道を選んだのか」
 映画のトークショーのような場で自分を語ることを彼は躊躇したのだろう、笑ってごまかし、多くのことを語らなかった。しかし、その後、私が知りたかったその答えを稲葉さん自身が著書『貧困待ったなし!』(自立生活サポートセンター・もやい編/岩波書店)の中に、書き記しているのを知った。
 その著書によれば、稲葉さんを今の活動に導いたのは、路上生活者支援活動のリーダー的な存在で2歳年上の見津毅(みつ・たけし)氏だったという。見津氏は1995年の阪神・淡路大震災の救援活動の直後、バイク事故で急死する。稲葉氏はその見津氏の影響をこう書いている。

 「それまで見津の後をくっつくようにしてダンボール村に出入りしていた私は、彼の死によって支援活動の前面に押し出されるようになってしまった。それまでも私は平和運動に始まり、外国人労働者の支援活動、ビルマの民主化支援など、さまざまな社会活動に首を突っ込んでいたものの、自分の中では『どれも中途半端だ』と感じていた。しかし、見津の死により、私は自分の前にまさに『お鉢が回ってきた』ことを感じた。私は特定の信仰を持つ人間ではないが、その時、何者かから『これ(新宿の路上生活者の救援活動)をやれ』と言われたように感じたし、そのことを自然な流れとして受けいれたのである。
 だがカリスマ的なリーダーであった見津と、人見知りの学生である私との間には大きな差があった。『見津が1年でやったことを自分は自分なりのやり方で10年かけてやろう』と私は誓った。
 また見津は口癖のように、『個々の実存と向きあう』と言っていた。社会運動は『問題の解決』を指向するあまり、一人ひとりの人間の存在を軽んじてしまう傾向がある。見津はそのことを知っていたのだろう。だが、『個々の実存と向きあう』とは具体的にどういうことか? それは私の永遠の課題になった。
 私のこだわりは『路上死をなくす』ということにあった。私はそれが私なりの『平和運動』ではないかと思うようになっていた。私は見津が始めたパトロールを引き継ぎ、新宿の路上に具合の悪い人がいないかどうか、眼を皿のようにして探し回った。肋骨が浮き出ていないか、足がむくんでいないか、眼に黄疸が出ていないか、せきや痰がひどくないか……。当時はあまりに病気の人が多かったので、私のような素人でも簡単に病人を見つけ出すことができた。
 路上で病人を見つけ、救急車を呼ぶ。あるいは福祉事務所まで同行し、職員と交渉して入院や施設入所にこぎつける。身体が弱った人を、少なくとも路上ではないところ、屋根のあるところに移していく。私はその活動こそ『路上死をなくす』ことにつながると信じて、新宿の街を歩き続けた」

 稲葉さんの著書『生活保護から考える』を読みながらまず気づくのは、その文章の明晰さと平易さである。「頭脳明晰な人の文章とは、こういう文章のことを言うのか」と私は感嘆した。東京大学に現役で入る頭脳を持った人が上昇志向の欲望のまま、いわゆる「日本社会のエリート・コース」をめざすのではなく、逆に日本社会の底辺で生きる人を支援するために、その能力を最大限に活用する。この著書はその象徴である。頭脳明晰な稲葉さんだからこそ、この著書を通して社会の底辺で生きる“生活困窮者”たちの現実、彼らが抱える問題点を明らかし、為政者たちだけではなく、私たち一般の国民が持つ偏見と差別の実態をあぶり出して見せた。エリートが、“本来、エリートとして果たすべき社会的な役割”を稲葉さんは見事に果たしている──この著書を読み終えた私の率直な読後感である。
 「あとがき」の次の文章は、そんな稲葉さん自身の“生きる姿勢”“思想”をも凝縮しているように私には思える。

 「生活保護制度の本当の意味とは何でしょうか。それは人間の『生』を無条件で保障し、肯定することだと私は考えています。『生』と言うと、最低限の生存が維持できている状態という意味に受け取られがちですが、ここで言う『生』とは衣食住だけではなく、健康で文化的な生活、つまり『人間らしく生きる』ことを意味しています。
 現代社会では『人間らしく生きる』ためには経済的な基盤が不可欠です。その基盤を支えるための制度はさまざまありますが、どんな人に対しても最後のラインで『生』を防御しているのが生活保護制度だと思います。その意味で、生活保護制度は『人間らしく生きたい』という人として当然の願いを無条件に肯定している制度だと私は思います。
 『生』を支える生活保護をバッシングしている人々は、私から見ると、他者の多様な『生』のありようを肯定できていない人たちに見えます。そして他者の『生』を肯定できない人は、実は自分自身が『人間らしく生きる』ということをも無条件で肯定できていないのではないかと私は感じています」

 このような深い思想を持ち、それを20年も実践し続けるこの“若い友人”に、私は深い畏敬の念を抱くのである。

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