Webコラム

日々の雑感 312:
組織の責任と個人の責任(1)

2014年4月1日(火)

 逮捕から48年、元死刑囚・袴田巌(はかまだ いわお)さんが静岡地裁による「再審決定」によって釈放された。その理由を村山裁判長はこう述べた。
 「無罪を言い渡すべき、明らかな証拠に該当する。袴田は捜査機関によって、捏造されたと疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間、死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。これ以上、袴田に対する拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する状況にある」

 現在78歳の袴田さんは、人生の半分以上の期間、冤罪によって自由を奪われ拘留され続けたことになる。しかも最初の死刑判決から45年間は、いつ死刑が執行されるかという恐怖とずっと向き合ってきた。そのために精神に異常をきたしているという。つまり袴田さんは日本の司法機関、捜査機関によってこれまでの人生の半分以上を奪われたのだ。
 それに対し、いったい誰が、どう責任を取り、どう償うのか。裁判官は、「衣類は捏造されたと考えるのが最も合理的で、捏造する必要と能力を有するのは、捜査機関(警察)をおいて他にない」と言及している。では、その組織の中で実際、彼を尋問し自白を迫り、罪を被せ、「死刑判決」まで下した当事者たちはいったい誰なのか、彼らは、この裁判所の決定によって、裁かれ、その償いするのだろうか。まだメディアも、「司法・捜査機関」の責任には言及するが、袴田さんを「死刑囚」にし人生を奪ったその張本人である個々人の責任には触れようとはしない。
 ただ一人、メディアに登場し、己の犯した過ちを告白したのは、一審公判で死刑判決を書いた元裁判官・熊本典道氏だった。彼は新聞に「自白に疑問を抱き、無罪を主張したが、裁判官3人の合議で死刑が決まった」と告白し、テレビでは、涙ながらに「ごめん、ごめんよ。あの時、もうちょっと、こういう言葉を言っとけばよかったんだけど……」と語った。
 さらに別の新聞報道はこう報じている。

「心にもない判決を書いた」と良心の呵責に耐え切れず、判決の翌年に裁判官を辞めた。弁護士になったが、法廷で「私はやっていません」と訴えた袴田死刑囚のまなざしが忘れられず、酒浸りに。自殺を考えたこともあった。弁護士も辞めた。

 免田事件、財田川事件、松川事件、など、戦後、再審で無罪が確定した事件で、誤って無罪の被疑者に「死刑判決」を下した裁判官は、熊本氏のように苦しんだのだろうか。熊本氏のような実例を私は報道で見聞したことがない。たとえ熊本氏のように「良心の呵責」に自殺さえ考えるほどに、苦しんでいたと知っても、それでも私は違和感を拭い去ることができない。1人の人間の何十年という貴重な半生を奪い、家族を苦しめ続けたこの冤罪の判決を下した張本人は、なぜ法的に責任を問われ、罰せられないのか。これは“犯罪”ではないのか。
 ましてや、「被疑者」を犯人に仕立て上げるために、1日に12時間を超える脅迫まがいの尋問で「自白」を強要し、「捏造されたと疑いのある重要な証拠」をでっち上げた当時の刑事や捜査員たち、捜査機関の当事者たちは、この結果をどう受け止めているのだろうか。
 「報道ステーション」は、事件直後に袴田さんを取調べていたある刑事も取材し、「再審決定」のコメントを取った。その元刑事はこう語ったというのだ。
 「はっきりした証拠も決め手もない、難しい事件で、自供があったからこそ、いろいろ動いた。直接、証拠がないのは事実。どうやったら自供するか考えた。有罪だと思っているが、裁きに従うしかない」
 それには映像も名前もない。なぜ匿名なのか。当時の刑事、捜査員たちはこういうコメントで出すだけで、その“犯罪”は問われないのか。袴田さんの48年間の半生を奪った張本人たちは、なぜその“犯罪”を追及されず、その償いをさせられることもなく、「司法・調査機関」という顔のみえない組織の「過ち」で済まされるのか。その張本人たちは、たっぷりと退職金や年金をもらい、生存者は現在も、平穏な隠居生活を送っているにちがいない。一方で、1人の無実の人間が彼らのせいで、48年間の時間を奪われ、45年もの間、死刑の恐怖にさらされ続けて、精神に異常をきたすほど苦しめられてきたのに、だ。
 「司法・調査機関の責任」「国家の責任」といった“組織の責任”の隠れ蓑に守られて、その張本人である個々人の罪が暴かれず、追及されないこの構図は、福島原発事故でも顕著だった。(続く)

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