Webコラム

ガザからの報告(2014年夏)
(10)“人間としての尊厳”を奪われた避難民たち

2014年8月12日(火)


(写真:避難所になったUNRWA学校)

 あなたは電気のない生活を想像できるだろうか。24時間、電気があることが当たり前の生活を送っている日本人には、イスラエル軍によるガザ攻撃によって長期間にわたって完全に電気を断たれたガザ住民の生活を思い描くことは難しいだろう。ガザ入りした7月31日以後、1週間ほどそういう状態が続いていた。幸い、私が借りたアパートには発電機があり、夜7時から12時までは電気が使えた。しかし日中は40度近くになる真夏のガザで、昼間に電気がないことは辛い。
 まず冷蔵庫が役に立たない。切って袋詰めにしていたキャベツが、翌日には切り口から腐ってしまった。ケチな私はなんとか食べる方法はないかといろいろ考えたが無理だった。買いだめしていたパンも2、3日後に点々とカビが生えた。これはもったいないから、そのカビの部分だけちぎり取り、残りは焼いて食べた。肉類は保存できないから買えない。野菜やパンも1、2日で食べ切る量しか買えない。
 電気がないため、昼間はインターネットが使えないのは、ジャーナリストの私にとって最も困ることの1つだ。コラムを書いて日本に送ろうに送れず、日本の家族や友人たちとの唯一の通信方法であるメールも送受信できない。だからメールのやり取りやフェイスブックにコラムを投稿するときは、夜まで待つか、取材の基地にしているパレスチナ人権センター(ここは朝から夕方まで自家発電で電気がある)に出かけるしかない。
 一番困ったのは、ガザ入りして数日後に膝を痛め、階段の登り降りができなくなった時だった。私の部屋は7階になる。私が取材に出かける午前8時ごろや、帰宅する午後4時ごろはアパートの発電機は動かないからエレベーターが使えない。困り果て、アパートの主人に懇願して、私が仕事の行き帰りに数分だけ発電機を動かしてもらい、エレベーターを使えるようにしてもらった。
 それでも私の場合はまだ恵まれている方だった。5時間発電機で電気を起こせるので、その間にビルの最上階にあるタンクまでポンプで水をくみ上げることができる。だから水は水道の蛇口を開ければ出てくる。
 しかし発電機を備えていない古い高層アパートの住民にとって、電気がないことは水がないことを意味する。私の通訳の住居は古いアパートの6階にある。電気がなければ、その屋上まで水をくみ上げられないから、家族総出で、階下からバケツで6階まで運ばなければならない。そうしないと炊事はもちろんのこと、トイレやシャワーも使えないのだ。小さな子供たちもが重いバケツを抱えて一歩一歩階段を昇る姿は痛ましい。


(写真:飲み水を汲みにきた避難民の少女)

 電気がないことで水道水を送り届けるポンプや地下水をくみ上げる電気ポンプが使えず、多くのガザ住民が水不足で苦しんでいる。車でガザ地区の街を走っていると、公共の水汲み場に人だかりができている。そこでは発電機を使って地下から水をくみ上げている。近くの住民たちは馬車や車でいくつもの水タンクを積んできて、できるだけ多くの水を家に持ち帰ろうとみな必死だ。
 悲惨なのは、ガザ北部や東部のイスラエルとの境界に近い町や村々、さらに集中的に砲爆撃で瓦礫の山となったガザ市内のシャジャイーヤ地区のような地域から逃れてきた避難民たちである。その数は現在すでに50万人に達したという(パレスチナ人権センター)。彼らの多くがUNRWA学校に寝泊りしているが、その環境は劣悪である。1つの学校に2000~3000人がすし詰めになって暮らしているが、彼らにとって最も深刻なのは水問題である。学校には3000人ほどが生活できる水を供給できる設備はない。飲み水はなんとかUNRWAなどから供給されても、シャワーやトイレなどで使用するための生活用水は決定的に不足している。私が学校でインタビューした数家族の全てが、UNRWA学校に避難して以来、20日以上もシャワーを浴びていないと言った。この40度を超える暑さの中で20日近くもシャワーを浴びられない辛さを、いつでもたっぷり風呂の湯に浸れる日本人は想像できるだろうか。さらにひどい状況なのがトイレだ。3000人近い避難民の毎日の排泄物も、水不足のために流せない。そのトイレの状態を目撃したとき、私は嘔吐しそうになった。
 狭い小屋にすし詰めに押し込められて“餌”を与えられるだけの家畜のように、ただ生き延びるためだけの最低限の環境を与えられるだけの人びと。“人間としての尊厳”を完全に奪われた人びとが今ガザには50万近くもいるのだ。


(写真:避難民の母子)

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