Webコラム

日々の雑感 330:
フクシマの新作ドキュメンタリー映画の制作

2015年3月16日(月)

 「東日本大震災の記念日3月11日は現地で迎えたい」と震災や原発事故の現場に向かうようになって、今年で4回目になる。最初の2回は、津波の被害で200人を超える犠牲者が出た仙台市の荒浜(あらはま)で迎えた。当時、荒浜地区に災害ボランティアとしてやってきた若者たちを追っていた。そして3回目は福島の集会とデモを取材し、今年も福島市内での女性たちの集会を取材しようと、11日の早朝4時、暗闇の中、車で横浜の自宅を出た。順調に行けば、途中で1時間ほどの休息を取っても午前10時半から始まるその集会には優に間に合うはずだった。しかし予想もしないことが起きた。郡山市(こおりやまし)の手前、郡山南IC(インターチェンジ)から郡山ICまで雪のために通行止めとなってしまったのだ。仕方なく高速道路を下り、平行して福島市に向かって走る4号線に向かった。しかし私と同じように高速を下りて北上しようとする車で大渋滞。このままでは50キロ先の福島市まで何時間かかるかわからない。郡山ICから東北道に戻れば間に合うかもと4号線を下りて東北道へ向かったが、その道も雪のために大渋滞で車がなかなか進まない。通常なら10分ほどで着くはずの郡山ICまで数倍の時間をかけてやっとたどり着くと、今度は雪による東北道の通行止めは郡山ICの1つ先の本宮(もとみや)ICまで延びてしまっていた。福島市に向かおうという私の気力は萎えた。その夜は、郡山郊外の農村民宿に泊まることになっていて、集会の後、また50キロ離れた郡山まで戻ってこなければならない。この雪と大渋滞では無理だと判断し、結局、福島市での集会は諦めた。今回の福島取材は出端を挫かれ、意気消沈した。
 民宿に向かうには早すぎる。ならば、次の映画のために不可欠な「福島の雪景色」を撮影しよう、それには絶好の機会だと気持ちを切り替えた。雪が降りしきる中、私は民宿の近くの農村地帯へ向かった。農村部に入ると、広々とした田園は真っ白な平原となっていた。横殴りの雪の中で、遠くの民家や小さな森が一面の白に浮かび上がっている。辺りはシーンとした静寂。幻想の世界にいるような錯覚に陥る。私は寒さも忘れ、雪の中で夢中にカメラを回した。


(写真:郡山市郊外の農村・3月11日 撮影)

 大震災と福島原発事故から5周年に向けて、私は今、新しいドキュメンタリー映画の撮影を続けている。それは事故から数年経って他の地域の人々から忘れ去られようとするフクシマの声を映像で記録する作業である。あの時から4年が経っても被災者たちの心の傷は癒えるどころか、傷口はますます深くなり、凝固していっているように見える。生活苦、家族離散、孤独、生きがい喪失、諦念、絶望……。しかしそれは遠く離れた他県の人たちには目には見えにくく、その声は届かない。都会人の中には被災から4年経った今なお福島には12万人を超える人びとが故郷と家を追われ避難生活を送っている現状を知らない人は少なくない。それどころか、「フクシマ? もう終わったことでしょう? いつまでそんな話をしているの。しかもあの人たちは政府や東京電力から手厚い補償をもらっているんでしょう? いつまでも“被害者”面して甘えているんじゃないよ」という心ない声さえ、現状を知らない都会人から漏れてくる。それがさらに福島の被災者たちを打ちのめす。
 “伝える”手段を持ったジャーナリストの1人として、私は事故から数年経った今の被災者たちの声を記録する証言の映画を作ろうと考えている。故郷を追われ、家族バラバラになり仮設住宅で暮らす孤老たち、生きがいの農業を奪われ途方に暮れたままの元農民たち、放射能から子供を守りたい一心で母子避難した結果、家庭が崩壊した母親、故郷で失った生花栽培の基盤を1から再建しようと必死にかんばる農民……、彼らを訪ね歩き、じっとその声に耳を傾けカメラを回す。この1年ほどの間に、さまざまな年代や職業、立場の十数人の被災者たちの声を記録してきた。当初、証言だけで2~3時間の映画が成り立つのかという不安もあった。しかし、彼らが心の奥底に鬱積した思いを吐き出すように語るその切迫した、心の叫びのような声に、耳を傾け記録する私は胸を揺さぶられた。その声に私は“言葉の力”を確信した。次の映画でその“言葉の力”に賭けてみようと思った。
 そうは言っても、多くの人に観てもらうには工夫は必要だ。そこで思いついたのが、証言の羅列に観る人の集中力を失なわせないために、証言の合間合間に福島の四季の美しい風景を織り込むことだった。それは放射能汚染で福島が失ったものを象徴する意味あいもある。
 そういう計画で、私は昨年春から証言集めと共に、四季折々の福島の風景を撮影するために福島通いを続けている。「福島の雪景色」の撮影はその一環だったのである。


(写真:郡山市郊外の農村・3月11日 撮影)

 雪景色の撮影が一段落すると、私は予約していた農村民宿へと向かった。その民宿を選んだのは単に宿泊だけが目的ではなく、その宿の主人、中村和夫さんに会って話しを聞くためでもあった。郡山市の郊外で7ヘクタールの土地で米作を続ける農民、中村さんは島田恵監督のドキュメンタリー映画『福島 六ヶ所 未来への伝言』にも登場する。私が初めて中村さんの声を直接聞いたのは、昨年3月1日、東京都内で開かれた福島原発告訴団主催の「被害者証言集会」でのことだった。放射能のために福島の米が敬遠される現実を切々と語る中村さんの証言が心に深く残った。
 その中村さんから福島の農民の思いを直接聞いてみたい、その声をぜひ「証言映画」の組み入れたいと思った。(つづく)

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