Webコラム

日々の雑感 334:
『茶色の朝』と安倍政権

2015年5月5日(火)

 平和運動のスピーチの中で、「日本は今まさに『茶色の朝』の危機にある」というふうに、『茶色の朝』という本がよく引用される。私はあらすじは聞き知ってはいたが、きちんと読んだことがなかった。連休に連れ合いの本棚から取り出してみると、ハードカバーだが50ページにも満たない薄い本だった。12年も前の2003年12月8日つまり太平洋戦争勃発から62周年の日に出版され、10ヵ月後には13刷を出している。当時、「イラク特措法」や教育基本法の改悪の動きに危機感を抱いた市民の間で静かなブームとなったという。
 「憲法記念日」に私は初めてきちんと読んだ。ざっとこういうあらすじだ(以下、『茶色の朝』の内容に言及しています)。

 登場人物は「俺」と友人の「シャルリー」。ある日、2人の会話の中で、シャルリーが愛犬を安楽死させたことを「俺」に語る。理由は「お国」が定めた「ペット特別措置法」によって犬は「茶色」でなければならず、それ以外の犬は処分しなければならなくなったからだった。実は「俺」自身、茶色でなかったペットの猫を始末しなければならなった。その時は「お国」の科学者が「茶色を守るほうがいい」というのだから「あまり、感傷的になってもしかたがない」と思い、仕方なく従った。
 そのうち2人がよく読んでいた『街の日常』という新聞が廃刊に追い込まれる。あの「ペット特別措置法」をたたいたからだ。人びとはお国に忠実な『茶色新報』しか読めなくなった。「俺」はうっとうしかったが、周囲の人たちは「いままでどおり自分の生活を続けていた」ので「きっと心配性の俺がばかなんだ」と思いなおす。
 しかしそのうち図書館や本屋の棚から、『街の日常』系列出版社の書籍が全部、強制撤去を命じられる。本の中に登場する犬や猫という単語の前に「茶色」という言葉が抜け落ちていたからだ。その後、人びとは、「用心のために、言葉や単語に茶色をつけくわえるのが習慣となってしまっていた」。
 そうしているうちに、「茶色に染まることにも、違和感を感じなくな」り、「少なくとも、まわりからよく思われていさえすれば、放っておいてもらえるし」とやり過ごした。
 そんな時、競馬を当てた。初めての当たりに「茶色記念だぜ!」とはしゃぎ、「おかげで、新しい法律の煩わしさも、受け入れやすくなった」と「俺」は思う。
 その後「俺」と「シャルリー」はそれぞれ茶色の犬と猫を飼い、2人でスポーツの試合をテレビ観賞する。
 「すごく快適な時間だったし、すっかり安心していた。まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば、安心が得られて、面倒に巻き込まれることもなく、生活も簡単になるかのようだった。茶色に守られた安心、それも悪くない」という思いがふと「俺」の脳裏に浮かんだ。
 それからしばらく経って、「俺」が「シャルリー」の家を訪ねると、彼のアパートのドアが自警団員らによって破壊されていて、彼は逮捕された後だった。飼い変えた犬は間違いなく茶色だったのにである。しかし周囲の人の話では、以前、飼っていた犬が茶色じゃなかったことも犯罪になったというのだ。
 「俺」は冷や汗をかく。「以前、茶色ではない猫を飼っていた自分も自警団のいい餌食になる」と。
 そしてまもなく「茶色ラジオ」が「時期はいつであれ、法律に合わない犬あるいは猫を飼った事実がある場合は、違法」となり「国家反逆罪」になると報じた。しかしも、自分が直接飼ったことがなくても、家族や親族が1度でも飼ったことがあれば罪が問われるというのだ。
 その時、「俺」は「茶色の猫といっしょなら安全だとずっと思いこんでいた」自分がいかに認識が甘かったかを思い知り、「これは明らかにやりすぎだ。狂っている」と心底思った。
 ひと晩中眠れなかった夜、「俺」はこれまでの自分を振り返り、反省する。

「茶色党のやつらが、
最初にペット特別措置法を課してきやがったときから、
警戒すべきだったんだ。(中略)
いやだと言うべきだったんだ。
抵抗すべきだったんだ」

 その一方で、こう自分に言い訳するのだ。

「でも、どうやって? 政府の動きはすばやかったし、
俺には仕事があるし、
毎日やらなければならないこまごましたことが多い。
他の人たちだって、
ごたごたはごめんだから、
おとなしくしているんじゃないか?」と。

そしてある「茶色い朝」早く、だれかが「俺」の家のドアをたたく……。

 この本の解説を書いている高橋哲哉・東大教授(哲学者)によれば、「茶色」は、フランスではヒトラーに率いられたナチスドイツを連想させる色だという。初期のナチスが茶色のシャツを制服としていたためだ。読者も、この寓話の中では「茶色」が「ファシズム」や「全体主義」の象徴であることはすぐに理解するだろう。

 フランスとブルガリアの二重国籍をもつフランク・パウロフが、この物語を書くきっかけは、1998年、人種差別と排外主義で知られる極右のジャン=マリー・ルペンが、政界に躍進したことで、その事態へ抗議するためにこの寓話を書いたという。そして2002年の大統領選挙でその極右政治家が決選投票に残るという事態に、危機感を抱いた多くのフランス国民がこの本に注目し、やがてこの本はフランスでベストセラーとなる。

 そんなフランスの本が 日本で発売されたとき、多くの読者を引き付けたのは、「ファシズムと全体主義の不気味さと恐ろしさ」を描かれたこの寓話が、当時の日本の状況と将来の姿を暗示していると考えられたからだけではないだろう。この本の後半で高橋氏がこの寓話を日本人一人ひとりの心の有り様にまで引き寄せ、読み解いてみせたことが日本の読者を引き付けた大きな要素だったのではないかと私は思う。

 高橋氏がまず注目するのが寓話の中に登場する「茶色に守られた安心、それも悪くない」という言葉だ。その「茶色の安心」とは何か。高橋氏はこう言う。

 はじめは驚いたり、不安を感じたりしても、その法律や施策に逆らわず、新たな状況を受け入れていて、それに適応していけば、さしあたり「安全」は保証され、ひとまず「安心」が取り戻されることになる。そのとき人は、この物語の「俺」のように、「茶色に守られた安心、それも悪くない」と感じるようになるでしょう。

 そして高橋氏は、人びとが「危険な事態」にも徐々に“慣らされていく”様子を、この物語の中から読み取っていく。

「ペット特別措置法」のもとで最初に茶色でない猫が処分されたとき、「俺」は驚き、胸を痛めますが、科学者や国などの権威筋がそういうのなら、「仕方がない」と思い、やがてその痛みを忘れていきます。
「ペット特別措置法」を批判しつづけた新聞が廃刊になり、『茶色新報』を読むしかなくなったときも、「うっとうしい」と思いつつ、「競馬とスポーツネタはまし」だから、まあいいだろう、とあきらめます。批判的な新聞を発禁にすることに疑問をもっても、「ビストロの客たち」が「いままでどおり自分の生活を続けている」のを見て、「きっと心配性の俺がばかなんだ」と、みずから疑問を封印してしまいます。そして図書館や本屋から批判的な書物が強制撤去されるころには、「茶色に染まることにも違和感を感じなくなって」しまったのでした。
 こうして「俺」は「茶色に守られた安心、それも悪くない」と考えるようになります。

 本を読みながら私は、高橋氏が指摘する「(社会が茶色に染まることに)慣らされていく」現実は、まさに今の日本でないかと思った。
 2012年12月の安倍政権の発足以来、日本が急激に右傾化してきた。国民の「知る権利」を奪う「特定秘密保護法」の制定、憲法第9条を骨抜きにする「集団的自衛権」の行使容認の閣議決定、これまで国際紛争の当事国などへの武器輸出を禁じてきた「武器輸出三原則」を反故にし、武器輸出の規制を緩めた「防衛装備移転三原則」の制定などはその象徴的な例だ。そして4月下旬には、これまでの「日本周辺」に限定されてきた「ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」も、自衛隊の活動範囲を地球規模に拡大し、その役割を大幅に拡大する「新ガイドライン」へと改定された。しかも憲法解釈の変更に関わるこの重大な「国際約束」は、国会の審議も経ないまま強行されてしまったのだ。
 もちろん、その急激な右傾化の流れに国民や一部メディア、野党の中から反対・抗議の声はあがった。「特別秘密保護法」の制定や「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定のときは、国会前を埋め尽くす市民の大きな抗議デモが連日繰り広げられた。しかしそれも安倍政権の暴走を食い止める力にはならず、やがてその抗議の声もほとんどメディアでも伝えられなくなった。つまり国民は、この「急激に右傾化し“茶色の社会”に向かう動きに慣らされてき」つつある。いやそれどころか今の日本社会は、その右傾化の動きを積極的に受け入れ、自ら“茶色”に染まろうとしているかのようにも見える。選挙のたびに自民党を「圧勝」させ、安倍政権とその政策を「信任」しているのだから。つまり「茶色に守られた安心、それも悪くない」と思っている日本人は少なくないということだ。
 なぜなのか。『茶色の朝』の寓話の中に、その答えのヒントの一部が暗示するような箇所がある。
 主人公の「俺」が、「茶色に染まることにも、違和感を感じなくな」り、「少なくとも、まわりからよく思われていさえすれば、放っておいてもらえるし」とやり過ごしているとき、競馬を当てる。初めての当たりに「茶色記念だぜ!」とはしゃぎ、「おかげで、新しい法律の煩わしさも、受け入れやすくなった」と「俺」は思うのだ。
 私はふと、長年低迷していた日本経済が「アベノミクス」で上向いたと報じるニュース、株価が上がったと喜ぶ一般投資家の顔、給与やボーナスが上がったとほくそ笑む大企業のエリート社員たちの顔を思い浮べた。彼らの姿が、「茶色記念だぜ!」とはしゃぎ、「茶色の社会」をも受け入れてしまう寓話の中の「俺」と重なってしまうのだ。
 『茶色の朝』の中には、今と、近い将来の日本の社会状況を言い当てているような箇所が他にもある。
 「俺」と友人の「シャルリー」がよく読んでいた新聞『街の日常』が廃刊に追い込まれる。その理由は、政府が定めた「ペット特別措置法」をたたいたからだ。そのうち図書館や本屋の棚から、『街の日常』系列出版社の書籍が全部、強制撤去が命じられる。本の中に登場する犬や猫という単語の前に「茶色」という言葉が抜け落ちていたからである……。
 その文章を読みながら、私はあの「報道ステーション」の出来事とその後の流れを想った。政府のやり方に異を唱え歯向かうメディアは脅し、幹部を手なずけ、“去勢”していく。そしてうまく「バランス」が取られ、牙と毒気を抜かれて中和され、口当たりがよくなったその番組に、物足りなさや「うっとしさ」、違和感を抱きながらも、多くの視聴者は「いままでどおり自分の生活を続けていた」ので、「報道に“権力の監視”役を求める俺は、ないものねだりをするばかなんだ」と思いなおすのである。

 今の日本の状況、最近の安倍政権の動きを見ていると、彼らはこの『茶色の朝』に描かれているような、国民が「(社会が茶色に染まることに)慣らされていく」心理とプロセスを研究しつくし、それを実践しているのではないかと邪推してしまうほどだ。
 例えば、この夏に予定されている「安倍談話」だ。村山談話にある「植民地支配と侵略」を認め、「痛切な反省と心からのおわび」という表現をなんとしても避けたい安倍氏は、まずバンドン会議で、「深い反省」と表現し、国内と中国、韓国の反応を見た。予想したほどの大きな非難が起こらなかったと判断した安倍首相は、今度は「歴史修正主義者」と疑念を持たれているアメリカでの上下両院合同会議で、同じ英語表記の「痛切な反省」をもう1度つかって反応を探った。「大丈夫だ。恐れていた大きな反発や非難も出なかった」と胸をなでおろした安倍氏は自信を深めたはずだ。これで8月の「安倍談話」では、もう「植民地支配と侵略」も「痛切な反省と心からのおわび」も使わなくても大丈夫と判断したにちがいない。私たち日本国民もバンドン会議、アメリカ議会での演説で首相がそれらの言葉を使わないことに“慣らされて”しまった。もう「安倍談話」にそのキーワードが使われなくても、国内から大きな非難の声が沸き起こることはないだろう、少なくとも安倍氏はそう確信したにちがいない。
 憲法の改悪もそうだ。安倍政権にとって“本丸”の9条の改悪に最初から手をつけるのではなく、環境権など当たり障りのない条項から改正発議をし、「憲法を変える」ことに国民を“慣らさせる”。その9条も、集団的自衛権の行使容認によって骨抜きにされた現実に国民を“慣らさせ”、9条を変えることへの抵抗感を弱め麻痺させていく。

 私たちは、この動きにどう立ち向かえばいいのか。
 国民を徐々に“茶色の社会”に “慣らしていく”安倍政権の狡猾な遣り方をやり過ごしている間に、「公共、公益」のために人権を蔑(ないがし)ろにし、国家権力ではなく国民を縛る「新憲法」にあっと言う間に改悪されてしまいかねない。そうなってから「認識が甘かった。茶色党のやつらが、最初にペット特別措置法を課してきやがったときから、警戒すべきだったんだ。いやだと言うべきだったんだ」と後悔してももう遅い。
 私自身、この危機的な時代にジャーナリストの自分は何ができるのか、何をすべきなのかと自問し焦ってはいるが、なかなか答えが見つからない。ただ少なくとも、『茶色の朝』の「俺」のように、「政府の動きはすばやかったし、俺には仕事があるし、毎日やらなければならないこまごましたことが多い。他の人たちだって、ごたごたはごめんだから、おとなしくしているんじゃないか?」と自分に言い訳をするような生き方だけはすまいとは思っている。

関連サイト:大月書店:茶色の朝

「記憶と生きる」2015年6月7日完成披露上映会
土井敏邦監督『記憶と生きる』
2015年6月7日完成披露上映会

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