Webコラム

ルポ「絶望の街─ガザ攻撃から15ヵ月後─」(9)

(2016年3月11日公開)

写真・ガザ仕事もなく、昼間からカフェにたむろする若者たち/ガザ/2015年11月・土井撮影

<第二部・絶望する若者たち>

2人の青年の告白(後編)

 モハマドは鬱積するストレスを発散する方法を模索している。
 「ずっと家にいるわけではありません。わめき散らし、家の中のものを壊してしまいそうだからです。だから外を歩き回ります。海岸に行くと、叫び続けました。自分の中のエネルギーを全部放出するんです。とても大きなエネルギーを叫ぶことで発散しようとしました。叫び、泳ぎ、走り、歩きます。疲れ果て、眠ってしまうまでです。
 エネルギーが有り余っているので、毎日外を歩きます」
 「絶望し泣いている友人たちを見ると、私は同情し、彼らの痛みを和らげようとします。『他人の痛みを見れば、自分の痛みが小さくなる』という格言を信じるからです。私は運動を始めました。有り余ったエネルギーや言葉にできないことを発散するためにです。黒い壁をつくって、人がガラス製の物を持ってそこに入り、それを思う存分壊します。皿やコーラのビンや手に入るガラス製のものを集めてきました。怒りや絶望を抱いている人たちが、それを発散するために壊すんです。中には全てを破壊し尽くし、もっとくれと頼む人もいました。ガザの青年たちが感情を発散するほんの一例です」

 モハマドはこの閉塞感と絶望が、ガザの若者たちを自暴自棄にさせ荒廃させ、それがガザの社会に波及していく恐れがあると指摘する。
 「自分たちの状況は考えたくありません。ガザでは相手に対する忍耐がなくなってきました。他人に会っても、交流しようとしないんです。全ては仕事がなく、やることがないからです。誰も何もすることがなく、とにかくやることが欲しいんです。若者たちは交流が途絶え、悪い方向に向かっています。多くの若者がドラッグをやっています。仕事がないからです。破滅的な行為です」
 「状況がこれまでより悪化すれば、死んでしまいます。このように考え続けたら、精神を病み気が狂うか、死んでしまいます。私は状況が好転することを願っています。
 私たちはずっと絶望と悲しみの中で生きていたくはないんです。こんな状況が続けば、ガザでの自殺率は高まるでしょう。住民の間で内部抗争や殺人が多発するでしょう。住民の半分は精神的に病んでしまうでしょう。人と交流しなくなる。失望のあまり、そうなってしまうのです。人びとは多くの希望を持ちます、しかし残念ながら実現しません。住民は今、限界の状態です。4年とはいわず1〜2年間でもこんな状況が続けば、住民は死ぬか。住民はみな出ていくでしょう。大規模な民衆蜂起を起こすかもしれない。住民の全員が国境に行くかもしれません。絶望と挫折ばかりの人生はもうたくさんです。我々が死ぬか、政府が解決を見いだすしかありません。もしこんな状況が続くなら、そういうことが起こるでしょう」

 若者たちにとって絶望的な状況にあるこのガザから脱出しようとする傾向を、2人はどう見ているのか。
 「私も今、ガザを出る計画をしているところです」とモハマドは告白した。「友人の一人は海からガザを出ていきました。私より5歳年上でした。親子3人です。5歳年上の彼は、工学部を卒業し、仕事を探したが結局無駄でした。彼はずっとガザを出ると言っていました。何度も合法的にガザを出ようとしたけどすべて失敗しました。だから海から出て行ったんですが、ずっと怖がっていました。幸運にも家族全員が海で溺死することなく、無事でした。ドイツです。彼らはトンネルを通り、アレキサンドリアから海を渡り、ドイツに着きました」
 「一緒に行かなかったことを後悔してるかって? もちろんです。一緒に行かなかったことを今はとても後悔しています。私は国境を越えることが怖かったんです。しかしドイツでの彼らの写真を見ると、同行しなかったことが悔やまれます。一緒に行っていればよかったです。だって今、私はガザを出ようと懸命なんですから。私がガザを出て、将来を見いだし、夢を実現し、幸せになれるよう神が助けてくれることを願っています」
 「残念ながらガザには劇場も制作会社も監督への支援もありません。全ての方面が閉ざされています。仕事も才能を伸ばす場所も全くないんです」
 「実現に最も近い手段はガザを出ることです。仕事を見つけ、働きたいんです。私が望む人生を送りたいんです。誰もが送っているような人生です。そう生きることは私の権利です。電気や水があり、旅行したりする自由があり、他の人と同じように生きることです。だから私はガザを出て、ほんとうの人生の意味を知りたいんです」

 タイールも俳優への夢を実現するために、ガザを出ることを夢見ている。
 「外に出てチャンスを見つけ、そこで身を立て戻ってくればいいのです。問題ありません。アメリカ人やエジプト人など世界中の人が国外に出て祖国に戻ってくるように国境が開いたら私は5〜10年は外に出て最後は戻ってきます。私にとって人生で一番大切なのは、この夢をかなえることです。しかしガザでは難しいことです。私の夢は俳優になることです」
 「この世で最悪なことは、こんな感じでテレビを見ていて、ある俳優の演技を見ながら、こう思うことです。『ああ自分ならもっとうまくできるのに』。だけど自分はどうか。彼の代わりはできない。外に出て、彼よりうまく演じることはできない。私はずっとここを動けないからです。だから私はチャンスを待っています。国境が開かれて外に出るチャンスです。目的は外で挑戦することです」
 「俳優業に挑戦し、かなえたい夢に挑戦します。働いてみたいんです。自分の考えが本当に正しいかどうか知りたいんです。もし外に出て成功すれば、私の考えは正しかったと言えます。目標を達成できます。もし失敗しても、私は満足します。挑戦し、チャンスを得たのですから。ガザでの一番の問題は、チャンスがないことです。一番重要なことは、外に出ればチャンスがあるということです」

 ガザ脱出を願っても、実現はたやすくない。その八方塞りの状況のなかで、若者たちは何を支えに生きていこうとしているのか。
 モハマドは言う。
 「毎日絶望感に襲われます。でも自殺なんて全く考えません。なぜなら、毎日陽が昇るたびに希望が芽生えてきます。毎日、新しい希望を生み出そうとしています。そうすれば人生はよりいいものになり、希望が実現し、仕事もみつかります。ほんとうにどこでもいつでも、私は絶望しています。自分はどこへ行くんだ? 進むべき道が見えない。他の人も同じで、絶望感を抱いています。それでも一縷の希望を見いだそうとしています。生きられるように自分の両足で立てるように辛抱できるように」

 タイールもまた“希望”を模索する。
 「この状況が困難で、閉ざされていると感じます。でも希望を持ち続けるべきです。弱い希望ですが。いつか状況はよくなるし、チャンスは来る。この世に意味もなく生まれてきた人なんていませんよ。たとえ一生何もせず終えた人がいたとしても目的はあるはずです。彼がそれを自覚していなくても、生まれてきた意味はあるはずです。どうやって希望を見いだしているかって? 私たちはいつもガザのことを『革命の源』『変化の源』と言っています。もしかしたらある日革命が起こって、あなたの人生が完全に変わるかもしれない。ガザの外でもありうることですが、ガザこそそういう場所なのです。私はガザで暮らしていて、毎年毎日、次の日には解決が実現するかも知れないと思っています」
 「希望はどこからくるのかって? 希望はいつでもあります。希望が死んだら、人は死にます。どんなに絶望しても、希望が少しあれば生きていけるのです」

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