Webコラム

日々の雑感 356:
2016年秋・パレスチナの現場から

2016年11月11日(金)


(写真:パレスチナ人の村に隣接して建設されたユダヤ人入植地[南ヘブロン地区]2016年10月・土井撮影)

 私は今、このコラムをヨルダン川西岸最大の街ヘブロンで書いている。この地域の取材を開始して、もう3週間が過ぎた。
 このヨルダン川西岸、ガザ地区、そして東エルサレムが1967年6月にイスラエルによって占領されて、来年でちょうど50年になる。
 シリア、イラク情勢の陰に隠れて、最近パレスチナの現状はほとんど伝えられなくなった。今、“占領”はどうなっているのか。占領下の人びとは今、どういう状況の中で、何を思い、どう生きているのかを、30年以上にわたって断続的に現地を取材してきたジャーナリストとして、私は今、改めて取材し伝えなければと思った。
 長年、“パレスチナ”を追ってきたはずの私が、これまできちんと取材し伝えることができないでいた“死角”があった。それは1993年のオスロ合意で「C地区」、つまり行政もセキュリティー(安全保障)の面でもイスラエルが完全に権限を握る、今なお文字通りイスラエルの“占領下”にある地域の取材だった。しかもそれはヨルダン川西岸の60%にも及ぶ広大な地域である。
 1993年9月、ホワイトハウスでのオスロ合意の調印式で、イスラエルのラビン首相とアラファトPLO議長(いずれも当時)が握手をしたとき、日本の多くの大手メディアや一部の中東研究者たちは「これでパレスチナ問題は解決に向かう」と喧伝した。しかしあれから23年が過ぎた今、それが全くの幻想であったことをヨルダン川西岸やガザ地区、そして東エルサレムの現状が示している。ヨルダン渓谷(C地区)のある農民は私に、「あのオスロ合意で、私たちの生活はさらに悪化した。あの合意は、“占領”の合法化だった」と語った。「C地区」を取材して回ると、その言葉が現状を見事に言い当てていることがわかる。
 しかし日本に限らず国際社会は今なお、「オスロ合意はパレスチナ問題の解決策として機能しているし、パレスチナとイスラエルの2国家案は唯一の問題解決への道である」と信じている。イスラエルの入植地や軍事地区の拡張によって、ヨルダン川西岸地区にはもう「パレスチナ国家」の基盤となるべき土地も水資源を奪い尽くされようとしているのにだ。それは「オスロ合意」から20年以上を経た占領地の現状を、十分に伝えることができなかった私たちジャーナリストたちの責任であり、現地の実態も知らずに得々と「空論」「理想論」を語る一部の中東専門家たちの責任である。
 私がいま滞在しているヨルダン川西岸最大の都市・ヘブロン市では、20万人のパレスチナ人市民のど真ん中に800人程度のユダヤ人入植者たちが暮らしている。その入植者たちの「安全を守るために」イスラエル軍は周辺地区を封鎖し、多くのパレスチナ人が住居や商店を追われた。その数は1800を超える。残った住民たちも多くの検問所によって移動の自由を奪われ、狂暴な極右の入植者たちの脅迫・暴行にさらされる。しかし現場に展開するイスラエル軍兵士は入植者は守っても、パレスチナ人は守らない。
 また南ヘブロン地域(C地区)では、パレスチナ人住民たちが暮らす多くの地域がイスラエルによって「軍事閉鎖地区」に指定され、立ち退きを命じられている。そこでは家族の増加による住居の拡張も、井戸を掘ることも、電気を引くことも「違法」であり、あえて強行すれば「違法建設物」として破壊される。そこが自分の土地の上であってもだ。イスラエル当局の狙いは明らかだ。住民を水道も電気もなく、狭い住居に押し込め、不自由で困難な生活を強いることで、耐えられなくなった住民に自らの意志でその土地を離れさせること、つまり“間接的な追放”である。そしてその「空き地」に新たなユダヤ人入植地が次々と建設されるのである。
 そのようにして「C地区」の土地は日々侵蝕され、「パレスチナ国家」の基盤は失われていく。これが占領から50年、オスロ合意から23年を経たヨルダン川西岸の現状である。
 このようなイスラエルによる“占領”“パレスチナ人の人権侵害”の現実をよそに、いま日本政府はそのイスラエルとの「経済協力」の強化を急いでいる。ガザ地区の住民にとっては数多くの犠牲者を生んだ「殺人兵器」である「ドローン」の「技術開発協力」をも進めようとしている。
 今の安倍政権が “人権”“道義”“人間の尊厳”を重視する“政治哲学”とは無縁の、「経済発展」を最優先とする政策を推し進めることには私は驚かない。それはあの原発事故に対する政策からも思い知らされていることだからだ。事故から6年近くなっても10万人近い住民が故郷を失い避難生活を余儀なくされ、また事故収拾の目途もまったく立たないフクシマの現実にも関わらず、国内では原発の再稼働を急ぎ、海外には原発輸出をもくろむなど、ひたすら経済界の“忠犬”であろうとする安倍政権の体質から、対イスラエル政策でも「経済関係」にしか目を向けない姿勢は十分予想はつく。
 ただ私が衝撃を受けるのは、そのような政府の動きに違和感や抵抗感も抱かず、その政策をすんなり受け入れ看過している大手メディアや一般市民の無関心さである。メディアや市民の間から、「ちょっと待て。パレスチナ人をああいう状況に置いたまま、その加害国であるイスラエルとの『経済協力の強化』だけに目を向けていていいのか?」という声がもう少し上がってもいいのではないのか。
 長年にわたって、イスラエルの“占領”によってパレスチナ人の人権や尊厳を奪い続けられている現場の状況を伝え続けてきた私たちの仕事は、いったい何だったのか。もちろん、私たちフリージャーナリストたちの仕事が世論を変えられるほどの影響力があると思い上がるほど、日本のジャーナリズムの現実を知らないわけではない。それでも改めて自分たちの“無力さ”を思い知らされ、“敗北感”に打ちひしがれるのだ。
 しかし「報道の中立」を盾に、また在日イスラエル大使館からの批判攻撃を恐れて、抑圧される弱者の側の現状を大手メディアがきちんと伝えないのなら、たとえ「偏っている」と批判されようとも、社会にほとんど影響力のない小さく非力な“伝え手”であっても、現地のその小さな叫び声を伝え続けようと思う。それが私にとって“ジャーナリストであること”なのだから。

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