Webコラム

日々の雑感 369:
映画『アミラ・ハス』が出来るまで(2)

2018年10月27日(土)13:30~18:00
東京大学(本郷)
最新ドキュメンタリー映画『アミラ・ハス ―イスラエル人記者が語る“占領”―』上映

2018年10月11日(木)

共同プロジェクトの挫折

 アミラ・ハス招聘の実現には、何よりそのための資金が必要だった。私は中東関係のある研究者団体と共同企画にすることで資金の問題を解決できないかと考えた。さっそくその研究者団体の責任者に「アミラ・ハス氏を日本に招聘して『占領50年・シンポジウム』をいっしょにやりませんか」と話をもちかけた。すると、その責任者は私の提案に賛同してくれた。団体の承諾も得られ、話はとんとん拍子に進んだ。
 実現の可能性が見えてきた段階になって、私はアミラに電話し、「実現できそうだから、時間を空けてほしい」と伝えた。ほんとうに日本講演が実現すると本気で信じていなかったのだろう。彼女は驚き、「なんとかスケジュールを調整してみる」と慌てた様子だった。
 しかし事はすんなりとは進まなかった。研究者団体は、シンポジウムのためにはイスラエル人のアミラだけではなく、パレスチナ側からも人を呼ばなければならないという。そのパレスチナ人の人選をめぐって、アミラや私の意見と研究者団体の主張との折り合いがつかず、話がこじれた。結局、研究者団体側は「アミラ・ハス招聘」プロジェクトは白紙に戻したいと私に伝えてきた。

資金集め

 当てにしていた招聘の資金源を失った私は、まったく困惑してしまった。多忙なアミラに「来日スケジュールを調整してくれ」と頼んでおきながら、今さら「実現できない」とも言えない。しかし伝えないと、そのために日程を調整してくれているアミラにもっと迷惑をかけてしまう。私は再びアミラに電話をし、事情を正直に説明した。すると、アミラは「仕方がないよ。大丈夫よ。気にしなくていいわよ」と言う。それは「どうせ、あまり当てにはしていなかったから」と言われているようで、悔しかった。また私自身がアミラの信頼を失ってしまうことが何より悲しかった。それから私はしばらく夜もよく眠れず、食欲も失い、うつ状態が続いた。
 そんな落ち込んだ私を見かねたのだろう。連れ合いが私に言った。
 「これは大切な企画だから、自腹切ってでもやろうよ。足りなかったら借金すればいいい」
 その言葉に私は我に返った。「そうだ、ます支援を呼びかけ、資金が集まらなければ、最終的には自力でやればいいんだ。借金してもやるだけの価値はあるんだ」と。
 「占領50年」という機会を逸してしまうと、アミラ・ハスという「パレスチナ占領報道における世界の第一人者」を日本に招聘するチャンスはもう二度とないだろう。つまり日本社会に、パレスチナ占領地の実態と問題の根源を伝える最高の機会をみすみす逃してしまうことになる。それに私自身も、この超一級のジャーナリストであるアミラ・ハスから、 “パレスチナ”をライフワークとする一ジャーナリストとして学べる機会を失ってしまう。自力ででもやるしかない――そう腹を括ると、スッと気持ちが楽になった。
 まず、いろいろな手段で一般市民から支援金を集め、それでも足りない分は自分で賄う――そういう基本方針が決まると、「土井敏邦・パレスチナ記録の会」の主要メンバーたちに協力を要請した。まず鈴木啓之さんがクラウドファンディング立ち上げてくれた。一方、私と連れ合いは、これまで私のパレスチナ映画制作を支援してくれた多くの方々一人ひとりに、「アミラ・ハス招聘の意義」を説明しその支援をお願いする手紙を送った。
 すぐに反応が返ってきた。「アミラ・ハス日本招聘」に賛同する人たちや団体からの次々と支援が集まり始めたのだ。大竹財団からは50万円の助成金が出た。クラウドファンディングも目標の100万円を超えた。個人の支援者の中には私のプロジェクトの趣旨に賛同し100万円を寄付した人もいた。 一方、「年金生活なので余裕がありません」と1000円を振り込んだ人もいた。私はその気持ちが嬉しくて、胸が熱くなった。「こんな人たちの支援を受けながら、絶対に失敗できない!」と私は自分に言い聞かせた。このプロジェクトを達成するまで、私個人の仕事は一切棚上げすると決めた。

大胆な計画

 「アミラ・ハス日本招聘」のために十分な資金が調達できる見通しがたち、私は思い切った計画を立てた。アミラ・ハスにパレスチナ・イスラエル情勢についての講演を、日本各地で5回、記者会見を2回こなしてもらう。それにせっかく世界的なジャーナリストを呼ぶのだから、「ジャーナリズム」に特化したシンポジウムを東京で開きたい。

 さらにパレスチナ問題を日本に引き寄せるために、アミラに「日本の中の“パレスチナ”」を探る旅をしてもらう。つまり沖縄をアミラ自身に取材してもらい、その“接点”を見出してもらおうと考えた。そのために私自身が沖縄に行き、アミラに取材してもらう人物と場所を探す予備取材も必要だった。
 広島はホロコーストの生存者を両親に持つアミラにどうしても見てほしい場所だった。また「イスラエルの核問題」を想起してもらうために、福島の原発事故の現場にも案内したかった。それらの盛沢山のスケジュールをこなすためには、最低1ヵ月の滞在は必要だった。
 これはあくまで結果論だが、今考えると、研究者団体との「共同プロジェクト」は破たんしてよかったと思う。もし研究者団体の資金でアミラを招聘していたら、1、2回の「パレスチナ人との対話シンポジウム」で終わってしまい、せっかくアミラを招聘しても彼女が持っているものを十分に引き出す機会も時間もなかったのではないかと考えるからだ。アミラの過密なスケジュールを考えると、将来、アミラを再び日本に招聘することは無理だろう。そのたった一度きりのチャンスを、アミラも私も“消化不良”のままで十分生かせなかったら、悔やんでも悔やみ切れなかったはずだ。
 また「中東研究」という枠の中での企画では、「日本の中の“パレスチナ”」を探すための沖縄取材をしてもらったり、福島原発事故の現場に入りイスラエルの核問題を想起してもらったり、さらに「ジャーナリズム」について議論する場も作れなかっただろう。
 しかし一方、私が当初、アミラの日本招聘を思いつくとき、研究者団体からの資金への期待がなかったら、日本招聘をアミラに提案する勇気もなかったろう。そういう意味でも、当初、研究者団体が企画に賛同してくれたことに深く感謝している。(続く)

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