Webコラム

日々の雑感 374:
映画『アミラ・ハス』が出来るまで(7)

2018年10月27日(土)13:30~18:00
東京大学(本郷)
最新ドキュメンタリー映画『アミラ・ハス ―イスラエル人記者が語る“占領”―』上映

2018年10月24日(木)


(写真:2017年9月10日 佐喜眞美術館にて)

日本の中の“パレスチナ”

 アミラ・ハスを日本に招聘した第一の目的は、パレスチナの占領地の状況を熟知した彼女に、“占領”の実態と構造を日本人に伝えてもらうことだった。
 そしてもう一つの目的は、アミラに「日本の中の“パレスチナ”」を取材してもらい、その類似点を指摘してもらうことで、“パレスチナ”を日本社会に近づけたいと願った。
 そのための場所として選んだのが沖縄だった。私自身が過去に取材して、沖縄こそ「日本の中の“パレスチナ”」だと実感したからだ。

 10年ほど前、私は沖縄で一冊の写真集に出会って強い衝撃を受けた。それは伊江島の農民指導者、阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)が撮影した伊江島での農民の闘いを記録した写真集である。
 沖縄では占領直後から米軍による「銃とブルドーザー」による基地建設のために、農民の土地が次々と強制的に奪われていった。伊江島では米軍のその土地没収に農民たちが非暴力で抵抗した。その指導者が阿波根昌鴻だった。阿波根は当時、高価だったカメラを自費で購入し、農民たちの土地を守る非暴力の闘いをそのカメラで記録した。それが一冊の写真集となった。私はその写真集を見て、「これは“パレスチナ”だ!」と思った。占領地でユダヤ人入植地やそれらを結ぶ道路の建設、分離壁の建設などによって次々と土地を奪われるパレスチナ人と構造はまったく同じだと実感したのである。
 私はパレスチナ問題を「遠い中東の出来事」として捉えている限り、“パレスチナ”は日本とは無縁の「他人事」でしかないと私は実感してきた。
 しかし“パレスチナ”はもっと普遍的なテーマを内在しているはずだ。それを日本国内の問題の中に見出すことで、“パレスチナ”を日本社会と日本人に引き寄せられないか、と私は考えていた。阿波根昌鴻の写真集に出会ったのは、そんな時だった。

アミラ・ハスの沖縄取材

 アミラ・ハスを日本に招聘するとき、彼女なら、沖縄で「日本の中の“パレスチナ”」を明確に見出し私たちに提示してくれるのではないかと考えた。そのために、アミラによる4日間の沖縄取材を計画した。

 私は来日前のアミラに、日本で沖縄について対談する予定の映画監督ジャン・ユンカーマンの映画「沖縄 うりずんの雨」の英語版を送り、来日前に観ておいてほしいと依頼した。アミラ自身も、「オキナワ」に関する本をかつて読んだことがあり、米軍基地の存在も知っていた。
 アミラの取材対象として私が選んだのは、大方が米軍とその基地が沖縄に存在することに反対する人たちだった。アミラは「それでは一方的過ぎる。米軍基地に賛成する人にも取材しなければ」と言い出した。そこで急きょ、私たちは飯田昭弘(前辺野古商工会議所代表)インタビューをアレンジした。しかし私がアミラに取材して欲しかったのは、「賛否両論を入れたバランスの取れた沖縄の客観的な現状報告」ではなかった。私が求めたのは、“パレスチナ”と“オキナワ”の接点である。それをアミラが知るには沖縄で米軍の支配と“闘っている人たち”の声を聞くことだと思ったのである。

沖縄とパレスチナの類似点

 沖縄取材を終えたアミラは、「パレスチナとは違う」と言った。アミラが指摘したのは、「米軍による沖縄の『占領』は、政府が基地存続のために財政支援し、政府が望んでいる『占領』です。パレスチナでは、たとえ為政者たちであっても、決して占領を望んではいません」とその決定的な違いを指摘した。
 しかしそれでも、9月18日、東京大学でのシンポジウム「日本とパレスチナ」の中でアミラとジャン・ユンカーマンは対談で三つの類似点を私たちに提示した。
 一つ目は、“惨事の日常化”である。アミラは、「パレスチナ人にとって『ナクバ』(1948年のパレスチナ人の“難民化”/大惨事)は終わっておらず、1948年の大惨事は続いる」と語った。そして人々はその「トラウマ後」を生き続けているという。ガザでは子どもも大人も、直近の戦争から心理的に回復する間もなく、新しい戦争、新しい攻撃にさらされる続け、常に新しいトラウマを抱えるからである。
 ジャン・ユンカーマンは同じ現象が沖縄で起こっていると指摘した。
 沖縄戦の後に米軍に占領されて、絶えずジェット機や軍用ヘリが沖縄の上空を飛び回る。さらに米兵による殺人、犯罪、性暴力が続く。つまり沖縄の人びとにとって「戦争が終わっておらず、まだ続いている。それによって、戦争から受けた傷が治らないまま、ずっと引き続いている」というのだ。ジャンはその沖縄の現実を自作映画の英語タイトル「The Afterburn」(火傷の痕)という言葉に込めた。
 二つ目の共通点をアミラは、「デラックス占領」と表現した。彼女によれば、イスラエルは「オスロ合意」以降にとても“贅沢な占領”を作り上げることに成功した。つまり本来、占領軍が支払うべき“占領のコスト”を、国際社会に「援助」というかたちで支払わせるようになり、「被占領住民に対する義務」を無視できるようになったというのだ。
 ジャンは、それはまったく沖縄の「本土復帰」(1972年)後の日本政府による「思いやり予算」と同じだという。「本土復帰」によって、今まで米軍が払わなければならなかった基地維持の経費を日本政府が全部払うことで、米軍の沖縄駐留がタダ同然になったからだ。
 三つ目は、ジャンが指摘した“支配権力の二重構造”である。パレスチナでは、「オスロ合意」によって、「パレスチナ自治政府」ができ、パレスチナ人は直接イスラエル軍に支配されるのではなくて、「パレスチナ自治政府」を通してイスラエルに支配されるようになった。
 それは沖縄の「本土復帰」前後の沖縄の支配構造と類似しているとジャンは言う。
 1972年までは沖縄を支配するのは米軍だった。だから、沖縄の住民が占領に反対して、米軍に直接、抗議行動が起こせた。しかし復帰後は、そういう抗議を直接、米軍にはできず、日本政府に対し抗議しなければならなくなった。それによって、住民の抗議に応えるかどうかは日本政府が決めることになってしまったのだ。つまり沖縄でもパレスチナと同様に、権力が“二重構造”になったというのである。

2018年10月27日(土)13:30~18:00
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最新ドキュメンタリー映画『アミラ・ハス ―イスラエル人記者が語る“占領”―』上映

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