映画『沈黙を破る』レポート
土井敏邦 パレスチナ記録の会

映画『沈黙を破る』ゲスト・トーク第3回
古居みずえ(フリー・ジャーナリスト)
 with 山上徹二郎(『沈黙を破る』プロデューサー)

2009年5月9日(土) @ポレポレ東中野

今回のトークは、フリー・ジャーナリストを目指す人にはとてもいいお話ですよ(今時、そういう若者はいなくなりつつあるらしいのですが……)。

古居みずえさんは、写真家であり、ビデオジャーナリストであり、映画監督でもあります。30代後半でカメラを手にし、40歳になってパレスチナへ通い始めました。それまで会社員だった古居さん。トークの時、ご自分ではパレスチナと関わるようになった動機について「土井(敏邦)さんや広河(隆一)さんみたいに、パレスチナに関わるようになった確固としたプロセスってないんです」とおっしゃっていましたが、古居さんには壮絶なストーリーがあるんですよ。

1988年7月、ひとりの女性ジャーナリストが戦火のパレスチナで取材を始めた。古居みずえ・当時40歳。37歳の時、原因不明の関節リュウマチに襲われ、1ヶ月後には歩行器なしで歩けなくなった。真剣に人生に向かい合っていなかった自分に悩んだ。「もう、だめだ……」諦めかけた時、投薬していた薬が奇跡的に効いた。「一度きりの人生。何かを表現したい」それまでのOL生活から女性ジャーナリストとして人生を大きくシフトした」(『ガーダ パレスチナの詩』パンフレットより抜粋)

こんな感動の物語があるのに、大袈裟に自分を語ることのない古居みずえさん。これが古居さんなんです。「40歳になられてテーマを見つけて、ずっと(20年も)続けていらっしゃる。尊敬します!」と山上さんが古居さんに言いました。Qもそう思います。

1.古居みずえとガーダ

ガーダ・ポスター

ミニ・知識 『ガーダ パレスチナの詩』とは……

古居みずえ、第一回監督映画。
ガーダというパレスチナ女性の生き様を通して、いまだに残る古い習慣を浮かび上がらせるともに、パレスチナの原点を新しい世代につないでいこうと決心する一人の女性の成長を描いた作品。
(『ガーダ パレスチナの詩』パンフレットより抜粋)

DVD発売中(Maxam)

「パレスチナに行き始めたのは1988年です。スチールカメラをやってます。1993年からビデオも撮るようになりました。

1988年は、第一次インティファーダの頃。イスラエルの占領に反対する抵抗運動の始まりです。その頃生まれた人が、今は大きくなりましたね。世代がどんどん変わっていく。2000年の第二次インティファーダの頃の映像が『沈黙を破る』に出てきますが、そこからも時は経っていて、また次の世代になっている。時の移り変わりをすごく感じます。

病気がきっかけでカメラを手にするようになりました。たまたま、広河隆一さんとその周りのNGOが主催する写真展に行き、初めてパレスチナの人々の顔を見たんですね。すごく惹かれて、パレスチナに、是非、行きたいと思ったんです」

これが、30代後半。

「フツーの方は、もう、落ち着いて仕事をしているような時期に私はパレスチナに通い始めて、みなさん、リタイアする時期になってるんだけど、私はいつまでたってもやめられない。ハハハハ」

古居さん、小柄で華奢な雰囲気なのですが、なんでも明るく笑いに変えちゃうのはすごい技。土井敏邦は古居さんとの付き合いも長い(ガザに行くと必ず現れる古居さん。どれだけガザに居るんだろう……とよく心配してます)ので、「不思議なんだよね、あの人。すごく大変だろうに、飄々としてる。人間が崩れない」とずっと古居さんを見てきた印象をこのように語っています。ジャーナリスト仲間の集まりには必ずお菓子をみんなのために持ってきてくれるそうです(ちなみに、土井敏邦は食べ物だけは誰かにあげる発想のない人なので、気前よく食べ物を人に振る舞う姿を見るだけでも「すごい!」とかなり感心するようです)。

「スチールカメラでは、女性や子どもを中心に撮ってました。撮りたいテーマですから。

映像は、アジアプレスに入ってから始めました。ビデオ中心です。映像をやり始めた理由は、パレスチナの人って、政治的には非常に厳しいところがあるのですが、歌や踊りがあって、さまざまな面があるんです。ビデオは音も入る。全体的なものを伝えるには映像がいいと思ったんです。

そこで、通訳が必要となり出会ったのがガーダさんです。出会ったころは23歳だった。彼女が結婚するというあたりから、彼女の考え方に関心を持つようになりました。ガザの普通の女性達と違うんですね。「とんでる女性」って言うか、パレスチナにこういう女性がいるんだなって、新鮮でした。

彼女の結婚、出産、子育てを追っかける中で、彼女を通してのパレスチナの社会、当時は第2次インティファーダも起こり、彼女を取り巻く政治情勢も描きたいと思いました。ガーダは、始めは政治的なこととは離れた人でしたが、従弟(いとこ)がイスラエル軍に殺されたりする中でガーダの変化が起こってきました。自分はパレスチナ人としてどう、生きていけばよいのか。『ガーダ パレスチナの詩』は、ガーダがパレスチナ人のアイデンティティを探る姿を描くドキュメンタリーになりました」

2.「フリーを生きる」とは……お金と自由のモンダイ

山上:「私たちがドキュメンタリーを撮る時は、企画があって、予算を立てて、カメラマンやスタッフを揃え、そして監督さん、みたいに共同でつくっていくのですが、広河さんも古居さんも、土井さんも、おひとりでやってますよね。はじめに企画があったわけでもなく、自分の力で撮りためていく。それを使って映画をつくる。もちろん、伝えたいモチベーションがとても強いんだと思うのですが、お金の問題があるでしょう。そのあたり、聞かせてください」

古居:「フリーって、自分の好きなところにいけるし、好きなテーマをずっとやっていけるんです。会社に入ってると、そうはいかない。言われた所に行かなきゃいけない。経済的には、明日は生きられるんだろうか……ってこともあるけれど、考え方の問題かなぁ。まずもって「(この仕事を)続けられればいい」と思ってるんです。お金は、自分のフィールドがあれば少しずつ回っていくかな。雑誌とか、新聞とか、テレビとか。なんとか切り盛りしてます。

『ガーダ』をつくる時は大変でしたね。全然お金がなかったから。アジアプレス(アジアプレス・インターナショナル:古居さんが所属するフリー・ジャーナリストのネットワーク・プロダクション)で機器を借りて、編集用の部屋も借りなくちゃいけなかったり。つくってる間は、他の仕事もできないから収入もないし。支援の会を立ち上げてくれる人がいて、支援の会のみなさまのカンパで追加取材やいろいろな必要経費を賄ったり。製作会社に前借もしたりしましたよ。一人の力だけではできなかったなぁ。

でも、映画にできてよかった。やはり、一番いい形は映画だと思う。テレビは、たくさんの人に見てはもらえるのだけれど、自分が見てもらいたいところが出せないことも多いんです。自分の思うままに取材をして、まとめられるのは映画です。映画館で観てもらった人と、こうして向かい合って話せたりもするし。伝えたいことを伝えられると思います」

山上:「映画は、大ヒットで3万人くらい。うまく人が入ってくれたな、という感じが1万人くらいです。テレビは、視聴率1%で100万世帯が見ていると言われているから、多くの人が知るという点ではテレビなんだけど。『映画館で映画として観ていただく』というのはテレビと全く違います。映画は、ある種の体験を伴うんです。物事を伝えるには、“なぜ”が大切。“モチーフ”が大事なんです。動機が映画の中にはある。テレビでは、“モチーフ”は邪魔になります。動機はいらないから、切られるんです。そして、テーマだけが残る。その方が情報としては伝わりやすい。情報を伝えるだけならテレビでいいんですが、物事を伝えるにはテーマだけでは伝わらないんですよね」

“モチーフ”、“動機”があること……。

ジェニンも、ファルージャも、ガザも、日本の取材でも「これを伝えずしておくものか!」と思いながら現場でカメラを回している、と土井敏邦は言います。撮っていて涙が出そうになることもしばしばあると。

古居さんや土井の取材の様子を聞いていると、「他人の人生の一部に入らせてもらって関わらせていただく仕事」なんだなぁ、と思いました。古居さんが、「私は、戦いの前線より生活に着眼していて、ず〜っと居ないと見えてこないものがあって」とご自身の取材の仕方について語っているところがあります。古居さん、ホントに「ず〜っと」ガザに居るんですよ。心配して電話すると、「今、おばあちゃんと豆、剥いてる」という返事。

土井敏邦は、パレスチナを「人生の学校」と表現する。古居みずえさんにとっては「人生の我が家」なのかな。

3.『沈黙を破る』と『ガーダ』

「私たちは、パレスチナ側に立つことが多いんです。被害者の取材が中心になる。加害者の取材って、私はしづらい。『沈黙を破る』は双方を取材してつくってあるでしょう。パンフレットの中にも書いてあるけれど、“双方は合わせ鏡だ”って。わたしにはなかなか出来ないことだなぁ、って思います。

それから、元兵士たちの言葉が鋭いですね。ユダの“怪物”という言葉。ドタンの“あなたの拳なのだ”という言葉。彼らの証言の間に、パレスチナの人々が侵攻の中で痛めつけられている姿が効果的に挟み込まれている。占領の前面に立つパレスチナの人々の言葉も強いです。

土井さんは、人々の証言をていねいに集めていく人。今回のガザ侵攻のときも、同時期にガザに入りましたが、彼はガザの被害者の証言を集め、イスラエル側にも行って侵攻についての反応や思いをインタビューしていた。私は、ガザに貼りついて、この侵攻による子どもの心の傷を追いかけました。どっちが良いということではなく、それぞれがそれぞれのやり方で伝え続ける大切さを感じました」

最後に、山上さんが、「『沈黙を破る』と『ガーダ パレスチナの詩』も“合わせ鏡”と言えますね」と言いました。『沈黙を破る』を観た人は『ガーダ』を観る。『ガーダ』を観た人は『沈黙を破る』を観る。すると、また、増幅された何かを受け取ることができそうです。

どうぞ、双方をご覧ください。

(文責「土井敏邦 パレスチナ記録の会」Q)

関連情報

次のレポートへ

ご意見、ご感想は以下のアドレスまでお願いします。

連絡先:doitoshikuni@mail.goo.ne.jp