Webコラム

日々の雑感 15
パレスチナ・2007年 春 1

2007年3月24日(土)
半年ぶりのエルサレム再訪

 昨日早朝、ほぼ半年ぶりにエルサレムの地を踏んだ。実はもっと早く戻ってくるはずだった。しかし1月中旬から編集を始めたパレスチナのドキュメンタリー映像・第二部「侵蝕─ユダヤ化されるパレスチナ─」の編集作業が思いのほか長引き、2ヵ月も要してしまったため、どうしても当初の予定通りに日本を発てなかった。
 第二部の粗編完成までパレスチナ再訪を待ったのは、粗編集の区切りをつけ、しばらく間を置くことで、自分の映像を少し引いて、冷めた目で見られるようになること、また全体をつなぎ終えて初めて足りない点、追加取材しなければならない箇所も見えてくる。さらに膨大な時間とエネルギーを必要とする第三部「自爆と侵攻─増幅する不信と憎しみ─」(仮題)の編集作業にかかる前に、狭い部屋にこもり続け過去の映像と閉塞した視野でしかパレスチナ情勢を見えなくなってしまっている自分を解き放つ必要があった。そのために、現地の空気に触れ、自分自身の身体と共にビジョンに新たな息吹を吹き込むためにも、どうしても現地を再訪しなければならなかったのである。

 日本を発つ前、イスラエル・パレスチナに関する2本のドキュメンタリー映像を見た。1つは、私自身、一度取材したことのある分離壁建設に反対し続けるビリーン村のドキュメンタリー、そしてもう1本は、イスラエルの占領を内部告発する元イスラエル兵たちのドキュメンタリーである。
 前者はイスラエル人ジャーナリスト・活動家がほぼ1年間をかけて、村人たちとイスラエル人や外国人活動家たちの建設反対運動を撮影し続けたドキュメンタリーである。私自身も同じ現場に立ち会い目撃したシーンが登場するが、イスラエル軍兵士との接近度はやはり同国人ならではのものだ。もしあれが外国人ジャーナリストなら、容赦なくカメラを収奪されるか逮捕されたに違いない。長い期間、定点観測の取材ができるのも、車で1,2時間の距離に住むイスラエル人だからできることだ。私たちが外国人は1,2ヵ月住み込むことはできても、1年ともなれば状況は違う。パレスチナ人がヘブライ語を理解できることも、村人たちとのコミュニケーションを容易にしている重要な要因だ。
 後者は、前者の作品とは比較にならないほど私には大きな衝撃だった。私自身が2年ほど関心を持ち続けてきたテーマと取材対象だったからだ。私自身が取材したことのある人物がどう描かれているかを見れば、その番組の深さの程度がわかる。見終わった直後の感想は、「完敗だ」の一言。しかも日本のプロダクションにやられたことが悔しかった。しかし、そのコーディネーターの名を見たとき、残念ながら、なるほどと納得せざるをえなかった。現地にもう40年近く住み、イスラエル社会を知り尽くしている井上文勝氏が動いていたのだ。英語が母国語のように堪能な青年たちがヘブライ語で答えているのも納得できた。彼らはヘブライ語を自由に使いこなす井上氏に向かって語っているのだ。
 「沈黙を破る」のグループの青年たちは海外のメディアにも、インタビューまでは応じる。しかしその私生活、証言収集の現場など活動の実態などを公表することはこれまでなかった。それをあそこまで撮らせたのは、なんと言っても井上氏の力だ。彼なしでは、この番組はありえない。だから、私は日本のプロダクションに負けたとは思わないが、井上さんに完敗したと思った。
 あの番組を超えるためには、まったく違った新しい切り口・視点、または今後の彼らの動きとイスラエル社会の反応と影響を伝えていくしかないだろう。

 前回、前々回のパレスチナ取材はガザ地区が主なターゲットだった。その大半はハンユニス市内の友人の家に下宿しながら、イスラム大学を卒業したばかりのラフエ{身の青年を通訳・コーディネターとして雇い、いつもいっしょに行動してきた。すでに外国人の誘拐事件も散発していたが、青年と乗り合いタクシーを使い、ガザ各地を取材して回っても、まったく身の危険を感じることもなかった。
 しかし数日、ガザ地区を取材して帰ってきた写真家、村田信一氏の話を聞くと、ガザ地区の情勢はこの半年の間に急激に悪化しているようだ。民家に寝泊りすることも危険、街を独りで歩き取材することも危険、乗り合いタクシーも危ない、信頼できる案内人を共に車をチャーターして行動するしかないというのだ。ホテル代は最低60ドル、車付コーディネイト料も値切りに値切って300シェーケル(約80ドル)だったが、ジャーナリスト相手の相場は150ドルから200ドルだという。村田氏の場合は、1日150ドルほどの取材費がかかったというのだ。これでは、以前のような長期取材は難しい。ガザ地区の各地で、ファタハ勢力とハマス勢力の衝突まだ続いていて、ガザ市内各地には両派の検問所が点在し、通行人の中に“敵”がいないかチェックしているという。一方、住民の貧困状態はさらに悪化し、人々の表情は暗く、精神的な余裕も失っていると村田氏は印象を語る。
 一方、彼の説明によれば、誘拐事件はこのハマスとファタハの抗争とは無関係で、ガザ地区でヤクザの一家のようなドゥグムシュ家というファミリーが、封鎖と状況の悪化でこれまでのようにさまざま分野での利権をむさぼることができなくなったために、誘拐という手段で、捕まった欧米人の所属する組織や政府から多額の身代金を得ようとしているらしい。昨年夏に誘拐されたイスラエル兵を誘拐し隔離しているのもこのファミリーだいうのは公然の秘密となっているというのだ。
 さらに村田氏が強調したのが、エレズ検問所のチェックの厳しさだ。検問所の建物が完成し、帰りに徹底的に持ち物などが検査されるというのだ。金属類、書類、カメラ、電子器具類などに分類されてベルココンベアで運ばれ、持ち主の見えない場所でチェックされるというのだ。パソコンもふたを開けて運ばれる。そのメモリーの内容が調べられているかどうかも確認ができない。また身体検査も上の服を脱がされ裸にされたという。回転式のX線での検査も、何度も姿勢を変えさせられ、屈辱的な格好をさせられ、上のブースからそれを見て兵士たちが笑っているというのだ。文字通り「行きはよいよい、帰りは怖い」である。
 そういう話を聞かされると、ますますガザ地区へ向かう気力を失ってしまう。

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