Webコラム

日々の雑感 19
パレスチナ・2007年 春 6

2007年3月29日(木)
「イスラエル人」の妻を持つパレスチナ人

 昨日の明け方、イスラエル軍の特殊部隊がジェニンに侵入し、「指名手配」されていたアルアクサ殉教旅団の青年を暗殺した。朝、キャンプの広場でその葬儀・追悼集会が開かれ、100人ほどの人が集まった。そして今朝も独りの青年がイスラエル軍に殺害された。連日、1人また1人と殺されていく。しかしそれはもう新聞のニュースにもならない。5年前のような大侵攻を行えば、国際世論は激しく非難する。しかし櫛の歯が欠けるように1、2人ずつ殺害し、その殺害が日常化してしまうと、もう国際社会は目もくれない。当の住民も、武装勢力の青年が殺されるたびに追悼のデモはやるが、商店はいつも通り開店し、子どもたちもいつも通り学校へ通う。イスラエル軍の住民殺害はもう難民キャンプの住民の“日常”として組み込まれてしまっている。

 私の通訳・コーディネーター、イマードは40歳。奥さんマナール(33歳)はジェニンから数キロほどしか離れていないヨルダン川西岸との境界、イスラエル内の村サーレムで生まれ育ったパレスチナ人、つまり“アラブ系イスラエル人”である。親戚の紹介で11年前に結婚した。今は10歳の長男を頭に、4歳になる末娘まで5人の子どもがいる。いつもは妻と子どもたちは妻の実家のあるイスラエル内のサーレム村で過ごし、週末の木曜日に奥さんが運転する車で子どもたちは父親と会うためにジェニン難民キャンプまでやってくる。直行すれば十数分しかかからない距離だが、分離壁と検問所のために最短の道路は使えず、トルカレム付近の検問所まで遠回りしてやっとイスラエルとヨルダン川西岸の「境界」を通過できる。そのために5時間ほどの時間がかかってしまう。
 “家族の統合”を求めて、イマードは自分が妻や子どもたちと暮せるようにイスラエル内のサーレム村に移住する許可をイスラエル当局に申請した。しかし返答は「ノー」。「セキュリティーのため」だった。奥さんと子どもたちがジェニン難民キャンプに移り住むことはできないわけではない。しかしそうなれば、「イスラエル人」として健康保険や教育援助などの社会保障、そしてヨルダン川西岸とは段違いに安定した将来を妻と子どもたちは失ってしまう。イマードは、子どもたちにとって、混沌とした現在のヨルダン川西岸で育てるより、イスラエル内の方が彼らの将来にとって望ましいと考えるから、妻と子どもたちを敢えてジェニンに呼び寄せようとは思わない。
 だが最近は、イスラエルで生まれたパレスチナ人の子どもたちも自動的に“イスラエル市民”となれるわけではない。イスラエルでは母親がイスラエル市民なら、父親が何人であっても“イスラエル国籍”を自動的に取得できた。しかし最近、法律が改められ、父親がヨルダン川西岸やガザ地区やパレスチナ人の場合、その子どもにはイスラエル国籍は与えられず、父親の「国籍」になるというのだ。末娘はその法律が施行される1週間ほど前に生まれたから、まだ自動的にイスラエル国籍を取得できるはずだった。しかし役所は娘の「出生証明書」の発行を拒んだ。それをやっと手にしたのは、母親のマナールが裁判所に訴えた後のことだった。それほどパレスチナ人の父親を持つイスラエル内のアラブ人に「イスラエル国籍」を与えることが制限されるようになった。
 なぜイマードは“家族の統合”を拒否され、パレスチナ人の父親ではイスラエル国籍が与えられないのか。それは明らかにイスラエル国内での “パレスチナ・アラブ人”の人口比率の増加を抑えるためだ。現在、人口の20%を占めるアラブ人がユダヤ人よりもはるかに高い出生率で人口を急速に増やしていけば、近い将来、アラブ人の人口比率がユダヤ人のそれを追い越してしまう。ユダヤ人国家であることが大前提であるイスラエルにとって、最も恐れる事態である。そのためにはイスラエル内のアラブ人の数を減少させるあらゆる手段をとる必要があるのだ。

 妻を通してイスラエルのパレスチナ人の状況を熟知するイマードに、イスラエル内のパレスチナ人とヨルダン川西岸のパレスチナ人との“違い”を訊いた。
 イマードは、真っ先に“価値観の違い”を挙げた。イスラエルのパレスチナ人が最も価値を置くのは、“金”、つまり“財力”である。第一市民が欧米系のユダヤ人(アスケナージ)、第二市民は、アラブ諸国から移住してきたユダヤ人(ミズラヒーム)その下の第三市民と位置に置かれるアラブ系イスラエル人、居住区への予算、個人の就職などさまざまな差別の中で生きる彼らにとって、頼りになるのは“金と物”なのだ。一方、ヨルダン川西岸のパレスチナ人が最優先に置くのは子どもの教育だとイマードは言う。だから西岸では家庭は貧しくても、子どもたちを何とか大学へ通わせようとする。しかしエルサレムのある民間機関の統計によれば、イスラエルのパレスチナ人は高校を卒業できる子どもは36%に過ぎず、大半が卒業前にドロップアウトしてしまうという。大学などアカデミックな世界で生きるパレスチナ人は3%にすぎないというのだ。必然的に、イスラエル内のパレスチナ人は建設業や工場労働者などブルーカラーの職業しか残されていない。当然、賃金も低く労働条件も厳しい。同じ統計によれば、貧困ライン以下のアラブ系イスラエル人(パレスチナ人)は56%、ベルシェバ周辺の地方でくらすベドゥイン系のアラブ人では81%にも達するという。
 「あらゆる市民が平等の機会と自由を享受できる民主主義国家」というイスラエル政府の宣伝とは、まったく違う現実がここにある。

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