Webコラム

日々の雑感 52
パレスチナ・2007年 秋 6

2007年10月25日(木)
治療を求めてエルサレムに来たガザの患者たち

 昨日の『朝日新聞』朝刊で川上泰徳編集委員が、ガザ地区の深刻な医療状態を報告していた。5月には683件の手術を行なってきたガザ最大のシェファ病院で、現在、麻酔不足のために手術ができない状態に陥っているという。また世界保健機構(WHO)が定める必須医薬品のモデルリストのうち最も重要な61品目は品切れ、他の125品目も2、3ヵ月の在庫しかないと川上氏は報告している。
 これまでガザ地区で治療の難しい癌患者などは、ラファ検問所を通過してエジプトに治療に出るか、エレズ検問所を通り、東エルサレムやイスラエルの病院で治療を受けてきた。しかしそのラファ検問所は6月以来封鎖されたままで、エレズ検問所も、川上氏の報告によれば、7月には1日40人ほどが通過を許可されていたが、9月には5人以下に激減しているというのである。

 その稀少なチャンスをつかんでガザから東エルサレムのマカッセ病院に治療にやってきた患者がいると聞いて、その病院を訪ねた。病院訪問をアレンジしてくれた「パレスチナ子どものキャンペーン」の石原聡美さん、そしてその理事であり医療NGO「シェア」代表理事の本田徹さんがいっしょだった。

 ガザ北部ベイトハヌーンの14歳の少年、ディア・アブオケルは、4日前にこの病院にやってきた。目鼻立ちが整った、素朴でもの静かな少年だった。右目は閉じたままである。
 1ヵ月半前に激しい頭痛と吐き気に襲われ、10日後には右側に眼瞼下垂(がんけんかすい:瞼が閉じること)の症状が出てきた。ガザ市内の病院でCTスキャンを撮影すると、脳の一部に石灰化が発見され、脳腫瘍の疑いがあった。ガザでの治療は困難だった。エルサレムにあるこの病院に来るために、ガザ地区を出る申請をしたが、なかかな許可が下りなかった。そしてエレズ検問所の通過申請から40日後の4日前に患者の少年とその父親はやっとこの病院にやってきたのである。
 診断した脳外科のジョルジェット・キデス医師によれば、血管奇形(動脈瘤)が突然破れて小さな出血を起したケースかもしれないが、脳腫瘍がある可能性も否定できないという。場所が脳幹部という非常に難しい場所なので、手術による治療はほぼ不可能で、とくにパレスチナではそういう手術を受ける設備もない。このマカッセ病院はパレスチナ一の病院といわれているが、それでも血管造影もできない。ましてや手術も放射線の治療もできないガザ地区ではまったく可能性はない。だから治療を受けるにはラファ検問所を通ってエジプトに出るか、ヨルダン川西岸を経由しヨルダンに出るしかないのだが、ラファは封鎖され、一方、ガザの住民が西岸に来て、さらにヨルダンへ渡ることはほとんど不可能なので、エルサレムの病院かイスラエルの病院で治療を受けるしかないというのである。しかし、この病院の設備と技術では、この少年の治療は不可能と判断された。
 本田医師が閉じた右目を指で開け、目の動きを診察して、「動眼神経麻痺」と診断した。目を動かす3つの神経のうち、2本が完全に麻痺しているというのだ。腫瘍の圧迫によってか、または動脈瘤が神経を圧迫して麻痺しているのではないか。どんどん症状は進行していくし、目以外の症状が出てくる可能性がある。1日も早く治療を受けるべきだと本田医師は言った。
 しかし、この病院で治療が出来ない以上、ガザへ戻るしかないという医師の判断を、父親のナエブ(37歳)は受け入れようとはしなかった。一旦、ガザへ戻ってしまうと、また申請して治療のためにガザを出るのに1年もかかってしまうというのだ。父親は知人を通して、イスラエル側のハダサ病院に診断を依頼した。やっと数日後の診察予約が取れた。その結果を見て、入院するかどうかの判断が下される。幸い、この少年の治療費は、ラマラのパレスチナ自治政府が全額負担することになっているという。

 同じ病室に、もう1人、ガザからやってきた患者がいた。左脚の膝の骨を銃弾で破壊されたガザ地区ラファ出身の男性だった。スヘイル・ガタス(43歳)は、ファタハに属する警察官だった。スヘイルによれば、負傷した状況は以下のようなものだった。
 ガザ地区でハマスとファタハの抗争が激しくなった6月10日、タクシーで家に帰る途中、ハマスの武装青年に車を止められ、運転手共々、外に出るように命じられた。IDを調べられ、警察官だと分かるとその青年は警察官の証明書を破った。「行け」と言われて数メートル歩いたところで、突然脚を撃たれた。こちら側から何の挑発もしたわけではなかったとスヘイルは言う。
 すぐに病院に入院していたが、ハマスの武装グループが病院へ負傷者を探しにやってくるという情報を得て、事前に病院から逃げた。その後、他の病院に移ろうとしたが、ガザ地区の全病院がハマスに制圧されたため、ファタハの警察官であるスヘイルは治療を受けに病院を訪ねることをためらった。
 ラファ検問所が封鎖されたままなので、治療を受けるためにはガザ地区を出てエルサレムかヨルダン川西岸の病院に来るしかなかった。しかしそのための許可をラマラの自治政府の保健省に申請しても、許可を得るのに20日もかかる。やっと手にした許可書を持ってエレズ検問所に行っても、イスラエル側からは「お前の名前は登録されていない」と追い返される。また申請する。今度は40日かかった。検問所へ行くとイスラエル側はまた拒絶する。また申請する・・・といった具合に4ヵ月間も待たされた。そして最後に10月1日に申請し、10月22日にやっとイスラエル側からも通過許可がおり、エルサレムにたどり着いたというのである。
 スヘイルのX線写真を観た本田医師は「大腿骨が弾丸で壊れていて、開放性骨折のようになっています。日本なら人工骨と置き換えるような治療になるでしょうね。また、ひ骨神経が麻痺を起しているため、足も動かなくなっています」と言った。
 「家族は?」と訊くと、スヘイルは「生後20日になる娘がいます」と言うと、携帯電話の初期画面に入れた、生まれたばかりの娘の写真を私たちに見せた。「ガザに戻って元の警官の仕事に戻りたい。でもハマスとファタハが和解するのはいやだ。ハマスは人殺しだから」と言う。ハマスとファタハの内部抗争がもたらしたパレスチナ人の間の亀裂・両者の憎悪の深さを目の当たりにする思いだった。

 2人の取材を終え、帰ろうとしたき、1人の女性に話しかけられた。彼女もガザ出身で、息子の治療のためにエルサレムに来たのだという。その病室を訪ねると、先ほど取材した少年とほぼ同じ年齢の少年がベッドに座っていた。輸血のカテーテルが腕に刺さっていた。そのX線写真には骨折し、「く」の字型になった大腿骨が映っていた。写真の骨折部分を指し示しながら本田医師が言った。「『病的骨折』のようですね。つまり怪我がなくて骨折したんです。医師の説明によれば、その原因を調べているうちに、骨に癌が出来ていることがわかったそうです。相当進んでいて肺への転移も疑われています。貧血がひどい。骨折した骨の中で出血している可能性があります。そのために輸血も必要なんです」
 本田医師によれば、ここまで癌が進行すれば、おそらく手の施しようがない、絶望的な情況だという。
 私は、ここに至るまでの経緯など詳しい事情を母親から取材しようとした。しかし母親は、「ここではもう治療ができないので、イスラエル側か海外で治療できる施設や病院を紹介してほしい。そうでなければ、取材は受けられない」と言った。私たちは、その要請に応える術もなかった。そう本田医師が答えると、母親はそれ以上の取材を拒絶した。
 母親の立場からすれば、当然そうだろう。ジャーナリストに根掘り葉掘り訊かれた挙句、息子の症状が好転することに何の役にもたたないとすれば、まったくの徒労に過ぎない。期待させられた後に失望させられる分、むしろ傷つくことになる。
 そういえば、最初の少年の取材を終えた後、父親が私たちに「どんな支援をしてくれるのか」と訊いた。私は「もしこれが日本のテレビで放映される機会があれば、視聴者が支援を申し出てくる可能性もある。しかし今は、それ以上のことは言えない。何の約束もできない」と答えた。
 「お前たちは、私たちの不幸を食い物にして金を稼ぐ“禿鷹”じゃないか」。いつかパレスチナ住民から浴びせられた言葉が、私の脳裏をよぎった。

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