Webコラム

日々の雑感 54
パレスチナ・2007年 秋 8

2007年10月28日(日)
“国際感覚”を育てない日本の国際報道

 なぜ『薄明かりの地帯』のような記事が日本には伝えられないのか。まず考えられる理由は、日本人にとって、“パレスチナ”“イスラエル”は地理的にも心理的にも遠い問題であることだ。新聞や雑誌の編集者たちは「日本の読者は“パレスチナ”に関して、これほど詳細な記事を必要としていない」というに違いない。しかしほんとうにそうだろうか。
 日本の大新聞の国際面は一様に2面。その中に、編集者は世界各地に散った数十人の特派員から送られた莫大な記事から選び抜き、詰め込まなくてはならない。だから当然、これほど長い記事を載せられるスペースはない。伝えられるのは、首脳の会談や和平交渉だったり、または軍の侵攻やパレスチナ人同士の衝突に関して「いつ、どこで、何が、なぜ、どう起こったのか」といった骨組みだけの情報、全体状況を俯瞰するような記事が大半だ。その記事からは等身大の人の顔は見えてこないし、その息遣いも伝わってこない。だから読者も「同じ人間の出来事」として想像力を働かせることも、感情移入することもほとんどできない。
 しかし“パレスチナとイスラエル”を日本人に近づけていくには、この等身大の人間の姿を詳細に伝えていくしかないのではないか。パレスチナ人やイスラエル人を自分と同じ人間として読者に感じ取らせる“素材”を提供していくことが最もいま必要とされているのではないだろうか。またそれこそ読者がほんとうに求めているものではないだろうか。無味乾燥な「情報」(もちろん、全体状況の流れをつかむためには必要な素材ではあるが)だけをこれでもか、これでもかとばかり押し付けられても、“パレスチナとイスラエル”を“理解”することにはつながらないような気がしてならないのだ。
 日本の新聞がこのような伝え方をするのは、決して特派員の責任ではなく、日本の新聞そのもののあり方、姿勢の問題ではないかと私は思う。夏になると、新聞はプロ野球(国内だけでなく、大リーグの日本人選手の動向まで丁寧に伝える)、高校野球、これに大相撲やオリンピックなどが重なると十数ページの紙面がスポーツで埋まり、「スポーツ新聞なのか」と見間違うほどだ。「日本を代表する高級紙」と自負する「朝日新聞」からしてそうなのだ。一方で、特別の重大事件を除けば「国際面は2面」は律儀に堅持される。しかも、前述してきたように、「人の顔の見えない、骨組みだけの情報」が中心だ。だからこそ、「長井健司さんの死亡報道について考えたこと」の拙文の中で書いたように、「日本人が絡んだ国際事件」だけが特化され、日本や日本人が絡まなくなると、途端にそのニュースは紙面から消えていく。
 このような新聞を情報源とする限り、世界で何が起こっているかという「知識」をいっぱい詰め込んだ「物知り人間」は育てられても、日本人のなかに 真の“国際感覚”をもつ“国際人”を育んでいくのはほとんど不可能だろう。“国際感覚”をもった“国際人”とは、決して外国語とりわけ欧米の言葉に堪能な人を指すのではない。“国際感覚”とは、地理的に遠く離れ、文化も肌の色も言葉も違う“遠い異国の人たち”のことを、“自分と同じ人間”だと感じ取る“感性・想像力”のことだと私は考えている。その感性・想像力を育てていくための“素材”を提供していくことこそが、国際報道の大きな役割の1つではないか。日本の新聞はその役割を十分に果しきれないでいる。
 民放のテレビ報道の状況は、新聞よりもっと悪いように思える。「視聴率に繋がらなければ、放映できない」という空気を感じてしまうのだ。視聴率を稼ぐ大ニュース番組であればあるほど、その傾向は強いのではないか。だから長井さん死亡報道やイラクの人質事件、自衛隊派遣問題のように、「日本や日本人が絡む」ことではじめて視聴率が稼げ、大ニュースとなる。そしてそれがなくなると、途端にその国のニュースはしぼみ、消える。
 そんな中でNHKの「スペシャル」番組やBSの「きょうの世界」などは異彩を放っている。とりわけ「スペシャル」番組で伝えられる等身大の現地の人々の姿に、私たちははじめて「現地で生きる1人ひとりの人間にとって、その問題がどんな意味合いを持つのか」を肌で感じ取ることができる。すべての海外版「スペシャル」番組がそうだというわけではないが、その確率は高い。
 新聞の話に戻れば、かつては新聞にも“国際感覚”を養う素材を提供する記事は少なくなかったような気がする。時代はずいぶん遡るが、1960年代のベトナム戦争時代、「朝日新聞」に100回近く連載された本多勝一記者の『戦争と民衆』(のちに『戦場の村』として単行本になった)は、これまで「ベトナム人」として抽象的に総体として日本人に捉えられていた人びとを、固有名詞でその生活を克明に記述することで、読者に「自分たちと同じ人間」という意識を育んでいった。延々と人びとの日常を描いた後、本多記者は、その「同じ人間」が戦争で傷ついていく姿を、読者がまるで映画のシーンでも見せられるかのような、詳細で正確な記述、しかも書き手の感情を入れない“乾いた文章”で淡々と描いていった。このルポ連載記事は読者に大きな衝撃と感動を呼び起こした。そしてこの記事がベトナム戦争に対する日本世論を大きく変える1つのきっかけになったとさえいわれる。当時、新聞はそんな“力”を持っていたのだ。
 私が見逃しているのかもしれないが、残念ながら、本多氏以降、「朝日新聞」にこれほどのルポを書ける記者がなかなか出てこなかったような気がする。だが最近、中東に関する連載記事が「朝日新聞」の夕刊に、断続的にではあるが、載るようになった。かつて「エルサレム支局長」「中東アフリカ総局長」「バグダッド支局長」を歴任した川上泰徳・編集委員の記事である。20年近い中東取材の豊富な経験、堪能なアラビア語を駆使した現地住民への密着による、これまでにない中東報道のルポである。
 その川上記者が29日(月)から「朝日新聞」(夕刊)で「ハマス制圧後のガザの現状」を連載するという。先を越されてしまったという悔しさはあるが、「あの川上記者が今のガザをどう見てきたのだろう」と楽しみにしている。

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