Webコラム

日々の雑感 78:
映画『靖国』上映中止の動きに思うこと

2008年4月11日(金)

 以前、このコラムで紹介したドキュメンタリー映画 『靖国 Yasukuni が大きな話題になっている。(関連ページ:ドキュメンタリー映画「靖国」を観て)3月下旬に予定されていた東京と大阪での上映が中止となったからだ。その経緯や経緯などはすでに新聞やテレビで繰り返し報道されているので、ここでは省略する。実は、先月28日、私たちが始めた「ドキュメンタリー映像・研究会」で、試写会を開いた。そのとき、出席したこの映画制作の関係者の方々から、すでに東京の映画館の1館が上映中止を決め、それが他の映画館に波及しそうだという話が出た。即座に出席していた「研究会」のメンバーたちから「何か行動を起さなければ。何か出来ないか」という声が出た。私もそう思った。私自身、苦い思い出がある。2年前、ある民放の番組で、韓国の元日本軍「慰安婦」のハルモニたちが共同生活する「ナヌム(分かち合い)の家」に集まり、日韓の歴史問題や反日感情、平和共存などについて討論する日韓の学生たちによる合宿「ピースロード」についてのドキュメンタリー番組を放映したとき、「ナヌムの家」と、私や番組、そしてテレビ局に対して、いわゆる「ネット右翼」から猛烈な非難・中傷が殺到した。このような動きは、テレビ局側に将来、この種のテーマを扱うことを躊躇させる大きな要因の1つになるにちがいない。
 そういう私自身の経験もあり、私は「これはこの映画の問題だけではない。私自身の問題だ」と思った。「これを看過すれば、私は将来、元日本軍『慰安婦』問題や“南京”に象徴される中国での日本の加害責任など日本の歴史加害に関する報道はできなくなる」と直感したからだ。
 集まったメンバーたちの話し合いの結果、記者会見を開き、上映中止に追い込んだ勢力に抗議することが決った。その記者会見は4月10日に参議院議員会館で開かれた。百数十人を収容できる会議室は、報道関係者で一杯になった。

 この記者会見の準備期間中、私は「映画『靖国』への政治圧力・上映中止に抗議する」私自身の理由を以下のように書いた。

 「『靖国神社』と天皇制の深い関わりまで踏み込んだ映画『靖国』。真っ先に浮かんだ思いは、『靖国』の本質に肉薄するこのような映画が、なぜ日本人自身によって、これまで作れなかったのか、なぜ“中国人監督”によって初めて提示されなければならなかったか、という日本人としての“不甲斐なさ”でした。
 そして今、その中国人監督の“日本人への渾身のメッセージ”であるこの映画が、日本人に提示される機会さえ奪われようとしています。このような映画を作りえなかった日本人が、さらにここで、この映画上映の機会さえ守りきれないとすれば、“不甲斐なさ”を超えて、もう“恥”だ、と私は思います。
 今回の事態は、私たちにとって単に映画『靖国』の問題でありません。私は“ものを表現し伝える”ジャーナリストの1人として、この事態を看過するわけにはいきません。もしこのような事態を許してしまえば、私たち“表現者”は将来、同じように、国家など体制側や権力者に都合の悪い“伝えるべきこと”ことを伝え表現しようとするとき、その表現活動の自由を制限され、また奪われてしまいかねません。ここで“沈黙”することは、“表現の自由”が奪われようとするこの危機的な現状を“黙認”することです。それは日本の急速な“右傾化”“保守化”の動きへの間接的な“加担者”になってしまうことであるとさえ考えています」

 私はこの映画が「中国人監督によって製作された」ということは、とても重要なことだと考えている。
 李纓(リ・イン)監督は田原総一朗氏との対談(「朝日新聞」4月2日夕刊)の中で、「10年間も執拗に靖国を追い続けたのはなぜですか」という田原氏の問いに、李監督はこう答えている。

「私は日本で19年暮していますが、日本社会の戦争問題や歴史に、どこかギャップを感じていました。またあるシンポジウムで日本軍の南京入城の映像に拍手喝采をしていた日本人を見て、衝撃を受けました。戦後何十年を経て、いまだに戦争時代を美化する感情が、一部とはいえ日本に存在している。このことは、自分なりにきちんと考えなくてはいけないと思ったのです」

 私たち日本人は、これまで「日本軍の南京入城の映像に拍手喝采をしていた日本人」の姿、またこれに類する「戦後何十年を経て、いまだに戦争時代を美化する」日本人の姿を現場で、またはメディアの映像を通して数え切れないほど見聞してきたはずである。それに激しい嫌悪感と怒りを抱く日本人は少ないはずだ。しかし李監督が言う“衝撃”は、私たち日本人が抱いた「衝撃」とは異質なものだと思う。李監督の“衝撃”は、被害を受けた当事者の国民が抱く“衝撃”であり“傷口に塩を塗るような痛み”だったはずだ。「これほどの“痛み”を自国民に与えた日本人が、どうして『戦争時代を美化する感情』を『戦後何十年を経ても、いまだに』に持ちえるのか」という疑問、その問いを探求することが映画「靖国」の制作の動機であり、原点だったはずだ。
 その疑問の探求の1つが、映画の前半で延々と続く8月15日の靖国神社の「祝祭的空間」の出来事だったのだと私は思う。“靖国”を神聖化する日本人たちの姿をこれでもか、これでもかと言わんばかりに映し出す。いわゆる「“靖国”反対派」の日本人監督なら、嫌悪感が先走り、それでもバランスを取るためにその一部は映像化するだろうが、李監督があそこまで映像化したのは、その「“靖国”神聖化派」の姿の中に、李監督自身の「これほどの“痛み”を自国民に与えた日本人が、どうして『戦争時代を美化する感情』を『戦後何十年を経ても、いまだに』に持ちえるのか」という疑問の答えを虚心に探し出そうとしたからではなかったか。
 中国人・李監督の視線を私が一番感じ取ったシーンの1つは、式典の最中、「小泉首相の靖国参拝反対!」を叫んだ中国人青年に対する暴行と暴言を執拗に追った場面である。あれは李監督自身の撮影だと直感した。「中国人は帰れ!」の罵声を連呼する男、殴られ口から血を流しながら、「あなたたちは日本軍がどれだけの中国人を殺したか知っていますか!」「殺されていった同胞たちの苦しみに比べれば、このくらいの傷はなんでもありません」と叫ぶ青年と、それに対する警官や右翼の反応……。李監督は同胞の言動に対する日本人の対応の中に自分の疑問の答えを懸命に探し出そうとしていたにちがいない。そうでなければ、あそこまでに執拗にカメラを回し続けなかっただろう。日本人カメラマンなら、あのような撮り方はしなかったはずだ。それにしても「中国人帰れ!」と叫ぶ男を李監督はどういう思いで撮影していたのだろう。それは中国人である自分自身に浴びせられた言葉であり、興奮し叫ぶ男やそれに同調する日本人が、そのことに気付いたら、暴行や罵声の矛先は李監督自身にも向けられる可能性は十分にあった。その恐怖心は、私たちの想像を絶するものだったにちがいない。
 一方、血まみれになりながら、「あなたたちは日本軍がどれだけの中国人を殺したか知っていますか!」「殺されていった同胞たちの苦しみに比べれば、このくらいの傷はなんでもありません」という叫ぶ青年に、同胞である李監督はどういう気持ちでカメラを向けていたのだろうか、と私はあのシーンを見ながら想像した。ファインダーを見詰める李監督の目は涙で曇っていたかもしれないと思った。その涙は映像には映し出されていないが、その後、同胞の青年がパトカーに強引に押し込められ連行されていく姿を、パトカーが小さくなるまで途切れなく撮り続けたその映像に、私は中国人・李監督の心中を垣間見る思いがした。日本人なら、あそこまでカメラを回し続けなかったろうからだ。

 映画「靖国」の圧巻は、靖国神社に参拝する戦前・戦後の天皇の映像、南京を「攻略」し万歳三唱する日本軍の映像、そして中国人たちが“日本刀”で惨殺される写真が、荘厳な音楽をバックにモンタージュされたラストシーンである。
 おそらく、この映画の一般公開をなんとしても阻止しようとする勢力が、最も一般国民の目に触れさせたくなかったシーンにちがいない。それは、日本の加害の歴史と“靖国”、そして“天皇制”の関わりを問いかけるシーンだからである。そしてそれこそが、大半の日本の“表現者”たちが“タブー”として触れることできなかった問題だった。
 なぜか。1つの理由は、「このテーマをやるのは“危険”だ」「この問題を敢えて扱っても、どうせ発表できない」と日本人の“表現者”たちが自分の中に“壁”を作り、“自主規制”してきたからである。それを中国人・李監督ができたのは、この微妙な問題に、日本人の“表現者”のような“タブー視”“自主規制”による“自分の中に作った、表現の自由の制限”から李監督が自由だったからだと私は思う。
 そしてもう1つ原因は、中国人である李監督のこの映画制作の動機であり原点である、「これほどの“痛み”を自国民に与えた日本人が、どうして『戦争時代を美化する感情』を『戦後何十年を経ても、いまだに』に持ちえるのか」という疑問を、私たち日本人“表現者”たちが李監督ほどに強く持ち得なかったからである。その疑問を本気で追求していけば、やはりその“微妙な問題”に触れざるをえないのだ。タブー視されるその“微妙な問題”に触れてまでもその疑問を追求したいという強い動機を私たち日本人が持ちえないのは、“踏みつけられた”者たちの“痛み”を、“踏みつけてきた”日本人の私たちは十分に感じ取れていないからだろう。
 それはなぜか。その背景には、根深い日本社会の体質があるのではないか。そのことに私の目を向けさせたのは、精神科医・野田正彰氏だった。野田氏はその著書『戦争と罪責』の中で、日中戦争時代に中国で住民虐殺・暴行に加担した旧日本軍将校の“加害意識”を徹底的に追求した。その結果、野田氏が指摘するのは、日本社会には「“罪の意識”を否認する社会」が戦後も継承されていて、そのために自分の姿、過去の行為を鏡に映し出し、「自分が怪物だった」とみつめる“社会環境”がないということだ。そしてこの「“罪の意識”を否認する社会」が継承されてきた原因は、私たちが生活する現在の日本社会が、戦前、戦時から切れずに継続していること、つまり侵略戦争にのめり込んでいった社会や文化を親たちから摂取し、引き続いているという現実がある、と言うのである。

 映画『靖国』は、日本社会の一部からの猛烈な“拒絶反応”を引き起こし、日本社会の歪(いびつ)な現状と、その根深い体質をあぶり出すことになった。それはやはり中国人監督から生み出された作品だったからだろう。日本人自身には出来なかった仕事である。

 記者会見の最後に、私は1人のジャーナリストとして、またこの記者会見の呼びかけ人代表の1人として、私は以下のような発言をした。

 今回の映画「靖国」上映中止問題を、「表現の自由」の問題としてだけとらえるのは見方が浅すぎるという声があります。
 私は、この意見とは違った見方をしています。今回の問題での「表現の自由」には2つの意味があると思っています。
 1つは、稲田議員、有村議員らに象徴される勢力の圧力から守る「表現の自由」です。彼らが、この映画の上映を阻止したい根本的な理由は、彼らにとって「どうしても日本の一般大衆に見せなくない、見て議論してほしくないテーマ」、つまり“日本を含むアジアの歴史にとって避けて通れない問題”をこの映画が提示していると彼らが判断したからだと考えられます。しかし彼らはそれをはっきりそうとは表現せず、「反日だから」とぼかします。
 その阻止のために彼らは、「文化庁からの助成金の資格問題」「出演者の映画出演の承諾問題」「『ドキュメンタリーの客観性』議論」などさまざまな口実で攻撃しています。こういう動きに対抗して、彼らが必死に隠そうとするこのテーマを国民の目の前に差し出すために、「表現の自由」を確保することは不可欠です。

 もう1つは、“自分の中の表現の自由”の確保です。
 この映画は、日本人には作れなかったと私は思います。それは有村議員らに象徴される勢力がこの映画の主題と考えた「国民が見て議論してほしくないテーマ」に、日本のジャーナリスト、映画人など“表現者”自身が、「このテーマに触れたら危ない」「どうせこのテーマを扱っても、発表できない」と自分の中に“壁”を作り、“自主規制”しているからだと思います。それはいわゆる「左翼」、自らを“進歩的”“リベラル”と信じている“表現者”も例外ではないと思います。それを象徴するように、これまでこの『靖国』の上映中止に関するマスコミの報道では、大方が「表現の自由を守れ」と一般論で叫んでも、私が見た限り、「“何を表現する”ための自由を守るべきなのか」の議論はほとんどされていません。意図的にぼかされているようにも見えます。
 中国人の監督にはなぜこの映画が作れたのか。それは私たち日本人の“表現者”のようなテーマの“タブー視”、“自主規制”がなかったことが大きな要因の1つだと思います。
 この映画は、私たち日本人の“表現者”一人ひとりに「自分の中にほんとうに“表現の自由”を確保しているのか」を問うているように思えてなりません。

 この2つの“表現の自由”を確保するためには、私たち“表現者”が“バラバラ”ではだめだと思います。一人ひとりは脆く弱いものですから。だからこそ、私たち“表現者”はネットワークを作って、たくさんの力を寄せ集めて、この2つの“表現の自由”を守っていく必要があると痛感しています。だからみなさんに、これだけ多くの方々に“呼びかけ人”として参加してもらいました。
 この記者会見を一過性のものとしないためにも、組織に所属される“表現者”の方、私たちのようなフリーの“表現者”、そして市民ネットワークの“表現者”のそれぞれの枠を越えて、広いネットワークを作っていければと願っています。ご賛同いただける方は、連絡先のわかる名刺を受付に渡していただけませんか。

関連サイト:
映画『靖国』に関する緊急記者会見 動画配信(OurPlanet-TV)
(Windows Media Player形式)

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