Webコラム

日々の雑感 119:
31年ぶりの病院生活1

2008年10月12日(日)

 日頃の暴飲暴食と不節制な生活を送ってきた私に天罰が下った。その結果、いま私は病院に入院中だ。病名は「軽い脳梗塞」。左脚と左腕の感覚がいつもと違うことを自覚したのは10月10日の夜明け前だった。前夜、風呂に入るときに、上げたはずの左足を浴槽にぶつけたとき、長時間の散歩の疲れのためだろうと深刻には考えなかった。しかし睡眠後も、その脚の「疲れ」のような感覚は抜けていなかった。しかも左腕の感覚も変だ。不安が走った。早朝6時過ぎ、心配した妻に促されて、私はまだ眠っているにちがいない「主治医」のY医師の自宅に電話をかけ、留守電に用件を伝えた。折り返し電話してきたY医師に自分の症状を伝えると、「吐き気は?」と訊いた。そういえば、起き上がってから吐き気に襲われている。「脳梗塞かも知れないから、大至急、救急車を呼ぶように」とY医師は私に指示した。出勤の準備をしていた妻も仕事どころではなくなった。間もなくやってきた救急隊員たちに抱え上げられながら私は救急車に運ばれた。
 救急車で病院に運ばれるのはこれで2度目である。まだ独身時代の十数年前、夜中に腹部の激痛に襲われたとき、どうしようもなくなった私は119番に電話した。「あのー、腹が痛くて我慢できないので救急車をお願いしたいんですけど、お金はどのくらいかかりますか」と恐る恐る訊くと、電話に出た係員は笑いを押し殺したような声で「大丈夫です。無料ですよ」と答えた。貧乏症の私は、腹部の痛みよりもまず、その費用が気がかりだったのだ。
 そういうエピソードもある救急車だが、今回はそんなことを考える余裕もなかった。

 病院の救急治療室で、左膝の反射反応に「異常」が発見された。しかし頭部CT映像にはその患部は見えない。さらに詳しい撮影ができるMRI検査の結果、小さいが、確かに「脳梗塞になった細い血管」が発見された。
 診察した脳外科の医師は「将来のことを考えると、今の時点できちんと治療しておいたほうがいい。そうしないと将来、深刻な事態になりかねない。このまま入院するように」と私に告げた。
 突然のことに動転したのだろう、診察室に入ってきた妻は目に涙をいっぱい溜めて泣き顔だった。着の身着のままだったが、至急用意された病室のベッドに車椅子で運ばれた。腕には病院に到着直後に始まった点滴の針が入ったままだ。その針は3日目に入った今日も刺されたままだ。点滴は3日間、連日24時間続いている。血液の流れをよくする薬だという。さらに朝と夜に、血液をサラサラにする薬が点滴で投入される。治療はそれだけである。幸い、歩くのに不自由はない。この間、トイレに行くにも、休憩室に行くにも点滴の袋を提げる台車を引っ張って移動しなければならない。
 その日はパレスチナ・ドキュメンタリー映画のプロデューサーと編集者が私の自宅へ来て、最終段階に入ったドキュメンタリー映画『沈黙を破る』の試写と手直しをすることになっていた。しかしそれどころではなくなった。2人は自宅ではなく、病院に向かわざるをえなくなった。「健康に注意しなければ命が危ないという警告ですよ。このくらい軽い症状で済んだことに、幸運だったとむしろ感謝しなければ」と2人は私を慰めた。
 ベッドに横になっても、点滴以外、特別な治療がされるわけでもない。つまり何もすることはないのだ。病気よりもまず、この退屈さ、所在なさ、無為に時間を過ごすことへの焦りに、精神的に参ってしまいそうだ。入院準備のために家に戻る妻に、洗面道具や着替えなど生活必需品の他に、パソコンと、やり残した校正の原稿、読みたい本、それに録画しながらなかなか見る時間がなかったドキュメンタリー番組のDVDとその小型再生機を持ってきてくれるように頼んだ。意識ははっきりしているし、左手の重い麻痺もなく、パソコンは打てる。病棟内は台車を引きながら自由に動けても、病院の外へ散歩に出ることはできない。ADHD(注意欠陥・多動性障害)傾向が強く、狭い部屋にじっとしていることが出来ない私にとって、入院生活は拷問のようにも思える。このストレスは書き物や読書など「生産的」と自分で思える活動をして紛らわすしかない。
 さらに私にとって苦行なのは病院の食事だった。医者の指示で、私の食事は1日1800キロカロリー、食塩は6グラムと決められた。最初に運ばれてきた昼食の箱の蓋を開けて愕然とした。その量は私が日頃食べてきた食事の3分の1ほどしかない。しかも私の好物である脂っこい料理は一切禁止。ご飯の量は200グラムと決まっている。看護師に恐る恐る「お替りはできますか」と訊くと、「だめです!」と一喝された。私にとって必需品だった焼酎などアルコール類は、病院の中では論外である。
 医者は今の体重80キロを65キロまで減らせという。そうすれば血圧は下がるし、持病の痛風もなくなるし、将来のさらに重い脳梗塞の危険性も減るというのだ。この病院の食事はそのための「訓練」なのである。

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