Webコラム

日々の雑感 163:
映画『スリングショット・ヒップホップ』(Slingshot Hip Hop)を観て

2009年5月12日(水)

 50代後半で音楽に疎い私は、「ヒップ・ホップ」という分野の音楽をほとんど知らなかった。広辞苑には「1980年代前半に生まれた、新しい感覚の音楽・踊り・服装などを中心とする文化」とある。「ラップ・ミュージック」はテレビなどで観たことはある。これは同じ広辞苑には(ラップとは)「『おしゃべりする』意の俗語/1970年代末に盛んになったアメリカ黒人音楽の一種。黒人の口承文芸を基盤に、社会批評や風刺を散りばめる」と説明してある。
 『スリングショット・ヒップホップ』は、その「ヒップ・ホップ」という音楽を“投石器/Slingshot”にして、パレスチナ人(イスラエル内〔48年組〕と占領地〔67年組〕双方のパレスチナ人)の若者たちが、差別と抑圧、封鎖と占領下の閉塞した状況への絶望感と怒りの“石”を外の世界にぶつけ訴えていく映画だ。

Slingshot Hip Hop

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 長年、ジャーナリストとして活字や映像で“パレスチナ”を伝えてきた私も、「なんだ、こんな伝え方があるんだ! やられた!」と脱帽した。オーソドックスな「インタビュー」という手法で、人びとの心の内を伝えてきたつもりになっていたが、私は若者たちのこのやり場のない “閉塞感”をどれほどつかみ取り、伝えられてきたことか。かしこまったジャーナリストを前に、手垢のついた「言葉」では言い表せない心の中の澱(よどみ)も、音楽というツールに乗せれば、こうも赤裸々に表出できるのだ。長年“パレスチナ”を追い、わかったつもりになっていた私は、音楽に乗せて吐き出すように飛び出す若者たちの“心の叫び”をきちんと受け止めるしなやかな“感性”も、それをきちんと伝えきれる手段や能力も欠落していたのだとこの映画に思い知らされた。

 この映画はまた、これまで海外にほとんど伝えられることのなかった「イスラエル内のパレスチナ人(48年組)」の置かれた状況の一片を描いた貴重な映像記録になっている。イスラエル当局は「あらゆる市民が平等の機会と自由を享受できる民主主義国家イスラエルでは、アラブ系市民もユダヤ人と同等の権利・市民権を享受している」と外の世界に向かって喧伝する。その一方、占領地や他国で難民となっているパレスチナ人からは「敵イスラエルに魂を売った裏切り者」という侮蔑の目で見られる。その「アラブ系イスラエル人」たちは実は、アシュケナジーム(欧米系ユダヤ人)、ミズラヒーム(東洋系ユダヤ人)に次ぐ、イスラエル社会の第3級市民として社会的・経済的な差別を受け、イスラエル社会で最底辺で呻吟する人びとであることはあまり知られていない。
 占領地のヨルダン川西岸のパレスチナ人が最優先に置くのは子どもの教育だといわれる。だから西岸では家庭は貧しくても、子どもたちを何とか大学へ通わせようとする。しかしエルサレムのある民間機関の統計によれば、イスラエルのパレスチナ人では、高校を卒業できる子どもは36%に過ぎず、大半が卒業前にドロップアウトしてしまうという。大学などアカデミックな世界で生きるパレスチナ人は3%にすぎない。必然的に、イスラエル内のパレスチナ人には建設業や工場労働者などブルーカラーの職業しか残されていない。当然、賃金も低く労働条件も厳しい。同じ統計によれば、貧困ライン以下のアラブ系イスラエル人(パレスチナ人)は56%、ベルシェバ周辺の地方でくらすベドゥイン系のアラブ人では81%にも達するという。「あらゆる市民が平等の機会と自由を享受できる民主主義国家」というイスラエル政府の宣伝とは、まったく違う現実がそこにある。
 イスラエル内のパレスチナ人の町を取材して驚くのは、その貧困の実態である。貧民街の住宅環境、社会環境は占領地のパレスチナ人にも遠く及ばない。そこにいると、占領地のパレスチナ人が「豊か」にさえ思えてくるのだ。低学歴のために仕事も限られ、失業率も異様に高い。しかも占領地のパレスチナ人社会のような強い共同体意識も薄く、社会的・経済的に脱落してもほとんど誰も手を差し伸べてはくれない。将来に希望を持てない多くの若者たちが“麻薬”の世界に落ちていく……。
 そんな実態があればこそ、その中の若者たちから、あのような強烈なメッセージを持った歌が生まれるのだろう。歌があのように、血が噴き出してくるように生々しく、激しい呼吸音が伝わってくるようなリアリティーも持つものだということを私はこの映画で初めて実感した。作りものの「恋」や「愛」の歌を仰々しく深刻ぶって歌う日本のチャラチャラした「歌い手」に辟易していた私は、「“歌”にはこんなに“力”があったのか」と新鮮な衝撃を覚えた。

 この映画の中でも、とりわけガザの青年たちの“閉塞感”が現場を知る私には“痛かった”。あの映画で描かれていた2004年前後のガザを私自身何度も取材していたのだ。エジプトの国境の街ラファやユダヤ人入植地「グシュカティーフ」と隣接するハンユニス難民キャンプでは連日のようにイスラエル軍の銃声が鳴り響き、多くの家々が破壊されていった。ガザ地区の封鎖は強化され、住民はガザから出ることも容易でなかった。それだけではない。ガザ地区内でもイスラエル軍の検問によって自由の移動さえなかった。30数キロしか離れていない北部のガザ市から南部の都市ハンユニス市の間に「アブ・ホーリー」と呼ばれるイスラエル軍の検問所があった。そこはユダヤ人入植地とイスラエル国内とを結ぶ道路との交差点で、パレスチナ人の往来が厳しく制限されていた。通常なら車で30分もかからない距離だが、何時間も検問所の前で待たされた。映画に登場する長い車の列の映像を私自身、何度も撮影した。いつ開くともわからず、ひたすら炎天下で待たされるあの苛立ちと湧き起ってくるやり場のない怒り……。ガザは“大きな牢獄”という言葉は、当時のガザを知る者なら、決して誇張ではなく、まさにあの状況を言い当てた言葉であると実感するはずだ。
 ガザの若者は大学を出ても仕事もなく、留学のために海外に出ることもできない。“将来”がまったく見えない「大きな牢獄の中での“獄中生活”」のなかでの若者たちの“閉塞感”“絶望感”が、ヒップ・ホップ音楽としてほとばしり出る。怒りを外の世界に向かって吐き出すような、あの強烈な歌詞と歌声に、当時のガザの状況を身体で知る連れ合いの幸美は目頭を押さえていた。

 パレスチナの状況とその中で“希望”や“未来”を奪われて生きる若者たちのあの“閉塞感”と“怒り”がわからないと、この映画は日本では伝わりにくいのかもしれない。しかし逆に、あの血が噴き出すような音楽そのものが、日本の若者たちの心も動かすに違いない。そして「なぜ彼らはあんな歌を発するのか」という疑問が、“パレスチナ”の状況へと若者たちの関心を導くかもしれない。

 私たち古い世代のジャーナリストたちが考えもつかなかった新たな「“パレスチナ”を伝える手法」をこの映画に教えられる思いがした。観終わったのち、衝撃と感動がしばらく私の中で余韻のように残っていた。

イスラエルで活動するDAMの「Born Here」
監督は『アルナの子どもたち』の監督ジュリアノ・メール・ハミス

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Slingshot Hip Hop 予告編

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