Webコラム

映画『”私”を生きる』トークショー
ゲスト:永田浩三さん(前半)

2012年1月20日 東京:オーディトリウム渋谷
ゲスト:永田浩三さん(元NHKプロデューサー)

土井敏邦(以下「土井」):今日はどうもありがとうございました。非常に長い映画なのでお疲れだと思います。今日は永田浩三さんに私が話を聞くということで、永田さんの「“私”を生きる」、ということでお話しをしていただきたいのですが、よろしくお願いいたします。

まず、根津さんの判決が16日に出ましたけども、ブログを拝見すると指摘をされていますが、永田さんの感想をお聞かせください。

永田浩三氏(以下「永田」):短く申し上げたいと思いますけれども、根津さんを含めて170人の東京都の教員の方が原告になって裁判がずっと続いていて、最高裁の判決が出ているんですね。私がひとつ指摘したいのは、テレビメディアでの伝え方の問題ですね。一番ひどかったのはフジテレビのニュースだと思います。これはご覧になったかもしれないですけれど、安藤優子と木村太郎という二人のキャスターが裁判についてコメントをしていました。結果については皆さんご存じだと思います。様々な処分を受けた方がおられますが、その中で、「『戒告』までは一応妥当であろうと最高裁は判断をしたのだけども、『減給』であったり『停職』であったり、ましてや『免職』ということはやりすぎでしょう」ということを言っているわけです。戒告について、異論を唱えた裁判官もいました。では、フジテレビがどう伝えたかというと、つまり戒告までは合憲なんだという方に力点をおいて伝えたんですね。安藤キャスターは何回指示に従わなかったという回数ではなくて、一回でも問題ですよね、というニュアンスの感想を言いました。木村キャスターはアメリカの星条旗の例を挙げて、縦に掲げるか横に掲げるかでも大問題なのに、そういうことを子どもの頃からきちんとしつけなきゃいけない、という事を声高に言ったんですね。裁判の判決文を読めば、そこに力点があるのではなくて、「東京都の処分は行きすぎだった」ということをまずは伝えるべきです。事実の核心を外したニュースというのは明らかにおかしいと思います。

NHKのニュースは今回について言えば、それなりに正確だったと思いますね。ただ、いかんせん時間が短い。新聞について言えば、産経新聞などはやや正確でないところもありましたが、それなりの分量をきちんと伝えていました。一方、テレビは残念ながら、観た方がその趣旨を理解するに足る分量になってなかったというのが印象ですね。

土井:2001年のETVシリーズの当事者のプロデューサーであって、その後裁判で闘ってこられた方なので、まずやはり永田さんご自身の事をぜひお伺いしたいと思います。地方裁判所(地裁)では永田さんはNHK側に立った証言をされて、高等裁判所(高裁)で自分の本当に伝えたかったことをおっしゃった。組織の中にいると組織の論理に従った方が楽だし、あそこまで出世されていたので、なおさら組織に残ることを選ぼうとされるだろうと思うのですが、そういうものをあえて捨てることを覚悟で、高裁で本当の事を告げなければと思って実行された。外から見ていると私たちフリーランスはある意味では楽なんですよ、失うものはほとんどないから。でも組織であれだけの地位にいらっしゃった方が、あえて組織の論理に反することを言うということはすごく勇気のいることだと私は思うし、もの凄い葛藤されたのだろうなと思うのですが、そのあたり、永田さんご自身、振り返ってみてどうですか?

永井:まず今日の映画は、3人の先生方が「“私”を生きる」ということで貫いてらっしゃる姿を撮った映画です。教員の仕事というのは子どもたちに向かって「自分の頭で考えなさい」「物事にはいろんな側面があるよ」ということを伝えるもので、日の丸・君が代についても同じ事だと思います。まさに「“私”を生きなさい」ということを伝えている教員が、「“私”を生きる」ということを貫けない、という状況におかれた方々の内面に、どういう葛藤があってどういう行動をとるのかということを描いた作品だと思うんです。

私が身を置いていたNHKに引き寄せて考えると、NHKという組織は、受信料をいただいて、世の中に起きている事を正しく伝えることにとどまらず、世の中を少しでも良くしていくためにどうすればよいか、まさに「“私”を生きる」世の中をつくりましょう、歴史から正しく学びましょう、ということを毎日言い続けている放送機関なんですね。そこに身を置いている私が、ちょうど2001年の1月でしたけれども、日本軍が関与した従軍慰安婦の問題について取り上げる番組を制作しました。しかし、ある政治家たちが放送直前に介入をしてきて、番組が変わってしまったという事件がありました。私はその時のプロデューサーだったのです。

番組改変が起きた後、取材させていただいた方々から裁判が起こされ、私は被告側の人間になりました。一審では、私は番組改編の現場で何が起きたかという事は正確に話せませんでした。なぜか。それは、NHKのディレクター、プロデューサーはとても恵まれた仕事でして、NHKに身を置いていればいろんな番組を作れますし、まだまだ自分のやりたい事がいっぱいあったわけで、黙ったんですね。恥ずかしいことです。ただ、二審の高裁では、嘘を言い続けるということは出来なかったのです。これは先生方が教室で子どもに嘘が言えないのと同じように、番組制作者は、取材の時、本当のことを言ってくださいという事をずっと言い続けている仕事です。その人間が自分のことになったら、嘘をつくということは、無理があり、人間として許されないということだったと思います。

土井:でも、やはりその時に自分の失うものを考えるとね、思いとどまるというか。社会的地位、NHKのプロデューサーという地位、おそらく給料もすごく良い職場ですよね。そして先ほどおっしゃったように自分が伝えたい事をあれだけの電波を通して何百万という人に伝えられるものすごく良い環境にある。私だったら天秤にかけると少々自分を押し殺してもそっちの利益といいましょうか、メリットの方をとるのではないか。映画の中で根津さんが、たった40秒足らず立っていれば教員を続けられるという人がいると語っておられましたが、私は普通、皆そういうふうに思うと思だろうし、そういうふうに皆動いていると思うのですよ。なぜ自分の失うものを覚悟でそこまで、あえて自分を通したというか、自分の言いたい事を言うことができたんですか?

永井:一審の東京地裁の時は、私は身を守るために黙っているわけです。番組はプロダクションもからんでいて、そこで沢山の人達が辞めざるを得ない状況を、私は黙って見ていたんです。だから負い目がいっぱいあったんです。被害者じゃなくて、むしろ仲間を散り散りにさせた加害者です。プロデューサーだったわけですから。たしかに、もっと上の人たちがいきなり出てきて、私も押さえつけられたわけですけど、そうは言っても番組の責任者ですから、私に責任があったわけです。その責任者の私が、世の中で大変関心を呼んだ事件で、口を閉ざし続けるというのはおかしかったんじゃないでしょうかね。子どもの前で、教室で胸を張れないと先生方が思われたのと似ているかも知れません。私自身は、全然立派な事をやろうとしたわけじゃないんです。妻から軽蔑されたくないとか、子どもたちの前で、恥ずかしい振る舞いは出来ないとか、それぐらいのことでしょうかね。NHKでの役職を失ってもいいと思うようになりました。そもそも私はそんなに優秀な人間ではなく、たまたま幸運にも、処遇されてきただけのことだと思っていましたから。

NHKというところは良いところもありますけれど、やはり組織なんですね。だから組織を守るための裁判対策では、いろいろな嘘を強要されるわけです。それを指図する人たちは人間的にもいびつで、そういう人たちとは、結局仲良くなれやしないわけです。先生たちにとって一番大事なのが教室の子ども達であると同じように、我々番組を作る人間にとって一番大事なのはNHKの組織ではなくて、取材して番組を作る現場なんですよ。その現場が蹂躙された事件に本当に口を閉ざしていいのか、という気持ちがあったと思いますね。私が立派だとかいうことではなくて、その嘘に耐えられなかったという。耐えるのが大人というものかもしれませんが、未熟で青くさい子どもだったのかも知れません。
(つづく)

【関連記事】
日々の雑感 182:演劇『かたりの椅子』とNHK番組改編事件の告発書(1)

【関連サイト】
永田浩三の極私的ブログ「隙だらけ 好きだらけ日記」
 →土井敏邦監督の「私を生きる」を見た

映画『私を生きる』公式サイト
『“私”を生きる』公式サイト

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