Webコラム

映画『”私”を生きる』トークショー
ゲスト:高橋哲哉さん(後半)

2012年1月22日 東京:オーディトリウム渋谷
ゲスト:高橋哲哉さん(東大大学院教授)

トークショー:高橋哲哉さん(前半)

土井:東京は石原都政の中でもう随分前から起こっていますが、最近一番私が危機感を持っているのは大阪の動きです。実はこの映画は1月28日から大阪でも上映されます。どういう反応があるかわからないし、正直言ってとても怖いですね。高橋さんは今の大阪の動き、橋下徹市長に象徴される動きというものを、どういうふうにご覧になっていますか?

高橋:大阪だけが突然出てきたわけではなく、まさにこの映画が描いているように東京の状況がありましたし、その前は広島、また今は北海道でもたいへん厳しい状況になっています。大阪の場合はやはり橋下徹氏に対する政治的支持ですね。「現状を変える改革者」というイメージだけがメディアによって肥大化されています。しかし「教育基本条例」は実際ひどい条例です。根津さん、佐藤さん、土肥さんたちにとって、基本的に教育に強制はありえない、控え目に言っても、教育に馴染まないということははっきりしているでしょう。しかし橋下前知事、今の大阪市長は、「教育は2万%強制だ」と公言しているわけです。「2万%」ってどういうことでしょうね(笑)。「強制の部分がある」というのなら、まだ常識の範囲内で理解できないこともないですけれど、「100%強制だ」と言ったら、学校が強制収容所のようになってしまうわけですね。ところが、「2万%」って言うのは、やはり反対派、「日の丸・君が代」で言えば不起立の人とか、伴奏拒否の人、あるいは教育委員会に盾突く人、言論の自由を行使するような校長、こういう者を根絶したいということではないでしょうか。意に沿わない者に対する一種の憎悪のようなものを私は感じるんですね。そういう人たちを根絶できるような、そういう体制を作るための条例を、「教育基本条例」という形で今出してきているわけですね。「『日の丸・君が代』条例」は成立してしまいました。

先週の月曜日でしたか、最高裁で判決が出て、根津さんは敗訴しました。根津さんの処分取り消しはなりませんでしたが、全体としては玉虫色の判決です。停職とか減給とか、重い処分を科す時には慎重でならなければならないという、行き過ぎた処分に少し歯止めをかけるようなものが最高裁から出てきたんですけれども、あの判決でいけば、大阪の教育基本条例もやはり問題だということになると思います。そもそも、大阪の教育委員全員が、これが成立したら辞めるといと言っているわけですね。橋下知事が選んだ教育委員ですら「とんでもない」と言っているわけです。文科省も、現在の法律に照らして問題があると言っているくらいです。そういう条例なんですね。「2万%」教育を強制したいといっている、そういう人が今「首相にしたい人物」ナンバー1になってしまっている。これがこの国の状況です。ですから、そういう中でこの3人のような生き方を貫くことがどれだけ難しいか。また、それがどれだけ貴重であるか。それを私は改めて感じます。

土井:そういう意味で、僕はメディアの責任というものが非常に大きいのではないかと思うんですね。橋下さんをテレビに出すと視聴率が上がる。橋下さんに発言の機会をたくさん与えている。それに対して疑問を持つ、例えば高橋さんのような声を、みなさんメディアの場で聞かれたことはありますか?なぜなんでしょうね?

例えばこの映画を制作してから1年半が経ちます。何故、私が1年半も劇場公開しなかったのかと、いろんな人から訊かれます。私は、こういう「日の丸・君が代」、それにつながる天皇制の問題に関わってくるような映画は、劇場で公開するのは難しいだろうと思いました。いろいろな圧力があるでしょうし、劇場側は躊躇するでしょう。そう考えていました。でも、このオーディトリウム渋谷の支配人の方は勇気を持ってこの映画を上映してくださいました。今の日本社会の空気として、こういう映画が出しにくい、メディア、マスメディアは恐らくどこも取り上げないでしょう。メディアはどうしてこの危機感をきちんと認識し、伝えないのか。高橋さんは、そういうメディアの役割というものをどうごらんになっていますか?

高橋:そうですね。私も全く同感です。メディアについては私もトラウマがあります(笑)。NHKの番組改ざん問題です。日本のマスメディアは、なぜ、そうなっているのか。この映画で3人の方を追い詰めているような教育、つまり東京都の教育委員会が目指してきたような教育、こういう教育をやっていれば、結局そうなってしまいますよ。とにかく、上命下服、上の命令に下は服従する。上の意思を下まで浸透させ貫徹させる。大阪の教育基本条例はまったくこういうもので、知事の意思が教育委員会を通して末端の教職員にまで伝えられ、貫徹されるわけです。まさに天皇制ですよ。そういう中では教職員は「個」として自由に語る、あるいは表現する、こういう権利が否定されていくわけですね。“個の自由”というものをそれだけ否定する教育をやっていたら、そんな教育を受けてきた者は、メディアに就職しようが、どこに就職しようが、組織に抵抗することは出来なくなってしまいますよ。日本では戦前、そういう教育を徹底的にやりました。戦後それを反省して、東京都でもこの動きが出てくるまではむしろ逆のかたちがあったわけですよね。根津さんのところで出てきました石川中学校と、他の中学との対比です。石川中学では本当にやりたい教育が出来たと、根津さんはおっしゃっていましたね。ですから、あくまでもこれは教育に関する選択肢の問題なんですよ。

これも、3人の出演者の方々がおっしゃっていたと思いますが、「最近、初めて学校に通ってくるような若い教員の人たちは、これが当たり前だと思ってしまうのではないか。しかし、少し前まではそうじゃなかった」ということです。教育にもいろんな形がありえて、あくまでもこれは選択の問題なんだと思います。ところが、この社会はどうしても“個の自由”を圧殺するような教育を選んでしまう。どちらが先かわかりませんが、「教育」と「社会の空気」がどうも補い合って、「組織」そして「お上」に対しては異を唱えない、従順にそれに従っていくのがいいんだ、そういう風土を作り出していく。

メディアも例外ではない、メディアだけが例外ではないということです。そういう中で、とくに「個」としての「私」にこだわっている人が、映画に出てきた3人の方であり、また土井さんだと思うんですよ。

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