Webコラム

日々の雑感 263:
被災地に来た若者たち(1)

2012年4月28日(土)

 昨年、震災直後の3月下旬から1週間、私は仙台市でボランティア活動に参加した青年たちを取材した。3月中旬、沖縄の知人の牧師から日本基督教団東北教区センター「エマオ」がボランティア活動を開始したことを教えられた。被災者たちと接触する機会を探していた私は、岩手県の被災地を取材したその足で、仙台に向かった。4月上旬、その取材結果を36分のドキュメンタリー映像「被災地に来た若者たち」にまとめた。その映像は「エマオ」の活動の広報として使ってもらったり、私が講演用に使う以外は、公にすることもなかった。ただ、若者が被災地のボランティア活動を通して成長していく様を描いたそのドキュメンタリーをこのまま公開もせずに眠らせるのは惜しいと思った。かといって、1年経った今、そのまま公開するにはちょっと古くなりすぎている。ならば、1年後のエマオのボランティアたちを追加取材することで1本のドキュメンタリーにできないかと考えた。3月と4月に福島から仙台の「エマオ」を再訪したのはそういう理由からだった。

 ほぼ8カ月ぶりに訪ねた3月、私は2人の青年と出会った。彼らは、全国各地から集まってくる学生など若いボランティアたちをまとめるスタッフとしてもう1年近く活動を続けていた。その2人の青年の“生き様”を追ってみたいと思い、4月に再び2人に会いに仙台へ車を走らせた。

 笠原健太さん(21歳)は、桜美林大学の4年生。震災の時、横浜のパチンコ店にいた。テレビで震災の現場を観ても実感がわかず、「自分には遠い他人事」だった。しかし自分の身近な人たちが震災の支援活動に動き出したとき、「自分の中に眠っていたものが動きだした」。「エマオ」に来たのは昨年7月である。
 震災から数ヵ月が立ったボランティア活動は、畑の石拾いや草取りだった。
 「たいしたことやってないなあ。もうボランティア活動も必要なくなるなあ」と思った。そんなとき、毎日のボランティア活動の反省会「シェアリング」で、あるアメリカ人のボランティアがこんな話をした。
 「畑にゴミの山に埋もれていたピアノを観て、誰が弾いていたんだろう、大人なのだろうか、子どもなのだろうか、男性だろうか、女性だろうか。もしかしたら誕生日に買ってもらって毎日弾いていたのかもしれないし、兄弟が代々使ってきたものかも知れない。その人はどんな思いで弾いていたんだろう」
 健太さんは、はっとした。
 「自分の胸にぐさっと刺さったんです。僕にとってはただのゴミなのかもしれないけど、持っていた人にとって思い出の品であって、何か意味があって、思い入れのあるものも震災でゴミになってしまうんだと思いました」
 シェアリングが終わると、夕飯も食べず、部屋に戻って布団の中に入った。自分がとても小さな人間に思えた。こんな自分の考えでは、他のボランティアにも迷惑かけるし、何よりもボランティアをさせてもらっている現地の人にも自分の気持ちが見えてしまうんじゃないかと思い、もうボランティアを止めて、東京へ早めに帰ろうかとも考えた。
 しかし次の日もボランティアに出かけて、作業を続けた。ただ、仕事への向き合い方が変わった。畑で草や石がなくなり、元々野菜がいっぱいあったところにまた野菜ができるという喜びを現地の人が感じたら、それが希望になって復興の次のステップになっていく。そんな小さなことの積み重ねが震災からの復興にいちばん大切なことなのではないかと考えるようになったのだ。
 「それからボランティアが愉しいんですよ、畑仕事にしろ、家の中を掃除するにしろ、その先を考えしまう。ここをきれいにして、家の人が野菜を植えて、それを収穫し出荷して、それを食べる人がいると想像する。家をきれいにして、家の人が戻ってきて、また前と変わらない生活を送っていく姿を想像すると、それが愉しくなって、自分ってこんなに想像力豊かだったのかと最近は思うようになりましたね」

これまでの20年間、健太さんは他人から「ありがとう」と言われた記憶がほとんどない。仙台の中心部からボランティア活動をする荒浜近くの笹屋敷地区までの10キロほどの道のりを自転車をこいで行く。現場で何かをやれば、すぐに「いつもありがとうね、御苦労さまね」と言ってもらえる。こんなにも人に「ありがとう」と言ってもらえるほどの人間だったんだと思うとうれしい。その言葉にほんとうに元気をもらったなあと健太さんは今思う。
 「与えるというより、得られるものが多いんです。ボランティアというのは、1さし出したら、10でも100でも返ってくる。見返りが欲しくてやっているんじゃない。1あげたから10くださいというわけではないんですけど、こっちが欲してなくても、必ず返ってくる。それに自分が助けられているなあと思う。身体にも精神的にしんどいときにボランティアの仕事をしていると、そう気づくんです」

 健太さんは大学で「国際協力」の勉強をしていたが、このボランティア活動に打ち込むため1年休学し、この4月からさらに半年休学する決断をした。このボランティア活動はこれまでの自分の中の「国際協力」観にどういう影響を及ぼしたのだろうか。
 「自分の目で見て、自分の身体を動かして、肌で感じないと、その“痛み”はわからないような気がするんです。ボランティアもそうです。被災者の人たちが、当たり前だった生活がそうでなくなって、金銭的にも精神的にしんどくなったときに、自分たちがボランティアをして関わった。それによって、その人たちの一部の辛さや苦しみの一部がわかったような気がします。人の痛みがよりわかるようになったというのかなあ。以前、フィリピンに行ったときもそうだったなあと思い出しました。ゴミ山を見て、匂いを嗅いで、こんなところで生活するのは無理だろうと思った。やはり現地に行って接していないと、人は常に気にかけておくのは難しいのではと思うんです。何度も足を運んで現地の人と触れあっていないといけないなあと。もう1年、国際協力を勉強するなら、やはり現地で痛みや苦しみだけではなく、喜びや些細な感動を自分の目で見たいなあと思います。以前は、国際協力への関心が薄れていましたが、このボランティア活動でもう一度きちんと勉強したいと思うようになりました」

 2年近く休学することで、卒業後の就職活動に支障が出ることに不安はないのだろうか。
 「ここに来ないで就職していた自分と、ここに残っていろんなことを感じて学んだ自分とではきっと大きな差があると思うんです。ここでの経験が今後の生活にすごく大きなプラスになると考えたら、まったく不安がなくなりました。就職のことで悩んでいたのが、ちっちゃいなあと今思えてくるんです、今はこんな会社に入りたいという明確な目標はないし。やりたくない仕事をしてだらだら過ごすより、今自分がやりたいことをやるのが一番です。ボランティア活動で休学することを、『遠回り』、『寄り道』だと考える人もいるかもしれないけど、僕にとっては、きっとこの『遠回り』、『寄り道』が一番近道だろうなあと思えて、“なりたい自分”に近づける一番いい方法なんではないかと思うんです」

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