Webコラム

日々の雑感 269:
「報道ステーション」と「ニュースウォッチ9」

2012年7月26日(木)

(文章の後に「報道ステーション:飯舘村あす再編~線引きに意味はあるのか」の動画へのリンクを紹介しています)


(報道ステーション)

 7月17日、飯舘村が3つの地区に分断され、長泥地区が「帰宅困難地区」として封鎖される瞬間、私はその現場にいた。また今年の春から政府による飯舘村の「避難区域見直し」の過程と村人の反応も取材してきた。
 だからこの「飯舘村・3区域分断」を、テレビのニュース番組がどう伝えるか、とても関心があった。幸い、私が留守の間、連れ合いが、その「避難区域見直し」を伝えるテレビ朝日の「報道ステーション」と、NHKの「ニュースウォッチ9」の特集番組を録画してくれていた。
 福島から戻ってすぐ、私はその2つの番組を観た。
 17日の前夜に放映された「報道ステーション」の古館伊知郎・キャスターの報告は、現地を長く取材してきた私の目から観ても、核心に触れる鋭い報道だった。
 「報道ステーション」の取材陣が目をつけたのは、封鎖される長泥地区ではなく、それに隣接し、長泥とほぼ変わらない高い放射線量が確認されながら、「帰宅困難地区」ではなく、それよりも1ランク低い「居住制限区域」とされた蕨平(わらびだいら)地区だった。区域が1ランク低いことで、前者には1人当たり600万円(5年分)の補償金が出るのに、後者の蕨平地区の住民には240万円(2年分)しか、1度に支払われない。それは今後の生活の糧を失った人々の将来の生活設計を立てるのに、大きな相違を生み出すことになる。政府は航空機で測定した空からの放射線量によって、長泥では50ミリシーベルト/年を越え、蕨平では50ミリシーベルト/年を下回ると言う。しかし実際、地上で計測すると、蕨平の線量は長泥とほぼ変わらないのである。なのに、なぜ長泥地区だけが「帰宅困難地区」なのか。そこには、一時期に多額の補償金が必要となる「帰宅困難地区」の戸数を減らし、負担を軽減したいという政府の意図が見え隠れする。
 古館氏はこの政府の線引きを「不条理」と呼んだ。番組では、たとえ空間線量が年間20ミリシーベルト以下になって帰宅できると言われても、水道を使わずに山からの自然水を生活用水としてきた蕨平地区の住民は、汚染された山から出てくる水は使用できず、生活できないことも指摘する。さらに、住民が新たな場所で、農業を再建する場合の困難さを、葉タバコ生産農家の再建費用を具体的に示して、行政の支援なしでは非常に困難であることを報告した。
 一方、翌日の17日夜に放映された「ニュースウォッチ9」も特集として飯舘村を取り上げた。大越健介・キャスターも現地から報告した。訪ねた場所は、福島市内に再建された飯舘村のうどん屋。そこに集めた村人たちに会食しながらインタビューする。その中で引き出されるのは「ばらばらになる」「一番辛いのは目標がない」といった、聞く前から視聴者も予想がつく言葉だ。そして「つながり合ってこそ」といった、情緒的なテロップがつく。
 極めつけは、菅野典雄村長への中継インタビューだった。原発事故以後、村長は多くの村人から「人よりも村を守ろうとした」「村民の意見をまったく聞こうとせず、国の政策を村人に押しつける」などと激しく批判され、「村人の心情から全く乖離していると」と多くの村民が指摘されている人物だ。その村長の声で、飯舘村の村民たちの心情を代弁させる大越氏の伝え方に、当の村人はもちろん、村の実態を取材した者の多くが頭をかしげるはずだ。
 果たして、「避難区域見直し」に対しても「復興の第一歩」「公の仕事の再開や店舗や事務所、室内の仕事ができるようになる」といった肯定的な村長の言葉を紹介し、「報道ステーション」が指摘したような、その見直しの住民への悪影響については触れようともしない。
 また「除染」についても、村長は「国の除染のスピードが遅い」と批判し、「除染」がまるで村復興の「特効薬」のように伝え、その除染の効果への多くの村人たちの疑問と不信の声はまったく伝えない。そして「心に寄り添った政策」といった情緒的で、空虚な村長の言葉に番組を収斂していく。
 「お久しぶりです」と、村長との個人的なつながりをひけらかし、為政者の言い分の紹介で番組を締めくくり、住民が1年を超える避難で抱える具体的な問題、「避難区域見直し」が住民に与える深刻な影響など、現在の飯舘村民の生活の実態を検証しようとした形跡も意欲もない。もちろん予備取材をしたスタッフの責任も大きいが、その取材と報道方針を「よし」としたキャスターで編集者である大越氏の責任はもっと大きい。

 先の「報道ステーション」の報道と比較するとき、大越氏の、住民にではなく、為政者に「寄り添った」報道の在り方が実に顕著に見えてしまうのだ。
 そう言えば、7月初旬、私のドキュメンタリー映画『飯舘村 第一章・故郷を追われる村人たち』(私はその中で若い村民たちの痛烈な村長批判を紹介しているのだが)のDVDを直接、村長に手渡したとき、お礼代わりに「これを読んでください」と村長から渡された書籍が、大越健介著『ニュースキャスター』(文春新書)だった。
 多くの住民が批判する為政者に「推薦」されるジャーナリスト。その“立ち位置”が透けて見えてくる象徴的な場面だった。

 同じテーマを扱った「報道ステーション」と「ニュースウォッチ9」の報道を並べてみるとき、ジャーナリズムの視点から観た切り口の鋭さ、深さの雲泥の差を実感する。それは、キャスターや取材陣の問題意識、問題の本質を見抜く洞察力の差であると同時に、番組自体の深さ、おもしろさの差に反映される。
 その一例が、トップニュースの選び方だ。「ニュースウォッチ9」では「なぜこれがトップニュースなんだ。今伝えなければならない重大なニュースがあるじゃないか!」と唖然とし、怒りを覚える日が少なくない。
 7月25日の「ニュースウォッチ9」のトップニュースは「猛暑」。日本中が「暑い、暑い」と悲鳴を上げているという「ニュース」。一方、「報道ステーション」は、猛暑の中、節電に努力する企業や市民の実態を伝えるとともに、その節電努力によって、この猛暑の中でも電力会社が強調するほどの電力不足に陥っていない現状を伝えている。さらに関西電力の社長が、大飯原発の再稼働の次に高浜原発の再稼働も視野に入れているという発言を紹介し、その理由に「電力不足の解消のため」ではなく、「エネルギーのセキュリティー確保」という新たな大義名分を掲げはじめたことを報じた。
 この2つのトップニュースの違いが、この2つのニュース番組の姿勢と質の相違を象徴的に示しているように私には見えた。

 「ニュースウォッチ9」の特徴なスタイルの1つが、現場で、マイクを持った若いイケメンまたは美人キャスターがせわしく歩くか小走りしながら、振り向きざまに深刻そうに実況中継するシーンである。ちゃんと現場で立ち止まって正面を向き、落ちついて視聴者に語りかければいいものを、「緊張感」「臨場感」を演出しようとしているのだろう、歩くか小走りしながら振り向き、しゃべるのだ。しかも大概、どこへ行ってもワンパターンなのだ。民放のワイドショーの真似をしているのか。民放ほど視聴率競争に晒されているわけでもないNHKが何も民放の真似ごとをすることもなかろうに。
 私はこの番組の最高責任者であるチーププロデューサーやスタッフが、余程、ジャーナリズムのセンスに欠けているために、こういう番組になってしまうのだろうと想像していた。しかし元NHK関係者から話を聞くと、どうもこの番組を仕切っているのは、キャスターの大越氏自身だというのだ。実際、彼はキャスターとしてテレビ画面に登場する前に、「ニュースウォッチ9」の編集責任者を務めている。

 テレビドラマやバラエティー番組にほとんど関心のない我が家は、夜9時になると、習慣的に今日のニュースを知るためにNHKにチャンネルを合わせる。「ニュースウォッチ9」の現在のキャスター大越氏が登場したとき、前任者があまりにひどかったので、一見、物腰が柔らそうで、弁舌さわやかな大越氏がとても新鮮に見えた。しかし、だんだんとこの番組のおかしさ、大越氏の“視線の高さ”とジャーナリストとしての“焦点がぼけた切り口”が、感度の鈍い私にもだんだんと見えるようになってきた。しかも「東大の野球部投手」だったことを、事あるごとに番組の中で披歴する厚顔さも、鼻についてならなくなった。
 何よりも、うんざりするのは、事あるごとに政府要人や政界の大物をスタジオに呼んで、または自らインタビューに出かけ、為政者、権力者側の言い分をたっぷりと聞かせるやり方である。まるで政府の御用番組かと思ってしまう。その為政者たちを鋭く追及するのならともかく、相手の言い分を引き出し、NHKという公共の電波を使って流す。原発事故に関する政府事故調査・検証委員会の最終報告書が出た7月23日の番組でも、細野・原子力行政担当大臣をスタジオに招いて、政府側の言い分をたっぷりと視聴者に聞かせた。本来なら、その報告書のどこが問題なのか、関係者や専門家に分析させ追及するのがジャーナリズムの役割ではないのか。

 「政界」の実力者たちと太いパイプを持ち、政治部、ワシントン支局長などのエリートコースをまっしぐらに進んできた大越氏は、NHK内部でも主流中の主流で、将来、NHK会長になるのではと噂されるほどの「実力者」だという。
 しかし「ニュースウォッチ9」を見る限り、「NHKの“顔”」となるほど、ジャーナリストとしての資質や実力のある人には、私には見えない。
 この「ニュースウォッチ9」と大越キャスターと対照的なのが、「報道ステーション」と古館キャスターだ。もちろん番組のニュースの選択や優先順位を決め、実際に現場で取材し、それをまとめるのはキャスターではなく、制作現場のプロデューサーやディレクターたちであろうから、彼らこそ最大の功労者であろうが、古館氏のキャスターとしての、いや“ジャーナリスト”としてのセンスの良さと資質にも唸ってしまう。
 なりよりも彼には、“不正”“不正義”“不条理”なことに対する“怒り”があり、それをストレートに適格な言葉と表情で伝える、類まれな才能がある。
 一方、大越氏にはその“怒り”が見えない。いや彼には、どうしても表現せざるをえないような“怒り”がないのかもしれない。NHKらしく「品よく」「中立性」を保つことに執心しているように見えてならない。
 私はジャーナリストにとって最も大切なものは、“不正”“不正義”“不条理”なことに対し“怒る力”だと思っている。古館氏はいわゆる世間で言う「ジャーナリスト」ではないかもしれないが、私は正真正銘の本物の“ジャーナリスト”だと思う。少なくとも、NHK内で報道局のエリート中のエリートだといわれる大越氏より、はるかに本物の“ジャーナリスト”である。

 2つのニュース番組の比較、両者の落差について書いてきたが、それでも夜9時になると我が家ではNHKにチャンネルを合わせてしまう。私に違う選択をさせるほどの魅力ある番組が他になかなかないからだ。でも最近は、「ニュースウォッチ9」を見る、違う理由が加わった。「報道ステーション」のトップニュースやニュースの選択、その切り口と比較するために、このNHKの番組を観ると、実にその視点、主張の違い(NHKは「中立」を装い、その「主張」を出さないように懸命に努力している様がよく見える)がわかっておもしろいのだ。ある意味では、「ニュースウォッチ9」が「報道ステーション」の“引き立て役”になっている。「やっぱり『国営放送か』と揶揄されるNHKニュースだね」「さすが報道ステーション!」「さすが古館さんだね!」などと、連れ合いと批評しあうのが我が家の日課の1つになってきた。
 これほど批判しながらも、私が「ニュースウォッチ9」を見続けるわけがもう1つある。実は、私は女性キャスター、井上あさひさんの大ファンなのだ。それも、連れ合いが「ニュースウォッチ9」を毛嫌いする理由の1つになっているのかも知れない。


動画:報道ステーション(2012年7月16日)
飯舘村あす再編~線引きに意味はあるのか

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