Webコラム

日々の雑感 287:
【パレスチナ現地報告】(12)
沖縄・高江とパレスチナ

2012年12月5日(水)

 エルサレムのホテルで、『標的の村』(沖縄・琉球朝日放送制作)のビデオを観た。衝撃だった。パレスチナの地で観たから、その衝撃がいっそう大きかったのかもしれない。
 豊かな自然の中で、平和で穏やかな生活を送ってきた高江集落の160人の住民たち。その生活が米軍のヘリパッド建設によって奪われようとする。住民たちは、平穏な生活を守るために立ち上がった。米軍の“番犬”“下請け業者”となって建設を強行しようとする沖縄の防衛局の役人たちや防衛局に雇われた建設業者たちと住民たちは非暴力で対峙、防衛局の工事を住民は座り込みで阻止しようとする。すると当局は住民を「通行妨害」の容疑で訴えた。強大な権力を持つ当局が、生活を守ろうと非暴力で必死に闘う弱い住民を裁判に訴えるという逆さまの構図。「正義は誰のためにあるのか」と番組は訴える。
 やがて、沖縄県民の願いを無視して、オスプレイが沖縄に配備された。沖縄県の住民は普天間基地のゲートを車で封鎖し、基地の機能をマヒさせようとする。参加した住民の一人が「怖いけど、もうこれしか方法がない」と悲痛な声で訴える。しかし米軍の“番犬”となった沖縄の警察官たちが、同じ沖縄の同胞たちを力ずくで連行していく。その中で一人の女性が車の中に閉じこもり、沖縄の民謡を泣きながら歌う。座り込に抵抗する住民たちが警官たちにごぼう抜きにされる現場に、その民謡が朗々と流れる……。

 私がこのドキュメンタリーにこれほど強い衝撃を受けたのは、私がこの3週間ほど訪ね歩いたイスラエルの占領地で見たのと同じような状況を、足元の日本の沖縄の中で目の当たりにしたからだと思う。とりわけ、高江が置かれた構図にとても類似しているパレスチナの村が、この夏、日本でも上映が始まったドキュメンタリー映画『壊された5つのカメラ』(2012年12月現在各地で上映中及び上映予定)の舞台、ヨルダン川西岸のビリン村だ。
 “分離壁”建設のために、農地を奪われる村の住民たちが、壁建設反対のデモを繰り返す。それは村人たちがこれまでのように土地を耕して生活の糧を得て、平穏な暮らしを取り戻すために、土地を奪おうとするイスラエル政府に対する闘いだった。しかしイスラエル当局は軍隊や警察を動員して、催涙弾だけでなく、ゴム弾(鉄の弾を薄いゴムで覆っただけの銃弾で殺傷能力がある)、実弾の銃撃でこの非暴力デモを鎮圧しようとする。村人たちに死傷者が出る。それでも住民は屈しない。デモを続け、壁建設現場にコンテナを運んで工事を阻止しようとする。イスラエル軍はすぐに撤去するが、住民も負けてはいない。今度はブロックの家を造って抵抗する。自分の土地で人間としての尊厳を持って平穏に暮らす権利を守るために、村人たちがイスラエルの巨大な権力の脅迫と弾圧に不屈の闘いを挑み続ける──パレスチナ占領地でのその現実と問題の構図が『標的の村』の状況と私の中で重なって見えたのである。
 もちろん両者は問題の背景、歴史も異なる。決定的な違いは、高江の場合、弾圧する側もされる側も同じ日本人であるのに対し、パレスチナの場合は、奪い抑圧する側が他民族のユダヤ人(イスラエル人)で、奪われ抑圧される側がパレスチナ人であることだ。だからこそ、その弾圧のやり方は殺傷もいとわないほど凶暴で残虐なものになるのかもしれない。一方、高江の場合、同じ日本人同士あることがかえって問題を屈折させているように思える。日本とアメリカの従属関係、そのなかで一方がアメリカの“番犬”となって同胞を抑圧する悲しい現実が生まれている。
 そういう現実の相違はあるにしろ、両者には重要な共通点がある。巨大な国家権力によって、弱い住民が生活の基盤と人間らしく生きる権利、そして“正義”が理不尽に踏みにじられ、奪われていく“不条理な構造”である。その“普遍性”に目を向けると、沖縄とパレスチナが“同じ問題”として重なってくるのである。


樹齢1000年に近いといわれる
オリーブの木
ジャイユース村 11月29日

 「なぜ日本人が『遠いパレスチナ』と関わるのか?」「遠いパレスチナに関わることは日本人にとってどういうことなのか?」「日本人はパレスチナに何ができるのか?」──多くの人たちからそう問われる。それはまた私自身がパレスチナと関わってきた30数年間、ずっと自問し続けてきた問いでもある。
 もしそれに私がいま答えられることがあるとすれば、「“パレスチナ”がもつ“普遍性”を抽出し、それを日本が抱える問題の“普遍性”に照らし重ね合わせていくこと、それによって“パレスチナ”を日本に、もっと言えば私たち日本人の“あり方”“生き方”に引き寄せていくというができるのではないか」ということである。それによってオキナワの人たちは「自分たちの闘いは孤立無援ではなく、遠いパレスチナや世界につながる重要な闘いなのだ」と自覚でき、力づけられ、影響しあうことができるのではないか。
 私たちジャーナリストの役割は、そのまったく異なる遠い問題のように見えるそれぞれの現場から、“普遍性”を引き出し、読者や視聴者に提示していくこと、そして“自分と同じ人間の問題”として想像力を人々に呼び起こすために、等身大で固有名詞の“素材”を提示していくことではないか、と考えている。
 私はそれを“飯舘村”で試みた。「長年、パレスチナを追いかけてきたあなたがなぜフクシマの飯舘村なのか?」と問われると、私は「それは故郷をイスラエル建国によって追われたパレスチナ人と同じく、放射能汚染という人災によって村を追われる人の“痛み”を伝えることで、『人にとって“故郷”“家”“土地”とは何か』という人間にとって普遍的なテーマを追求する作業です」と私は答える。
 同様に、長年“パレスチナ”を伝えてきた私は、“パレスチナ”を“オキナワ”に引き寄せ、重ね合わせる作業ができればと思う。それは、飯舘村と同じく、『人にとって“故郷”“家”“土地”とは何か』という問いをオキナワの現場で追う仕事である。
 飯舘村もオキナワも、そういう作業を通して“日本の中のパレスチナ”として私たちに迫ってくることになるはずだ。

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